波の中へ

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「塹壕からの電信:A.O.A編」最終回 その3

2017-06-24 01:48:46 | 塹壕からの電信:A.O.A編

The UnBlogable Farce: A Piss In The Entrenchment

 

Na-Mi-No-Na-Ka-Heという名のムーブメントが起こった。

Dead Kazumaと某138氏を謳ったそのアーティクルは評価を得ていかなかった。

仲間と別に生きるビリーのための家畜事業団体。

ヒラノ氏の非挨拶的方法によるPTA会長の意思表示で俚言と戮力を目指す。

Na-Mi-No-Na-Ka-Heはカミサウロ集落範囲に渡ってSFを追求する疑似体験をしてきた。

集落政、家畜差別、牛頭観音、近未来症候群、MS-12と分岐点が彼らの噂で広まった。

‘Kazuma is dead’は、今や抜粋になるのを躊躇うくらいだ。

Hidari Nakadake Migiteni…は彼らの何度も口にした早朝、再度と登山に反抗する歌だ。

Na-Mi-No-Na-Ka-Heは勧善の教えを施すキャンプ、川狩り、70周年記念式典や、

ヒルやヤゴへの強制飼育を援助したり、スキーの両腕的闊歩法にも辟易しなかった。

他人から蝋を借りてガビガビ山の雪温計測なんてことは決して露悪しなかったNa-Mi-No-Na-Ka-He。

Blogとしては目立たなかったが、強引吸込銭毒連袂屏は人耳を引いた。

陋見や連累なんかはこのカミサウロでは瞋恚の炎となるのだ。

試験場で場長たちが屠殺や兎肉絶味を叫んだところでたった一家族だけ、

それを慴伏しようとしないひとたちが衆盲象を評せざるを得なくなった。

Na-Mi-No-Na-Ka-Heはそんな侠客参加をきっぱりとはねつけ、子蛙鍋問題の動向を見守った。

新しい幼蜻蛉捕獲計画をこのムーブメントでは実施できなかった。

氷点下30度の中で俺たちが野糞をできなかったわけではなく、ヴィエタラウシの◯◯ラの手前、

「ウンペって何ですか?」とはちびりそうで聞けなかったのだ。

 

 



(前回)A.O.A編:最終回その2 からの続き


 



夕暮れどき、春の息吹が辺り一面にあふれている/

花は咲き匂い  鳥は喜びさえずっている/

ふわっとした若草の上では、幼い野生生物がたわむれている/

そばで見守る母親は、いかにも自信ありげに悠然と構えている/





このいわゆる「スポーツ」に参加する連中は残らず皆狂っている———

やつらは全員虐殺者である。

どうか、このむかつくスポーツを終わらせるのに役立ちたまえ———

これ以上続けさせることはできない。





これが、狩猟家の見物する光景なのである——

(ショッキングな)事の終始をやつらは眺めている…

にたにた…にたにた…にたにた…しながら…



 

 

MURDER IN THE WOOD

『森の中での虐殺』

 

キツネ狩り前日の晩には———キツネ愛用の地下トンネル、アナグマの巣穴、

排水路や下水溝といった抜け穴が塞がれる。

というのも、キツネの隠れるところがどこにもないようにしておくためである———

キツネの臭跡を追い、さらに仕留めるよう訓練された猟犬というのはゆっくりと走るものだが、

ものすごいスタミナが備わっている(ので、着実に獲物との距離を縮めていく)———

その結果、長時間にわたる追跡戦となる。

すなわち、キツネはへとへとになるまで疾走して逃げなければならなくなり———

その挙句に、キツネの体は容赦なく切り裂かれる。

猟犬の鋭い牙でずたずたにされるのである。

そしてそれは、自らを人間と呼ぶ狩猟家がじっと見つめる中で執り行われる。

偶然にもキツネがまだ塞がれていない抜け穴の入口をひとつでも見つけると、

(穴へ潜り込んで追い出す小形の猟犬)“テリア”係りが呼ばれる——

その担当は、閉じ込められたキツネの方へ自分の愛犬をけしかけ、それから抜け穴の土を掘り出していく。

さて、狩猟仲間は獲物を追い詰めると、キツネが息絶えて身動きしなくなるまでこん棒でぶん殴るか、

もしくは、キツネをずた袋に入れて一発食らわし、その後すぐにキツネを解放する。

つまり、狩り続行に他ならない。が、もはやキツネは疲れきって混乱し、打ちのめされて血だらけという有様である。

このいわゆる「スポーツ」に参加する連中というのは、完全に頭がいかれているに違いない——

やつら全員が虐殺者なのである。そんなことは廃止させようではないか、今すぐに

 

夕暮れどき、春の息吹が辺り一面にあふれている/花は咲き匂い——鳥は喜びさえずっている/

ふわっとした若草の上では、幼い野生生物がたわむれている/そばで見守る母親は、いかにも自信ありげに悠然と構えている/

 

 

すると、いきなりその母親が用心深く警戒し始める/不安でいっぱいになった鳥が、止まり木で歌うのを止める/

はるか遠くの野原でキツネ狩りの角笛が鳴っている/猟犬の吠え声が、あどけないちびっこたちを怖がらせる/

 

 

乗馬連中のための、とある楽しみが今まさに始まったところである/強行軍を強いられる馬は、休むことなくピシッとむちで打たれる/

馬にまたがった乗り手が着用する狩猟服というのは、深紅色である/死の合図———流血の前兆/

 

すぐに多くの動物が自制心を失うほど激しく恐怖する———森の生き物たちは命がけで逃げていく/ウサギが一目散に隠れ穴へ駆け出し、鳥が空へ飛び立っていく/

ハリネズミは丸まって、トゲだらけの小さなボールになる/キツネは自分の巣穴を捜そうと勢いよく飛び出す/

 

このいわゆる「スポーツ」に参加する連中は残らず皆狂っている———

やつらは全員虐殺者である。どうか。このむかつくスポーツを終わらせるのに役立ちたまえ———これ以上続けさせることはできない。

 

キツネは、猟犬の一群に居場所を突き止められてしまう/さあ、もう遅すぎる———キツネは引き返すこともできない/

ただ走り続けるしかない————猟犬の一歩先を逃げ続けなければならない/たった一度の愚かな方向転換や一時の見せ掛けは、キツネを死へ導くことになる/

 

乗馬連中は、歓喜に身を振るわせ、狩猟ラッパを吹いて後からついて行く/向こう側へ通りすぎる時、やつらは狩りへの期待が顔中に広がり、にやりとほくそ笑んでいる/

たとえ自分の行く手に生垣があるとしても、やつらは無理やり押し進もうとする/だからキツネが殺されると、やつらは必ず改善計画(次なる獲物)を用意するのである/

 

さて、キツネはもうクタクタである———ほとんど走ることもできない/けれども、キツネはその後もなお疾走し続ける——というのも、自分の住みかがすぐ近くにあると知っているからである/

ところがそこに着くと、キツネは急に立ち止まる/いつもの場所が、“人間”という嫌な臭いでいっぱいになっている。そのうえ、そこら中の穴という穴が塞がれているではないか/

 

何が何だかわけの分からなくなったキツネは振り向いて、もはや万事休すだと認める/猟犬は、追跡で燃やし続けてきた獲物への敵意をすっかり解き放ちながら、キツネめがけて襲いかかる/

鋭い牙で肉を噛むと同時に皮を切り裂いていく/これが、狩猟家の見物する光景なのである——(ショッキングな)事の終始をやつらは眺めている…にたにた…にたにた…にたにた…しながら…

 

 





【編集後記その1】

 

過去に洋画ビデオで、「キツネ狩り」に出掛けるシーンを映像の中で観たことがあるが、

その情景からだと、キツネ狩りという「イベント」に向かっているというような雰囲気しか感じられなかった。

あそこで、猟犬がキツネを噛み砕くシーンなどは本編に加えられるはずもなく、

映画の主人公側から見た視点なだけに、キツネという生き物を殺すといったところまでは全く感じられなかったという記憶がある。(映画のタイトルも思い出せず)

1990年代には、新聞でごくたまに「キツネ狩り反対法案」(英国)に関する記事を見かけたりしたが、

2000年代に入ってからは見落としかもしれないが、さっぱり見かけなくなった。

時代は多少移り変わっているとは思うが、それでもこの「狩り」について、少しでも興味を持つ人が増えてくれることを願うものである。

 

 

※次回、A.O.A編:最終回 その4 へ続く。

 

では、Cheers!

 

 


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