1965年に日本と国交正常化した韓国。1970年代に日本人がツアーと称し「妓生(キーセン)観光」売春旅行が始まった。
韓国で、日本には農協と云う国があると噂されたころで、日本人売春ツアーご一行様を世界の農協と揶揄されたころの話です。
「朴正熙(パク・チョンヒ)政権は73年から売春婦に許可証を与えホテルの出入りを自由にし、営業することができるようにした。
また、朴政権は旅行会社を通じて『キーセン観光』を海外に宣伝しただけでなく、文教部長官は73年6月に売春を女性たちの
愛国的行為と奨励する」とまで発言した頃である。
日本人を相手にした「妓生観光」が盛んに行われていた頃、町の男たちは玩月洞の売春婦たちが通ると「チョッパリ(日本人の蔑称)」
と遊んでいると揶揄していた。
ソウル明洞(ミョンドン)の近くでも日本人相手の売春業者が大繁盛した。
済州道(チェジュド)も70~80年代、日本人を相手にした妓生観光が活発だった。
俗称「ダチ」と呼ばれるここの女性たちは斡旋元から連絡を受けてホテルで売春をした。
89年にソウル市警が、妓生パーティー営業が疑われる有名料亭を対象に一斉捜査(売春行為防止法違反)を行った。
ソウルで旅行会社の会長、料亭のマダム(女主人)、組織暴力団などが「円稼ぎ」売春を斡旋して拘束されることもたびたびあった。
日本から僅かな時間で行ける国。金曜日に出かけて日曜日の夜帰国。おそらく、初めての海外旅行はハワイか韓国だったかもしれない。
「日本人たちが韓国に『現地妻』を多く置いていた時代、しわだらけのジジィ殿が『かわいいね、かわいいね』と年若い韓国の娘たちに
貢いでいた時代である。
しかし、取締りが許可されるにつれ、新たな売春ツアー地台湾へ向かう日本人が多くなった。
1980年代に、日本人男性が海外買春ツアーを組んで押し寄せていた台湾が、「売春合法化」に舵を切った。
台湾の立法院(国会に相当)は売春について規定している社会秩序保護法の改正案を可決し、即日施行。
これにより、自治体が希望すれば「売春特区」(正式名称は「性工作専区」)を設けることができるようになった。
いわゆる赤線地帯の復活である。
もともと台湾では、日本統治下の公娼制度を受け継ぎ、戦後も台北の「華西街」などの巨大赤線地帯が繁栄、
全土で数千人ともいわれる公娼が働いていた時代である。
俗に言われた「酒家」遊びで、部屋へ売春婦を呼び、生バンドの台湾音楽や日本の歌謡曲を聴きながら
売春婦といちゃついていた時代である。
ところが、元人権派弁護士の陳水扁(のちの台湾総統)が1994年に台北市長に就任し、台北市の浄化運動を展開。
2001年に台北市の赤線地帯が消滅した。
韓国・台湾へ売春観光をした日本人が新たに求めたのがフィリピン共和国である。
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