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麻生首相の過去世は?

2008-11-11 20:44:23 | 「リバティ」から
短命政権が2代続き、国民の間には政治への失望感が漂っている。しかしながら霊界情報を踏まえると、英雄として天下を競い合った「魂」たちが現代に生まれ、活躍しているようだ。幸福の科学の霊査によれば、麻生首相の過去世は、徳川軍に二度も完勝した神算鬼謀の猛将、真田昌幸。

 真田と言えば、大阪の陣で奮戦した幸村がまず頭に浮かぶ。この幸村を名戦術家に育て上げたのが父・真田昌幸(1547年~1611年)その軍略で徳川の大軍を二度も打ち破り、天下に武名をとどろかせた武将だ。
 
 一度目は、徳川家康が、北条氏と和議を結ぶ際、真田家代々の領地を北条側に渡すよう要求したことがきっかけ。そもそも昌幸は信州や上野の領地を守るために徳川臣従したので、完全に裏切られたかたちになった。「家康なにするものぞ」と、越後の上杉景勝(豊臣陣営)に、転じ、2千の兵でその三倍以上の7千の徳川の征伐軍を待ち受けた。徳川軍は数の力にものを言わせて難なく真田の上田城に迫ったが、それは敵を引きつける昌幸のワナ。城内に入ろうとした徳川軍に、次々転がってくる弓・鉄砲、昌幸軍の反撃が一気に襲う。さらに城外で身を潜めていた農民兵が紙の旗を上げて、「うぉー」と鬨の声を上げると、徳川軍は「大援軍が到着した!」とパニックになって潰走した。

 二度目は、秀吉の姿を絵師に描かせ、それに向かって朝夕拝礼していたほど浸水していたが、その忠義を貫き、石田三成方に加勢。関ヶ原に向かう徳川本隊(秀忠軍)3万8千を同じく上田城にわずか2千の兵で迎え撃ち、翻弄した。


 その真田昌幸の魂、今回の麻生太郎氏としての人生では「天下取り」により近い境遇を望んだのだろうか、吉田茂の孫、財閥家の長男として生まれている。首相就任までの道のりも、小大名だった昌幸の人生をなぞるかのように、大派閥の勢力争いにもまれながら小派閥を守り抜き、自民総裁選への4回目で総理の座をつかんだ。幅広い「麻生人気」も昌幸と共通する。昌幸は策謀家ながら、神業的な合戦の名人だったために、世間には「真田人気」が沸騰した。乱世を駆け抜けた昌幸を過去世に持つ麻生氏は、上田城ならぬ「自民城」をどうまもっていけるだろうか。。

なんと麻生氏の過去世が真田昌幸だったとは・・・続きを読みたい方は今月号「リバティ」をご覧下さい。ではおやすみなさ~い。
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