マインドフル・プラネット

北米ジャーナリスト、エリコ・ロウ発

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オバマ・フィーバー、白いシアトル、忘れられたインディアン

2008年02月15日 | Weblog
アメリカは大統領予備選の選挙戦たけなわ。先週末にはワシントン州でコーカスがあり、支援を求め、オバマ、ヒラリー、マッケインと有力候補がシアトルに勢揃いした。

ワシントン州の大統領選の仕組みは複雑で、投票用紙で投票場に行って投票する予備選とは別に、それぞれの候補支持者を代表して最終的には党大会に出席する代議員を選出するコーカス(党集会)がある。民主党の場合には、何人の代議員を得られるかというコーカスの結果が実質的な意味をもつのであって、予備選の投票結果は単なる人気投票に過ぎない。共和党の方はコーカスと予備選の結果を半々でみる。

木曜日にシアトルに行って、明日は候補が集まるわよ、コーカスには行くの?と叔母から聞かれ、初めてそんなワシントン州の選挙事情を知った。合衆国ならでは、選挙法は州によって異なるのだ。
調べてみると、オバマ候補はキー・アリーナで11時から選挙演説の予定。噂のカリスマぶりをこの目で見てみたかったが、金曜午後にはワシントン大学のクラスがあるので断念。出かけたアランによれば、18000人収容の会場におさまりきれない人々が殺到、それでも立ち去らず3000人が会場を包囲。凄い凄い熱気だったそう。オバマは外にあふれた人たちにまず演説してから中へ。その間、消防法違反黙認で階段までぎゅう詰めの会場は長い間待たされてもブルース・スプリグスティーンやローリングストーンズのミュージックにのって、和気藹々のムード。オバマのスピーチはパワフルでインスピレーショナル。まさにロックスターなみだったという。選挙演説など普通は2000人も集まれば大成功なのだから、オバマ人気は尋常ではない。

民主党、共和党と支持政党ごとに分かれて集まるコーカスの方は、なんだか中学校の学級員を決めるホームルームのようだった。私の選挙区の集会場は、教会だったが、ここにも予想を大幅に上回る千人近くが集まり、大混乱。きっと人が溢れると踏んで1時間も前に出かけたら、数人の選挙区党員が受付のデスクを並べだしたところで、地下や2階に椅子を動かしたりといった準備を手伝わされるはめになった。結局、ひとつの会場に収まりきれず、ふたつのグループに分けられ、まず進行の説明を受け、「国家への忠誠の宣誓」をさせられたあと、さらに小さな選挙区ごとにグループ分け。私の選挙区は、運悪く「外組」、屋内のスペースが足りず、教会の庭に追い出されての青空集会となった。そこで、オバマ、ヒラリー、決心できず派に分かれ、言いたい人がミニ演説をしたり、決心できず派を誘ったりしたあとで、両候補が獲得した人数を確認。その人数比率に応じて代議員を選出する、という仕組み。そこで選ばれた代議員は後に代議員の代議員を選び・・といったピラミッド式で、最後に残った代議員が全米党大会に出席、党の大統領候補を指名する。草の根民主主義の原点を見たようで、久しぶりに、アメリカも捨てたものじゃない、と思えた体験だった。

しかし、シアトルは白いなあ、とも改めて感じた。コーカスでまわりをみわたしても、黒人の姿は皆無に近く、一見して白人でないのは私だけかも、といったありさま。多人種の国といっても、ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市を除いては、アメリカはいまだに実質上セグレゲートされている。白人ばかり住む地域と
その他の「カラー」の人々が多い地域は、くっきり分かれていることが多く、環境が良く知識層が多く住む居住地を求めれば、周囲は白人ばっかりということになそる。

それにしても。今回の大統領選でも至極残念で憤りを感じるのは、ネイティブ・アメリカンの存在がまったく、まったく無視されていることだ。それは共和党候補であろうと民主党候補であろうと変わらない。黒人とラティーノは大きな票田だから、どの候補も気を遣い、気を引こうとするが、ネイティブ全米に散在、人口も総じて300万人といった程度だから、政治力になり得ない。だから、いつまでたってもネイティブには救済の手も資金も届かず、彼らがいちばん貧しく、いちばん環境汚染もひどい地域に暮らしている。どんなに「移民」「開拓者」がふんぞり返っていても、米大陸の正当なる地主は先住民族の人たちであることには変わりはないのにである。すでに米国人の10人の1人は幾分かのネイティブの血をひいているのにである。力づくで他民族の地を征服するのは、人類の歴史の常なのかもしれないが、民主主義、人道主義の国を標榜するからには、まず、自分たちの足元から見直して欲しい。そういう意味では米国はどちらの党が主導権を握っても、やっぱり盗っ人猛々しい国であることに大きな変わりはないような気がする。
白人社会はネイティブ社会のティーエイジ出産の多さや子だくさんを馬鹿にするが、産めよ殖やせがサバイバルの道であることをネイティブの人たちは本能的に理解しているのかもしれない。

コメント (3)
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ブログ交流も他生の縁

2008年02月12日 | Weblog
 ローランドの王様、コメントありがとうございました。
物書きにとっては、本を読んで下さった方からのこうしたご連絡は何よりの励みになります。発行部数も、それは売れるにこしたことはないけれど、私がこれまで学んだことを誠意をこめて書いたことが、たったひとりでも、誰かの何かのインスピレーションになれば、それだけでも報われたような気がします。

 王様のコメントは私に大切なことを思い出させてもくれました。
クリスマスイブの夜にずっと以前に亡くなった叔父の夢をみたことを、その息子である従兄弟に伝えなければ、と思いつつ、すっかり忘れていたのです。
叔父の夢を見て朝、目を覚まし、私はその日が叔父の命日であったことに気づき愕然としました。
 私の叔父は私が20歳のとき亡くなりました。子供の頃から私は、この叔父のことを親戚中でいちばんハンサムで好人物と思っていましたが、ずっと結核持ちで、時々血を吐いて倒れる叔父は子供にとっては不気味な存在でもあり、「おじさんの結核はうつらないから」としょっちゅう叔父の家に私を引っ張って行く母を恨み、意固地になって叔父の家に入るのを拒否して母が中で茶飲み話をしている間中、玄関に立っていたことさえありました。それでも叔父は気にした様子はみせず、いつもやさしい人でした。「大人」になるにあたり、そうした自分の態度を反省した私は、成人式の日には晴れ着を着て、ひとりで叔父さんの家に挨拶に行き、公式にお詫びをしよう、と思っていました、その矢先に叔父は亡くなってしまったのです。
 しかも、叔父が倒れ亡くなったクリスマスイブの夜には、私は大学の友人達と早朝までディスコで遊んでいて、朝になって家に「クリスマスケーキ買ってかえろうか?」と聞くつもりでのんきな電話をして、私からの連絡を待つために家に残っていた父に、叔父が急死し、母も親戚ももうみんな叔父宅に集まっているのだと告げられたのです。当時の流行だった淡いピンクのパンタロン・スーツを着たまま叔父宅に直行した私は、「えりちゃん、よく来たね」と迎えられ、なぜか、まず、茶の間に座らされお味噌汁を飲まされたのですが、喪服の親戚たちのなかでは文字通り浮き立っていて、最後の最後まで叔父不孝をしてしまったと、私は罪の意識は、しっかり私に心のなかに定着することになりました。
 「上手な死に方、死なせ方」を書いている間には、当然そうしたことも思い出され、あらためて心の中で叔父に謝ったりはしていたのですが、その後、引っ越しや日常生活の雑事にかまけ、叔父は私の健在意識からは消えていて、クリスマスにまた叔父の命日が巡ってくることはすっかり忘れていました。
 もちろん、罪の意識を抱えた私の潜在意識が、夢をみさせた、と考えることもできますが、私は、夢は叔父からのメッセージであったと思いました。私の気持ちは伝わっていることも叔父は夢で知らせてくれたのだのだと。そして、叔父は、叔父の家族に、叔父の魂がどこか別の次元で元気にしている、ということを伝えてくれ、ということなのだ、と。
 とはいえ、海外暮らしの長い私は従兄弟とも叔母とも疎遠のまま。彼らの死生観も分からないのに、いきなり、叔父さんの霊が・・などと連絡もしずらく、どう連絡したものか、と思い悩んでいるうちに、ぽろっと忘れてしまったのです。
 すべての偶然は必然、袖ふれあうは他生の縁。というわけで、王様のメッセージは叔父さんリンクを通じた天からの授かりものかもしれません。そういう意味でも王様、王様の叔父様、ありがとうございました。
 死者との交信で有名な超能力者のジョン・エドワード(政治家とは別人)によれば、死を経て人の魂は格をあげ人徳を増すので、亡くなった人の方は生前の恨み辛みは超越しているものの、この世に残された側は、後悔や罪の意識を抱えがち。
彼が、いつも言うように、皆さん、「チャネラーなどに頼る必要がないように、生きているうちに、しっかり愛する人とコミュニケートし、愛を伝えましょう」。

 この世を卒業されたすべての叔父さんのご冥福をお祈りいたします。



コメント (2)
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