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国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

瀬島龍三は戦後も大東亜戦争を指揮し続け、東芝機械のココム規制違反輸出で米軍の世界覇権を消滅させた

2016年05月14日 | 21世紀の日本の進むべき進路


●★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡 飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -16-

504:すでに爺 : 2016/05/11 (Wed) 14:24:32 host:*.bbiq.jp

瀬島龍三への山崎豊子の取材。

http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_09/g2007090525_all.html

 「日本の捕虜をシベリア鉄道の枕木を一本一本敷くように、兵器として使いたいというソ連軍の申し出に関東軍は了承したのか」と聞くと、瀬島氏は「そんな覚えはない」。さらに踏み込もうとすると、「辛いから思い出したくない。これ以上いいたくない」を繰り返したという。

「瀬島さんは、非常に頭のよい方ですから嘘をつくようなバカなことはなさいません。しかし、シベリア抑留の歴史的事実は話してほしかった」

 文章の行間に十分真実が語られている。瀬島としてはこれ以上は語れないでしょう。やんごとなきお方にも関わってくる内容ですから。
 
瀬島の「単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません」は、明快です。
戦争の大儀を言わない国などあるわけがないのですから、大本営の公式宣言は[大東亜戦争]以外ないわけです。私は何割かは真実が含まれていると捉えています。敗戦後アジアの独立のために戦った、旧日本軍人は個人として信念を貫いたのであって、その功績を奪い取るような言動が多すぎます。戦争の最高指導部にいた者たちは個としての彼等によって救われたのです。闘いに殉じた方たちを政治に利用するなどもっての他。

瀬島龍三を守っていたのは誰か、「単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません」この言葉の意味をもっとも理解していた方でしょう。


499:亀さん: 2016/05/11 (Wed) 11:14:35 host:*.t-com.ne.jp

飯山さん、皆様、ご無沙汰しております、亀さん@人生は冥土までの暇潰しです。昨日、大量の仕事が入ったため、来週の火曜日(5/17)あたりまで身動きがとれなくなりました。よって、その間のブログ更新はありません。それから…。


>>466 木枯し紋次郎さん

 木枯し紋次郎さん、上記投稿を読み、これは絶対に拙ブログに転載しなければと思ったのは、小生の人生の先輩である角田儒郎さんが著した、『日本の残光 大東亜戦争の意義と満洲帝国』(文明知性学協会)にある、「第二章 北方領土防衛の戦い」です。現在の仕事が一段落したら、同章を全てアップしたいと思います(忘れなかったらという条件です。今の愚生、寄る年波に勝てず、物忘れが酷くなったもんで…)。因みに、『日本の残光 大東亜戦争の意義と満洲帝国』の目次は以下の通り。

序章 歴史の再確認
第一章 インパール作戦
第二章 北方領土防衛の戦い
第三章 特攻と玉砕
第四章 志那事変とヴェトナム戦争 開戦~戦中の相違
第五章 志那事変とヴェトナム戦争 終戦の相違
第六章 関東軍への挽歌
第七章 満洲帝国の崩壊 建国の是非
第八章 満洲帝国の崩壊 日本の満洲経営
第九章 満洲帝国の崩壊 崩壊への転機
第一〇章 満洲帝国の崩壊 満鉄調査部と情報戦
第一一章 満洲帝国の崩壊 未完の満洲帝国
第一二章 日本が遺したもの
第一三章 大東亜戦争いまだ完せず

このあたり、以下に関連してきます…(笑)

>>486

> おそれおおくも…,おそろしい板になってゆく予感。亀様の心中や如何…。

亀様? 亀様って、何処の馬の骨…(爆)


亀様…、ではなくと亀さん@今朝も子の刻(深夜12時)に起床、そして今も仕事中…



490:louisx2: 2016/05/10 (Tue) 21:53:24 host:*.au-net.ne.jp

>475 飯山先生

誤りのご指摘、ありがとうございました。
遼寧省ほどの重大な地は頭になく、勉強不足でした。

北朝鮮が大日本帝国の・・・は真実なのですね。これがふに落ちれば全てが整います。涙が出ます。彼の国の心中いかばかりかと。。。どのような複雑な思いでこの祖国をみているのでしょうか。
でも、私などが想像もつかない裏の繋がりもあるのでしょうし、あの満州の地で日本のDNAが生き残ればそれも良しと思えます。

>474 たかひろさん
はじめましてです。掲示板と思えないDEEPさになってきましたね。
ここまでくれば逃げられない。毒を食らわば皿までペロリ(o≧▽゜)o

489:飯山一郎 : 2016/05/10 (Tue) 21:28:07 host:133.242.48.186

>>487 ちょっこし氏が先陣をきって,おそろしい情報をあげた…。まだまだ出てくるだろう。

487:ちょっこし : 2016/05/10 (Tue) 20:47:11 host:*.plala.or.jp

みなさん、こんばんは
飯山先生、木枯らし紋次郎先生、秘話歴史興味深く
ああじゃ、こうじゃと読ませていただいてます。

誰が瀬島龍三を護ってきたのか。 - hojorohnin's diary
http://hojorohnin.hatenablog.com/entry/2013/10/26/173640


関東軍密約説はソ連軍との停戦交渉時に、日本側とソ連側との間で密約が結ばれ、日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たのではないかというという疑惑です。

北海道代償説はスターリンは日本敗戦直後に米大統領トルーマンに連絡し、北海道の分割占領(留萌町から釧路市を結ぶ線の北東側と両市町を占領)を申し入れた。しかし、トルーマンはこれを一蹴した返書を8月18日に送った。このため「北海道の代償として捕虜をシベリアに送った」という、北海道半分の代償として労務供与したとする説である。

486:飯山一郎 : 2016/05/10 (Tue) 20:43:12 host:133.242.48.186

>>485 おそれおおくも…,おそろしい板になってゆく予感。亀様の心中や如何…。

485:飯山一郎 : 2016/05/10 (Tue) 20:41:18 host:133.242.48.186

>>483 >>484 やんごとなき御方と瀬島龍三の仲は,戦後も半端なかった…。

484:すでに爺 : 2016/05/10 (Tue) 20:28:39 host:*.bbiq.jp

大日本帝国最高指導部の承認

そのとうりです。「最高指導部」なのです。

483:木枯し紋次郎 : 2016/05/10 (Tue) 19:20:18 host:*.ncv.ne.jp

ソ連兵が最初に接した関東軍将校と、ソ連抑留に関わる密約>>>

これは現地派遣軍の将校によって決し得ることではありません。
大日本帝国最高指導部の承認があったればこそのことです。
あれだけの人員(60万人超)が長い人で11年も強制労働に服せしめられるわけがありません。

股、政府間の密約有たればこそ、日本国政府は今に至るも賠償その他の請求をしていません。
おバカが捕虜抑留を何とか遺産にとか言い出しましたがすぐ竜頭蛇尾に終わったのは
ロシア政府による真相暴露を政府が恐れたためです。


472:すでに爺 : 2016/05/10 (Tue) 14:44:40 host:*.bbiq.jp

中川美津子著[黄ばんだ雑記帳」という自費出版の薄い本があります。若い頃に読みました。
三井北高、三池高校で養護教諭をされたかたです。

http://www.miike-coalmine.org/data/koe/nakagawa.html


ソ満国境の開拓民であった方で、迫るソ連軍から逃れる途中、栄養失調と麻疹の感染で長男を亡くされます。野宿で命をつなぐ毛布を売って荼毘に付されました。

ソ連軍が参戦した時、関東軍が守るべき住民を置いて、まず逃げ出したことを悲痛な思いで「何故」と問うてありました。
沖縄戦がそうであったように、皇軍とはそのような軍隊だったとしか、私には判断材料がなかったのですが、ようやく謎の一つが解けました。ソ連参戦は早くに解っていて軍内部では逃げる準備をしていたのでしょう。開拓民を犠牲に。

昭和史の暗部で決して表に出ることはないと思いまが、Sputnikにはもう一つの謎を解いてほしい。参戦し国境を越えたソ連兵が最初に接した関東軍将校と、ソ連抑留に関わる密約です(出たら日本がひっくり返るかな)。

中川さんは次男さんを森永砒素ミルクで亡くされます。自らが飲ませたことの責任を生涯感じておられました。一人で被害者を訪ね、「砒素ミルク被害者を守る会」で活動わされました。「裁判闘争では、森永が九州大学の医者を巻き込み、五人委員会をつくり、介入してきた。事件発生から18年かかって、裁判はやっと 決着した」[弁護士の中坊公平さんがいたから解決したようなものです」と語られています。

満蒙開拓、引き上げ、森永砒素ミルク、三井・三池争議と昭和史を生きた一人の女性の生涯です。守る会で中川さんは千切り絵を、私は絵画を教えていたことがありました。中川さんの千切り絵は祈りの作品でした。

468:木枯し紋次郎 : 2016/05/10 (Tue) 07:00:44 host:*.ncv.ne.jp

引き抜かれた関東軍の主力は南方へ運ばれる途中ほとんどがバシー海峡で潜水艦に沈められました。およそ70%が戦地に達することなく鱶(フカ=大型のサメ)の餌食となりました。その鱶を採った日本人がカマボコにして食べました。故に船で南方に運ばれる兵隊を「カマボコ要員」と呼んでいました。


466:木枯し紋次郎 : 2016/05/10 (Tue) 06:55:35 host:*.ncv.ne.jp

ソ満国境を守る皇軍の華 関東軍はその兵力のほとんどを南方戦線に引っ張られてスカスカでした。
保有兵力はほとんどが現地徴兵の民間人に僅かの訓練らしきものを施しただけでした。
すでに戦力としては崩壊していたのです。
ですから現実に8月8日ソ連が参戦すると関東軍はあっという間に崩壊してしまいました。
予兆は2週間くらい前からあったようです。
私が小さいころ近所の婆様から聞いたところでは、その婆様が軍人家庭の子供と遊ぼうと家に行ったら誰もいなかったので、それを彼女の爺様に話した。
すると爺様は、家財は置き去り、家族一同を引き連れ直ちに孫ごを脱出、朝鮮の元山から船で門司港に帰って来たとのことでした。

465:堺のおっさん : 2016/05/10 (Tue) 06:40:10 host:*.ocn.ne.jp

安倍総理をはじめ大部分の日本人が理解できないこと。
http://jp.sputniknews.com/russia/20160509/2108051.html

ソ連参戦がなければ、日本は本当に本土決戦まで行っていたこと。そうなれば、何百万人の死者が増えたことか…。「原爆で戦争が終わった」という、70年にわたる刷込の中で、しみこんでいる歴史観。

アメリカは、オバマが広島を訪問することから、是正をはじめようとしている。
「原爆投下は、間違っていた。原爆投下なくとも戦争はすでに終わっていた。」と

それにしても不思議なのは、ペリリュー島、硫黄島、沖縄とアメリカ軍に対する未曾有の抵抗が、対ソ戦では一切なかったのは「不意打ち」であったからだけではなさそうだ。

ソ連の参戦は3か月以上前に予想されていた。日ソ間の条約が事実上反故にされていたことはこれまた、真逆の歴史観である。このこともスプートニクは報じている。

「日本軍は徹底抗戦する。」 ⇒ 原爆投下の正当化
「ソ連は条約があるから参戦してこない」 ⇒ 軍の無責任の正当化、いや、むしろ積極的に
「終戦」カードとして島嶼選での玉砕と正反対で、事実上の無防備を実行した可能性もある。

日本の敗戦はいつ決まったか? もともと「短期決戦ならば」と拙速(ここでは、素早く終わるの意味)を是とした作戦(山本五十六)がミッドウェーで破たんした時ともいえる。 あとは、いかに負けるかの3年にわたる日本内部の綱引きであったが、この視点での検証はない。

孫子も「兵は拙速を聞くも、いまだ功の久しきを賭ざるなり」(作戦篇)と言っている。短期戦で勝てないなら、やめとけ…と。日本も、ドイツも拙速を賭けて戦争に出たが、長期戦に引き込まれて、敗戦後はハートランド攻略の最前線として活用されることとなる。

日本とドイツは、アメリカが抑えなければならなかった。それは、ヤルタ会談のずっと前から決まっていた事なのかもしれません。

いずれにせよ、安倍総理が分からなくとも、日本人は大きく歴史観を変えていくようになるでしょう。その時、新日本人としての役割に責任を持って関われるようになる。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15711778






●山崎豊子さんが明かす瀬島龍三「不毛地帯」の真実 シベリア抑留で決して語らなかった“場面” ZAKZAK 2007/09/05


山崎豊子さん 激動の昭和史の中枢を“参謀”として駆け抜けた伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏=写真左=が4日、東京都調布市の自宅で老衰のため95歳で亡くなった。大本営陸軍参謀からシベリア抑留をへて、帰国後は商社マンとして航空機商戦で辣腕をふるった。山崎豊子さん(82、同右)の著した「不毛地帯」は、瀬島氏の波乱の半生をモデルにしたとされる。山崎さんが人気小説にまつわる秘話と、人間・瀬島龍三を夕刊フジに語った。

<中略>

 「まだまだ、あの小説は取材足らずだと思います。昭和の大事な生き証人を失いました。瀬島さんが話して下さらなかったことを、とうとう最後まで伺えなかったことが残念でなりません」

 山崎さんは、戦時中の経歴や自身について語りたがらない瀬島氏へ度々取材を試みたが、断られ続けた。ついに瀬島氏も「あなたの根気に負けた。そのかわり、負けたからにはちゃんと話します」と取材に応じたという。

 インタビューは100時間以上に及んだが、どうしても瀬島氏が答えてくれないことがあった。関東軍の将校が、最初にソ連軍と出会う場面だ。この席で、悪名高いシベリア抑留がソ連軍との間で密かに交わされたのではないかという疑問は、今でも歴史学者の中では根強く残る。

 「日本の捕虜をシベリア鉄道の枕木を一本一本敷くように、兵器として使いたいというソ連軍の申し出に関東軍は了承したのか」と聞くと、瀬島氏は「そんな覚えはない」。さらに踏み込もうとすると、「辛いから思い出したくない。これ以上いいたくない」を繰り返したという。

 「その点は昭和史をやっていられる方は疑問に思われるんですが、私も同様に疑問に思います。瀬島さんは、非常に頭のよい方ですから嘘をつくようなバカなことはなさいません。しかし、シベリア抑留の歴史的事実は話してほしかった」

 賛否両論で見られた瀬島氏だが、山崎さんは戦後日本に与えた一番の功績として、「商社マンとしての活躍は評価に値します」と締めくくった。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_09/g2007090525_all.html





●誰が瀬島龍三を護ってきたのか。 - hojorohnin's diary 2013-10-26 鈴木英輔

『正論』の創刊40周年を記念する2013年11月号に驚嘆させる論文が載せられている。佐々淳行氏の「瀬島龍三はソ連の『協力者』だった」というものだ。ご存知のように佐々氏は第三次中曽根内閣が創設した内閣安全保障室の初代室長を務めた人である。警視庁時代には外事・警備課長を歴任し、人も知る連合赤軍「浅間山荘事件」で陣頭指揮を取った人である。その人が内閣安全保障室長の職にあったときに、日米同盟関係を震撼させる事件が発生したのだ。1986年に発覚した東芝機械のココム規制違反の対ソ大型工作機械の不正輸出事件である。

 この不正輸出により五軸大型スクリュー機械を取得したソ連海軍はその手持ちの艦艇、特に戦略原潜のスクリュー音をなくすことに成功したのだ。その結果、米国海軍はソ連の戦略原潜の動きを探知できずに米国の安全保障をソ連原潜の攻撃の危険にさらされたという。このため、1987年6月28日には当時のワインバーガー米国防長官が直接中曽根首相に日本側のこの事件の対応の仕方に抗議に来日したのだ。その後の警視庁捜査の結果、ある人が浮上してきたという。その人物は、大東亜戦争のほぼ全期間大本営陸軍参謀として戦争の立案・遂行の中枢にいた帝国陸軍のエリート中のエリートであった。敗戦を満州で迎え、ソ連軍の捕虜としてシベリアに11年間抑留された後、1956年釈放され帰国し、1958年以降伊藤忠商事に勤務し始めた。そのキャリアは羨望の的であり、最終的には伊藤忠の会長として頂点を極めた人物である。その間、政界・財界に広く深く人脈を培い、天木直人に言わせれば、「日本のブレーンとしての瀬島龍三である」

 海部俊樹内閣の時に起きた湾岸戦争への日本の対応策を創りあげていく過程で、「ホワイトハウスと日本の中枢部を結ぶ線上に位置している」瀬島が果たした役割は、元NHK ワシントン特派員であった手嶋龍一『外交敗―130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫、2006年)に詳しく記録さtれている。1990年11月に「日米エネルギー委員会」の会合に出席する日本側ミッションの団長として瀬島は訪米していた。その気を利用して、ホワイトハウスで国家安全保障担当大統領補佐官ブレント・スコウクロフトと通訳意外二人だけで長時間に亘り会談している。

 その瀬島龍三を佐々淳行が自らの証言をも踏まえて「黒幕は伊藤忠の瀬島龍三氏であり、何らかの政治的社会的制裁を加えるべし」と直属の上司である後藤田正晴内閣官房長官に意見具申したと言う。佐々氏の証言は重い。「私はKGB 捜査の現場の係長もやった元外事課長ですよ。瀬島がシベリア抑留中最後までKGBに屈しなかった大本営参謀だったというのは事実でありません。彼は、『帰国したら反ソ反共を装い、ソ連の批判を慎み、日本共産党とも接触せず、保守派として成長し、大きな影響力を持つようになれ、そのときKGBが肩を叩くからソ連のために働け』、つまりスリーパーとしてソ連に協力することを約束した、いわゆる『誓約引揚者』です」と言明したのだ。さらに、佐々氏は、警視庁外事課ソ連欧米担当の第一係長(警視)という現場の任についていたときの話として、「ラストボロフ事件の残党狩り、落穂拾いをやって、ソ連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣・公園などで不審接触をした日本人又は外国人を突き止める仕事を毎日毎晩やっていました。そのような作業の過程で、不審接触をした日本人を尾行して突き止めたのが、当事伊藤忠のヒラのサラリーマン、瀬島龍三氏だったのです。外事の連中は当時からみな知ってます」と証言していたのだ。佐々氏のこのような詳細な事実を踏まえた説明を後藤田長官にして「長官の注意を強く喚起したのだが」何の指示もなかったという。佐々氏は「瀬島が事件に関わっていたことは限りなく濃厚なのに、なぜ本人のウソが最後まで世の指弾を受けることなく、今日まできてしまったのか、まったくの謎である」と吐露した.

 瀬島隆三に関しては不可解なことが多すぎる。大東亜戦争開戦時には、陸軍のほぼすべての軍事作戦を指導し、「昭和の最後の参謀」といわれた瀬島龍三だ。開戦直後に当時の実質上の最高意思決定機関であった大本営政府連絡会議において、「今次の対米英戦争および今後情勢の推移に伴い生起すべき戦争は、支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」と決定されたにも拘らず、瀬島は敗戦後「大東亜戦争」の意味は、「大東亜秩序を建設するための戦争であるから『大東亜戦争』と呼ぶというわけのものではない」と開き直り、「単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません。大東亜の地域とは、おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びにおおむね東経180度以西すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指すのであります。インド、豪州は含まれておりません」と敷衍していた(『大東亜戦争の実相』、PHP文庫(2000年)、23頁)。なんという無責任さ。まして、大本営陸軍参謀として意思決定の現場にいた本人が、大本営がこの対米英戦争を「大東亜戦争」或は「太平洋戦争」と呼ぶべきかどうか議論した、と云う事実を伏せたことは単なる失念ではないであろう。その議論の末、「大東亜戦争」を採ったということは、松本健一が言うように、「『アジア解放』の理念に重点が置かれ」たことであろう。だからこそ、アジアの欧米植民地の現地人指導者が「大東亜会議」にも出席したのだ。ドナルド・キーンが欧米の植民地支配からの解放をもとめ、自国の独立を戦い抜こうと決心していた植民地の現地人指導者たちの姿をリアリスティックに描いている。

   「日本人が東南アジアに作った政府は、よく『傀儡(かいらい)政権』と呼ばれ た。これは各政府が無能な人物によって率いられ、その主な仕事は日本からの命令を実行に移すことにあるという意味だった。しかし、当の『傀儡』たちの名前を一瞥すれば、この命名がいかに見当違いなものであるかがわかる。日本が支援したビルマ、フィリピン、インドネシア各政府の首脳(それぞれバー・モウ、ホセ・ラウレル、スカルノ)は、いずれも傑出した人物で、日本の敗戦後も各国で高い地位を維持し続けた。スバス・チャンドラ・ボース(1897-1945)は自由インド仮政府首班を自任し、インド独立のために献身的に働き、しかも断じて日本の卑屈な追従者ではなかった。これらの指導者たちは、いかなる困難があろうとも、日本との協力によって自分たちの国の植民地支配を終わらせることができると考えていた」(ドナルド・キーン、『日本人の戦争』、文芸春秋、2009年、50頁)。
<中略>

瀬島龍三と伊藤忠との関係は、どうも「日本は中国の属国として生きていけばいいのです。・・・それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と公言してはばからない丹羽宇一朗前駐中国大使と伊藤忠との関係と似ているような感じがするのは私だけだろうか。###
http://hojorohnin.hatenablog.com/entry/2013/10/26/173640






●「瀬島龍三はソ連の協力者であった」(正論10月号96頁~112頁より抜粋)より抜粋

東芝機械は親会社東芝と伊藤忠商事の強力な斡旋によりソ連への工作機械売り込みに成功したのであって当然、東芝と伊藤忠の社会的政治的責任が問われた。だが刑事責任の追及は届かず、東芝の佐波正一会長と渡里杉一郎社長が道義上の責任を負って退職したが、伊藤忠は瀬島龍三相談役一人が責任を負って特別顧問となる形で終億している。通産省の官僚たちもソ連側との会食に出たり、実験に立ち会ったり、この日米安全保障体制と国益を脅かす一大取引にかなり公的に関与していたことが捜査で明らかになった。中曽根総理も新聞の一面見出しに東芝らは「売国奴」と烈しい批判を踊らせたが、事件処理についてはあまり厳罰主義をとらず、通産官僚については「日本が国として関与していたことにならないように」とし、刑事処分はおろか行政処分の対象にもならなかった。
http://www.owaki.info/shiryo/okinawa/sassa.html





●瀬島龍三 - Wikipedia

ソ連との関係[編集]

密約説[編集]

ソ連との停戦交渉時、瀬島が同行した日本側とソ連側との間で捕虜抑留についての密約(日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たという)が結ばれたとの疑惑が斎藤六郎(全国抑留者補償協議会会長)らにより主張された。

瀬島は1996年の著書『幾山河』で「『密約説』を唱える人たちは、明確な根拠を示して欲しい」と述べている。また、瀬島は、停戦協定の際の極東ソ連軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキーと関東軍総参謀長秦彦三郎にはこのような密約を結ぶ権限がなかったと反論している[21]。またロシア側資料からそのような密約を証明できる証拠はペレストロイカの情報開示後も全く発見されてはいない[22][5]。

2002年に政治学者田久保忠衛がモスクワのロシア国立社会政治史文書館で「国家防衛委員会決議No.9898CC「日本人捕虜五十万人の受入、収容、労働利用に関する決議」(1945年8月23日付)を確認し、このスターリンが自ら署名した文書に「労働のためにやって来る捕虜の受入、収容、労働利用の実施を行うよう次の人民委員に命ずる」と強制労働命令について明記してあり、この文書によって極東ソ連軍の権限でなくソ連中央政府からの命令であったことが判明しており、密約説は否定された[5]。この命令の当時の背景にはスターリンの北海道北半分の占領要求をアメリカが拒否していたことあったとみられている[5]。

野地二見によれば、密約説とは、「瀬島ら関東軍参謀が天皇を助ける為のバーターとして一般市民を売ったと強制労働収容所の被害者に思い込ませ洗脳させるソ連の工作であった」と述べている[17]が、その根拠、証拠は示されていない。また、瀬島が著書『幾山河』の草稿を秦に依頼した際に、秦が瀬島に関する仮説に対する反論を注文したところ、瀬島は、「自身のための弁明はいさぎよしとしない」と抵抗したが、説き伏せ、シベリア抑留11年間の9つの収容所に滞在した期間の「抑留十一年の年譜」を作った[11]。秦はこの年譜をたどれば、スパイ訓練所は存在しないと証明でき、瀬島回想録の刊行後は「悪意ある流言」は消えうせたと述べた[11]。

ソ連スパイ[編集]

1954年の「ラストボロフ事件」の際、ソビエト連邦代表部二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが亡命先のアメリカにおいて、瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言した(ほかには朝枝繁春、志位正二、種村佐孝、平沢道則などの名前が挙げられた)[9][10]。このラストヴォロフの証言はアメリカやイギリスなどでも報道され、日本でもこの事件以降、瀬島をかくれ共産主義者で、ソ連工作員とみなす指摘や証言が松本清張[11]はじめ、多数ある[9][10]。

元警察官僚で初代内閣安全室長の佐々淳行は、瀬島が東芝機械ココム違反事件において工作機器のソ連への売り込みに協力したことが判明したことを受けて、中曽根政権の官房長官で警察庁時代の上司の後藤田正晴に対して瀬島の取り調べを進言した際に、「警視庁外事課時代に「ラストボロフ事件」に絡んでKGBの監視対象を尾行している時、接触した日本人が瀬島であり、当時から瀬島がソ連のスパイであったことは警察庁内で公然たる事実であった」と報告した。報告を受けた後藤田が警視総監の鎌倉節にたずねると、鎌倉は「知らないほうがおかしいんで、みんな知ってますよ」と答えたという[23]。しかし瀬島が当時中曽根康弘のブレーンとして振る舞っていたために不問にされたと証言している[24]。

また、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言し、「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いには「それはトップシークレット」とのみ回答している[25]。

「ワールド・インテリジェンス」誌の黒井文太郎は、コードネーム「クラスノフ」はKGB正式エージェントであるが「実名不記載。著名な財界人」として瀬島とは特定していない[26]が、國民新聞社の山田惠久によれば、1979年10月にレフチェンコ事件に関する記事によれば、レフチェンコはコード名「クラスノフ」の瀬島龍三と直接コンタクトを取ったことはないとしながらも、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコと瀬島が深い仲だと証言している[27]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89






●「昭和の参謀」瀬島龍三氏 日本兵シベリア売り渡し説の真偽│NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20150901_341012.html






●丹羽宇一郎 - Wikipedia

伊藤忠役員時代の発言等[編集]

作家の深田祐介は、かつて丹羽が伊藤忠商事の役員時代に面談した際、「将来は大中華圏の時代が到来します」と言い切り、「すると日本の立場はどうなりますか」と反問する深田に対し「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」と続け、「日本は中国の属国にならなくちゃならないんですか」と深田が聞き返すと、「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と繰り返したという[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%BE%BD%E5%AE%87%E4%B8%80%E9%83%8E






●文化大革命は黒歴史 - ネットゲリラ 野次馬 (2016年5月12日 14:11) | コメント(9)

文化大革命はおいらの中高校生時代で、おいらは短波ラジオで北京放送聴いてワクワクしていたんだが、アレがあったのでアメリカは中国に手を出せなかったわけです。今の中東みたいなもんで、当時のアジアは、アメリカの軍産複合体に引っ掻き回されていた。挙句に、ベトナム戦争からポルポトです。あの時代に毛沢東が鎖国的な政策をやってなかったら、改革開放とか言ってたら、今ごろ中国はアメリカの植民地だw


 中国南部・広東省スワトーで、経済や文化に壊滅的被害をもたらした文化大革命(1966~76年)の「悲劇」を伝える「文革博物館」が、地元当局によって封鎖された。
 文革開始から50年となる節目に共産党の「負の歴史」に注目が集まることを警戒したものとみられる。
 博物館は「歴史を鑑かがみとするため」として、スワトー市元副市長の彭啓安さん(83)を発起人に建設され、2004年に完成。館内では、毛沢東が発動した武力闘争などで1000万人が犠牲となったとされる文革の教訓を記した掛け軸などを展示していた。

ベトナム戦争でアメリカを潰し、東南アジアから追い出して、はじめて、中国は改革開放へと舵を切った。中国人は、それくらいにはアタマがヨロシイw
http://my.shadowcity.jp/2016/05/post-9372.html






●充電しなくていい電気自動車 - ネットゲリラ 野次馬 (2016年5月13日 03:31) | コメント(9)

レンジエクステンダーEVだそうで、簡単に言ってしまえば「充電しなくていい電気自動車」。まぁ、魔法じゃないんだから、ちゃんとタネも仕掛けもありますw 小さめのエンジン乗せてあって、それが定速で発電し続けている。走るのは、モーターの動力を使った電気自動車として。なんでそんな事をするのかというと、「エンジンは定速で動かすのが効率良い」からです。今までの自動車のエンジンというのは、加速や減速に合わせて、回転数、出力が大きく変動する。ところが用途を「発電」だけに絞れば、常時一定の回転数でまわせば良い。効率が良いわけだ。しかも、蓄電池が貧弱でも良い。米軍が開発してる軍用トラックなんて、電池ナシですw 電池ナシで、コンデンサーに蓄えた電気だけで動くw 電気自動車の最大のネックは、「電池が重い」という事なので、貧弱な電池で済むというメリットは大きい。また、内燃機関の最大のネックは「エンジンそのものが複雑で重い」という事だが、これも解消できる。発電用のエンジンというのは、今までの半分くらいの排気量で間に合う。エンジンが小さい、蓄電池も小さい、効率も良い、結果、ガソリン使って走るのは同じでも、燃費は物凄く良くなる。しかも、トヨタのプリウスみたいに複雑怪奇な特許のカタマリではない。


日産が「新型ノート」を発表。ハイブリッドを設定してくる。というニュースはお伝えしていますが、今回は、そのシステムが確定したという情報で、デザインイメージも。そもそも、日産は数年前に、電気自動車ではなく、ハイブリッドも拡大しますよ!と宣言していたのですが、今回は、そのシステムが確定したという情報で、デザインイメージも。
どうやら、日産らしく、電気自動車の技術をベースにしたハイブリッドシステムで、レンジエクステンダーEVと言われるハイブリッドEVを投入する事に決定した模様。
電気自動車やPHEVのように充電する必要はなく、ガソリンエンジンで発電するシステムで、基本は電気走行がベースとなるシステム。

2017年の夏に日産が売り出す「セレナ」に導入されるヤツは、2000ccのエンジンが1200ccになり、直列3気筒の発電用エンジンで109馬力のモーター動かすというから、なかなかカシコイ仕組みですw
http://my.shadowcity.jp/2016/05/post-9375.html





気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式 - Wikipedia








【私のコメント】

ネットゲリラが文化大革命について「ベトナム戦争に勝利して米軍を東南アジアから追い出すまでは、中国は鎖国的政策を取る必要があったからだ」と述べている。文化大革命は多数の知識人を迫害するなど大きな被害を中国社会に残しており、なぜ中国政府がそのような政策を採ったのか私は不思議に思っていた。ベトナム戦争期の米国では黒人公民権運動、先住民の抗議活動など、大東亜共栄圏の友軍である被差別有色人種の反乱が起きており、その結果白人文明至上主義、英語至上主義、キリスト教至上主義が否定され多文化共存主義が英語圏諸国を含めた先進国で採用されるようになった。英語圏新大陸国家もこの時期に新規移民の人種制限を撤廃して有色人種移民を大量に受け入れざるを得なくなった。また、大東亜共栄圏の友人であったケネディ大統領は米国をFRB支配から解放する為に政府紙幣を発行し、その結果恐らくFRBの命令で暗殺された。その弟も同じ理由で大統領選前に暗殺された。このような激しい世界大戦の時期に中国を国際金融資本・米軍連合の手から守るには鎖国政策が必要だったのだろう。

また、日産自動車がレンジエクステンダーEV(エンジンを発電専用に使い電動機で走る自動車)の発売を決定したことも注目される。これはディーゼル機関車で用いられる電気式を自動車に導入したものである。従来のハイブリッド車と比較して大幅に小型化・軽量化可能と考えられるこのようなシステムがこれまで発売されなかったのはやはり国際金融資本の圧力ではないか。ただし、定速運行の条件に限るとエンジンを駆動力に直結するシステムの方が発電・電動機というエネルギーロスが少ないとも考えられる。蓄電池を小型化したハイブリッド車という方向に今後自動車は進化していくと想像する。

さて、今日のテーマは瀬島龍三である。大本営参謀・関東軍幹部を経てソ連に抑留され、その後伊藤忠商事に入社して会長を勤めるとともに中曽根首相の参謀として政界にも大きな影響力を行使し、天木直人が「日本のブレーン」と評した彼についての記事が飯山一郎氏管理の掲示板に書き込まれていた。

私が一番注目したのは、1987年に発覚した東芝機械のココム規制違反の対ソ大型工作機械の不正輸出事件である。この不正輸出により五軸大型スクリュー機械を取得したソ連海軍はその手持ちの艦艇、特に戦略原潜のスクリュー音をなくすことに成功したのだ。その結果、米国海軍はソ連の戦略原潜の動きを探知できずに米国の安全保障をソ連原潜の攻撃の危険にさらされたという。そしてその売り込みに協力したのが瀬島であり、彼は従来からソ連のスパイであったことは警察内部で周知の事実であったというのだ。

一般的な日本人の常識では、敵国のソ連に重要な工作機械を輸出するというのは国益に反することである。しかし、実際には日本の敵は日本を軍事占領し属国として扱う犯罪国家米帝とそれを支配する国際金融資本であり、1953年のジューコフの反乱でソ連は国際金融資本から大東亜共栄圏に寝返って味方となっていたのである。米ソの軍事力の中で最も重要なのは潜水艦である。陸上基地発射の核ミサイル(ICBM)は基地を攻撃することで容易に破壊可能だが、潜水艦搭載の核ミサイル(SLBM)は潜水艦を捕捉できない場合は破壊不可能であり、一隻でも敵国のSLBM搭載潜水艦を破壊できなければその潜水艦によって自国の主要都市は消滅させられるからだ。米海軍潜水艦はソ連の潜水艦をその大きな騒音から完全に捕捉・追尾しており開戦時には即座に全て撃沈可能であったとされる。しかし、東芝機械の工作機械はそのソ連の潜水艦の騒音を消すことに成功した。これによって米帝の軍事力の優位は消滅したのだ。

このような重大な産業スパイ事件を主導した東芝・伊藤忠が重い処罰を受けず、通産省(当時)の役人すら輸出に関与していたというのは、日本が国策として敵国の米帝を倒す為に味方のソ連軍を支援していたことを示している。そして、ジューコフの反乱の3年後までソ連に抑留されていた瀬島は恐らく大東亜共栄圏へのソ連の寝返りに深く関与し、その後もソ連と日本の同盟関係を維持してきたのだと思われる。

もう一つ提示されている「日本兵シベリア売り渡し説」も恐らく真実だろう。ただ、ソ連に北海道東部を占領させることを諦めさせることの引き替えに関東軍兵士60万人(その多くが抑留中の劣悪な環境故に死亡した)を強制労働させることを認めるという取引は、北海道に陸上国境ができて日本とソ連が対立するという事態を避けるほとんど唯一の方法だったのではないかと想像する。そして、多くのロシア人を強制収容所で殺してきた当時のソ連政府最高幹部達(彼らの殆どがユダヤ系=国際金融資本系だった)は、日本兵をロシア人の代わりの労働力として日本政府に要求したのだと思われる。この日本人捕虜に対するソ連政府の非人道的扱いは明らかに国際法違反であり、それ故に1953年のジューコフの反乱でユダヤ人が政府から追放されるとロシア人達は日本人捕虜をすぐに日本に帰国させたのだ。ロシア人と日本人は共にソ連のユダヤ系政権の犠牲者なのだ。そして、この瀬島の行動は飯山一郎の掲示板で述べられているように天皇陛下の決断によるものなのだろう。余りに多くの犠牲を伴う苦渋の決断であり、それは天皇にしかできないと思われる。

原田武夫は「根元的な階層」=王族が今も世界を支配し続けているという。日本は表向きは民主主義だが、実際に日本を統治しているのは天皇陛下であり、その意味で実は大日本帝国憲法は今も存続しているのだと思われる。そして、天皇を補佐してきた「番頭格」の中で最高位であったのが恐らく瀬島だったのだろう。米軍ノルマンディー上陸でヴィシー政権が崩壊してドゴール政権が誕生した(ヴィシー政権関係者が多く参加したらしい)ように、今後米帝が崩壊し在日米軍が撤退すると日本国憲法が破棄されて大日本帝国憲法が正式に復活することだろう。

「誰が瀬島龍三を護ってきたのか」の回答は飯山一郎管理の掲示板の書き込みの通りである。天皇陛下に他ならない。伊藤忠商事は日本軍の後継組織であり、友軍のソ連や中国と協力して鬼畜米英を倒す為に社員達は働いてきたのだろう。「日本は中国の属国として生きていけばいいのです。・・・それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」という伊藤忠出身の丹羽宇一朗前駐中国大使の言葉は日本軍とその最高司令官である天皇陛下の意思を代弁している。

何度もブログ記事で書いているとおり、中国人の伝統的定義は「漢字を使う人」である。中国に飲み込まれない為に朝鮮とベトナムは漢字を捨てて独自の文字を使っている。漢字を使い続けている日本は、「広義の中国」の一部として生きるという選択をしているのだ。日本語は上海語や広東語と同様の中国語の方言に過ぎない。そもそも呉音・呉服などの言葉からわかるように日本は中国江南地方からの移民(呉・越などの滅亡時に上層階層が虐殺を避けて日本に脱出し、活火山大噴火で当時殆ど無人地帯であった九州など西日本に居住、弥生人になったのだと思われる)が中心になって建国された国なのである。皇族の先祖は呉の太伯で、その先祖は周の王室=姫姓なのだと思われる。それこそが大日本帝国の「万世一系」の真意だろう。そして、周の王室を尊重し「徳」による統治や「仁=思い遣り」を至上とする儒教の精神は中国では失われたが日本では国家最高理念として生き残り、皇室は男性皇族の名に「仁」の文字を使い続け、儒教、元号、皇帝という中国文明の最も重要な財産を守り続けているのだ。この日中の親密な関係を隠して国際金融資本を騙すために日中両国は対立を演じてきたのだ。

日本は今後、表向きは中国の近くの小国として目立たないように「属国」的に振る舞うことだろう。しかしながら、その裏では中国文明の財産の宝庫及び周帝国の末裔として中国全体に強い影響力を行使し、事実上コントロール=統治していくことだろう。そして、中国だけでなく大東亜共栄圏全体、更にロシアを含めた全世界をもコントロール=統治していくことだろう。それが原田武夫の言う「パックスジャポニカ」なのだ。

ロシア国家戦略の指導者であるアレクサンドル・ドゥーギンの著書「The forth politidcal theory(第四の政治思想)」には、その第四の政治思想が何かは明確には書かれていない。英語版の18頁には「共産主義思想の主題は階層であった。ファシズム思想の主題はムッソリーニ政権のイタリアでは国家であり、ヒトラーの国家社会主義では人種であった。自由主義思想(リベラリズム)の主題は、人々を集合させるあらゆるアイデンティティ及びあらゆる集団の構成員であることから人間を解放してばらばらにすることだ。」と残る三つの政治思想の主題が簡潔にまとめられている。国際金融資本はおそらく自由主義思想により国家・民族・言語・宗教・性別・階層などの概念を消滅させ、人々が団結して国際金融資本に敵対することを阻止することを目指してきたのだろう。そして、ドゥーギンの言う第四の政治思想とは恐らく「儒教」であり、その主題は「仁=思い遣り」なのだろう。国際金融資本滅亡後の世界を二分する二つの超大国である中露両国を日本は儒教の精神によって支配し、それを通じて全世界を支配していくのだ。






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116 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (上から目線のロシア人)
2016-05-14 09:27:08
http://jp.sputniknews.com/japan/20160514/2134488.html



未来思考で、行・こ・う・ぜ!
返信する
Unknown (Unknown)
2016-05-14 09:33:02
共産党の志位の大伯父と瀬島って陸軍の同僚なんだよね。安倍総理の祖父、岸信介とも満州国で繋がっている。満州国、大東亜共栄圏の末裔たちが理想を蘇らせようとしている。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-05-14 19:15:04

http://jp.sputniknews.com/science/20160514/2136474.html
 
 
===( 記事貼り付けここから)
 
歴史家、「第0次世界大戦」について語る

2016年05月14日 16:30(アップデート 2016年05月14日 17:01)

第一および第二次世界大戦に加えて、世界ではもうひとつ大規模な戦争があった。いわゆる「第0次世界大戦」だ。スイスの学者の発表をニューサイエンティストが伝えた。

約3200年前に勃発したもの。世界史では海洋民族の進撃として知られているものだ。

主要な戦いは小アジアの海岸部で行われ、「青銅器時代」の人々、およびヒッタイト人が参加した。

「第0次世界大戦」の鍵となる出来事はトロイの戦い。ホメロスの「イリアス」や「オデッセイ」といった古代の文書に記されているものだ。

===( ここまで)
 
 
オリンピックのゴタゴタ、そしてドーピング問題を意図的に
拡大している風にしか見えないロシアの動きが起きている中で
これらの記事が発信されることは、実に興味深いと私は考える。
 
 
返信する
Unknown (面白い発想だが)
2016-05-14 21:10:26
これまたすごい記事をありがとうございます。

瀬島龍三が終戦間際に関東軍参謀として赴任した理由は、この仮説を元にするなんとなくわかりました。勅命を帯びて赴任したと。てっきり、終戦工作がばれたのかと思いました。

これも妄想ですが、昭和天皇は関東軍を内地に戻すことを遅らせたかったのではないかと。西日本の陸軍の根拠地は広島です。広島は8月6日に原爆で跡形も無くなっている。こうした意味でソ連参戦は必要だったし、先に逃げても捕虜として内地に戻ってこなければ波乱の要素とならないなどと考えていたのではないかと妄想していました。

東芝ココム違反事件が米ソのバランスを崩す様な事件であれば、当然報復があったのでは。発覚したのは1986年ですが、実際の輸出案件は1985年以前です。これも妄想ですが、時期的に日航機墜落事故とつながるよう気がしてならないです。
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面白い発想だがさんへ (princeofwales1941)
2016-05-14 21:58:42
ココム事件の日本での発覚は1987年でした。記事訂正しました。下記のリンクによると1986年末に在日米国大使館が知ったとのこと。これが事実とすると日航機事故の後なので因果関係は微妙です。
http://www.owaki.info/shiryo/okinawa/sassa.html

瀬島の終戦間際の関東軍赴任は御指摘の通り天皇陛下の勅命によるものでしょう。

>これも妄想ですが、昭和天皇は関東軍を内地に戻すことを遅らせたかったのではないかと。

関東軍の主力は既に南方に引き抜かれていたとの情報もあります。また、日本はソ連参戦が無ければ満州国に政府を移転させて戦争を継続する計画もあったのでしょう。ただ、ヤルタ協定後にソ連参戦に備えて北朝鮮を満州国後継国家にする為に関東軍と本土の軍隊の管轄境界を朝鮮満州国境から38度線に移動させたとの情報もあるので、やはりソ連参戦は予期されていたと想像します。

http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/180.html
返信する
Unknown (面白い発想だが)
2016-05-14 22:40:37
>これが事実とすると日航機事故の後なので因果関係は微妙です。

米側といってもいろいろあるので微妙なところではあります。全くの妄想ですので。

>ヤルタ協定後にソ連参戦に備えて北朝鮮を満州国後継国家にする為に関東軍と本土の軍隊の管轄境界を朝鮮満州国境から38度線に移動させたとの情報もあるので、やはりソ連参戦は予期されていたと想像します。

これは全く仰るとおりです。朝鮮半島分割してという構想を考えてのことでしょう。米ソ対立を予見していのことか、米英の脅威から大陸を守るためなのかはわからないです。この命令が陸軍上層部から出ていたして、昭和天皇が知っていたのかは興味深いところです。

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月に変わって (Unknown)
2016-05-15 04:34:08
そこにもここにも舛添がいる。
まさか第4の選択があったとは。
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美少女戦士 (Unknown)
2016-05-15 04:55:45
ただのやらせに過ぎないな。
ファミリーにお金を流すための。
返信する
ようこそシルバニアへ (Unknown)
2016-05-15 05:06:51
そこはやらせが常態化したデタラメの世界
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Unknown (Unknown)
2016-05-15 05:19:07
正恩の意味や如何に
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