満天横丁に住まう妖怪のひとり言

満天横丁に住む満天と申します
最近、猫妖怪化してきており更新は不定期ですが…
ひとり言にお付き合い頂ければ幸いです。

耳袋秘帖 作:風野真知雄

2010-10-28 | 本の紹介
  

※過去記事はコチラからどうぞ~
「両国大相撲殺人事件」
「赤鬼奉行」

どうやら…「だいわ文庫」という所から、「文春文庫」へと移籍したらしい

今回も奇談集「耳袋」を書いた赤鬼奉行こと
南町奉行の根岸肥前が、自身が見聞きした不思議な話しを織り交ぜながら
江戸の町に起こった事件を解決していくお話しなのだが…

出版社が移転したからだろうか? なんぞ問題でもあったんじゃろうか?

主人公の赤鬼奉行を水戸黄門に置き換えると
その脇を固める「助さん」「角さん」の両名が、コロっと変わってしまっていた。

シリーズで行くと「妖談うしろ猫」で11作目となるのだが
10作目まで登場していた「坂巻弥三郎」と「栗田次郎左衛門」が、何のご挨拶もなく消え
11作目からいきなり「椀田豪蔵」と「宮尾玄四郎」なる者に取って変わられておった。

ちょっと驚いたので、本文もソコソコに「あとがき」を見たが、まったくのスルー(笑)
前作までの「坂巻と栗田」を結構気に入っていた私しゃ、ちょっとショックであった。

なかなか馴染めぬ二人の登場に、頭が付いていかずに混乱したが…

椀田は背丈が六尺(約180cm)。
剣の腕は立つが嫁に行かない姉がおり、この姉がまた怖い(笑)
母を早くに亡くし、姉に育てられた部分もあるので、頭があがらない状態。
幼少時に姉に驚かされた記憶があるので…幽霊が苦手である(笑)
根岸と共に幽霊ありな、このシリーズ。どうやって乗り切るんじゃろうか?
少々、意地悪く楽しみでもある(ハハハハ)

宮尾は手裏剣の名手。最近根岸家の家来となった。超が付く美男子である。
が…女に持てることこの上ないのに、なぜか美人に目もくれず
いわゆる「ブス専門」を貫いているところが、たまらなく面白い。
椀田の姉が宮尾に一目惚れしたようなのだが…美人ではない姉であったため
脈ありっと見られる(笑) 二人の行く末が気になるの~

お話しの殆どを引っ張る二人が変わってしまったので
話しが持つ雰囲気も少々変わってしまった感がある。
とはいえ、妖しい雰囲気をかもし出しつつ、不思議と思える事柄も
その裏側、真実の部分には「人」が居る。ってな話しの展開には変わりがない。

むしろ「新」と銘打てば、なんの違和感もなく受け入れてしまったかもしれない。

今回のシリーズでは、「闇の団体さん」が行脚している。
シッポは見えているが…なかなか本体が拝めない。
これ等と根岸が、どう決着をつけるのか? それも楽しみの一つとなった。

文章がシッカリとしている作品なので、江戸モノ作品に興味がある方は
必見な作品だと思う。

ところで「耳袋」と言うと妖しい話ばかりと思われるが、そうとも言えない
根岸が見聞きした、「このまま忘れるには惜しい」っと言う話が載っているのである。
内容も笑い話、英雄・豪傑の逸話、よく効く薬、人情話に教訓話と多彩で
有名になってしまった「怪談話」ばかりではないのだ

ちょっと笑えるのが「お金を貯める工夫のこと」

風雨や地震などがあると家来を呼び
「昨夜の嵐で屋敷にどれほどの損害があったか?」と尋ねる。
家来もそれに応じて『このような被害が生じ、修理には何十両かかります』と答える。
これを、修理したつもりになって貯金するのだ。
ばかばかしいようだが、贈答、冠婚葬祭、朝夕昼夜、すべてにわたり
このようなきまりを設けていたので、だんだん金が貯まるのだということである。

また、これから仕事を進めるにあたり、心得ておくことは何か?っと問うた者に
「すべて人に相対するときは身分の上下に関わらず、
ひとつ心で接することを心がけるべきでありましょう。
しかし、最も肝心なのはその際、真心をもって接することであると存じます」
っというような答えを出したとの逸話や

片目の妻を貰った夫が、つい、ケンカした折に妻の目のことをなじった時
「みめよきは夫の為のふた眼なり女房は家のかためなりけり」っと詠った
意味は…
妻の容姿が優れているのを夫は喜ぶものですが、
家の固め(片目)となることこそ本来の役目です
こんな風に妻に切り替えされたら、夫はグーの根も出ない(笑)

など、う~~ん、と唸るような作品も沢山載っている。

「耳袋」っと言えば「怖い話」っと現代では位置づけられているが
そうともいえず、現代でも十分に役に立つ話が載っているので少し勿体ない(笑)
機会があれば、「耳袋」を読んでみるのも面白いと思う

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かたみ歌 作:朱川湊人

2010-09-27 | 本の紹介
 新潮文庫

前から気にはなっていた本なんだが…
この表紙がの~(笑) タイトルと合体して見ると暗そうだし…
この本を読んだら泣くぞ!ってな雰囲気がバリバリだったもんで、避けておった。

私が想像していた内容は…
古き良き昭和の遺物である「商店街」が、近所に進出してきた大型スーパーの影響で
客足が落ち込んだのをなんとか取り戻そうと頑張ったが、力足りずに消えてしまい
そこにお涙ちょうだい的ドラマが、オマケで付いているってな内容だと考えておった(笑)

今考えると、あまりにも単純な内容を想像し過ぎておったの~(ハハハハ)

ところが、いつも遊んでもらっておるブログ仲間の「さくらどん」の所で
この本のレビューを読んでビックラこいた(笑)
私の勝手な想像と全然違う内容じゃん! だったのだ(ハハハハ)

※「小耳書房」かたみ歌レビュー

で、面白そうな本なので読んでみたいっと思って買ったのだが
いざ手にしてみると、やっぱり表紙からかもし出される雰囲気に負けて放置していた(笑)

そうしたらば、またもいつも遊んでもらっておるブログ仲間の「asagiどん」が
もの凄~く面白かったと、この本のレビューを載せておった(ハハハハ)

※「こどもの時間」かたみ歌レビュー

となると…雰囲気負けして読まないでいるのも、なんだか勿体無い(笑)
という訳で、やっとこ重い腰をあげ、読んでみた。(ガハハハハハ)

読了後の感想は…
「この雰囲気はたまらなく好き」であった。
ましてや私が勝手に想像した内容なんぞを遥かに超える面白さである。


連作の7つある短編の組立が、実に巧妙での~。
「アカシア商店街」と「覚智寺」という古びた寺の2点。
それと7つの短編ごとに登場する1点が結ばれ、魔のトライアングルを形成している。

この三角形は短編で登場する人物によって、その形を様々に変化させている。
話が起こった時間軸は過去、未来とバラバラなのだが少しも違和感を感じさせない。
むしろ小さな小道具で、それぞれの短編が繋がっているのを見つけたときの喜びなどは
昭和の頃に雑誌に付いて来ていた「楽しい付録」のようで、とてもワクワクした。

まず、商店街界隈へ引っ越して来たばかりの、小説家志望のヒモ男から話は始まる
我々読者も、引っ越の荷ほどきをしている彼と、1ページ目をめくる気持ちとが相互し
気が付けば、すんなりとアカシア商店街を中心とした小さな町に溶け込んでしまう。

次に近所の小学生たちの話へと移り、彼らの遊を垣間見ているうちに
車の騒音よりも、人々のざわめきや豆腐屋のラッパの音が響く昭和の音に包まれていた。

商店街にある酒屋の娘は、グループサウンズへの熱狂ぶりとは裏腹に
現実の恋に関しては臆病で、栞に託した小さな恋を育んでいた。
砂埃の舞い上がる道の片隅に可憐な花が咲いていた、あの頃の光景が目に浮かんだ。

スナック「かすみ草」のママは、女手一つで二人の子供を育てながら奮闘している
方や、不慮の事故で夫を亡くしてしまった女の末路との違いに、唖然としながらも
時代は移ろっても、人の本質には違いはないのかもしれないことを知る。

夢を追いかけ諦めなかった漫画家志望の男と、猫の不思議な関係を読み終える頃には
薄っすらとだがこの町に隠されている真実のバミューダトライアングルを感じてしまう

アカシア商店街で店舗前のスピーカから様々な曲を流し続けるレコード店「流星堂」と
亡くなった奥さんの名前を付けた古本屋の「幸子書房」。
そして、あの世との入り口があるとの言い伝えのある「覚智寺」。
この三角形がクッキリと浮かびあがってきた時、初めて読者は全てを理解するのだ(笑)

7つの短編にはそれぞれ不思議な話が盛り込まれている
傾向的にはホラーに属する話の内容と言ってもいいと思うのだが、そんなに嫌ではない。

最初は脇役かと思われた古本屋の店主が、一話ごとにその影を色濃くしていくので
なんとなくだが、朝から夕景までの商店街のありようを見ているようでウットリした(笑)

この小説は、実は絶版ギリギリの憂き目にあっていたらしい。
横ばい状態でしか売れていなかったこの本を、爆発的な人気本へと押し上げたのは
苦肉の策で付けた帯のキャッチだそうな。
大反響 いま売れてます
実力派 直木賞作家の真骨頂
なぜ、こんなにも心にしみ入るのだろう 涙腺崩壊。


マジか…?

私なんぞは「直木賞」「涙腺崩壊」で…読む気が失せておったが。。。(笑)



こちらの写真は、単行本の時の表紙絵。どちらの表紙絵も昭和を匂わせているが…
コチラの方が内容に合っているように感じる。
帯や表紙に色々な工夫をしなければ、なかなか本は売れない時代に入っているのかな

商店街のレコード店「流星堂」が流している音楽から、昭和30~40年代の話だと思う。
「シクラメンのかほり」「好きさ好きさ好きさ」「モナリザの微笑み」「ブルーシャトウ」
「黒猫のタンゴ」「いいじゃないの幸せならば」「圭子の夢は夜ひらく」「瀬戸の花嫁」
だいたいこの曲あたりでは、私は幼稚園から小学生であった(笑)
最後の短編に出てくる「心の旅」「赤とんぼの唄」は中学生頃か。

幼稚園の頃から高校生まで、私の住んでいた町にも商店街があった。
この商店街。実は、あなどれない。ここでの行動は必ず誰かが見ている。

幼稚園の頃、迷子になった時も
小学生の頃、親のサイフからお金をチョロまかしてアイスを食っていた時も
中学の頃、初めて男子と二人っきりで下校した時も
誰かが見ていて必ず親へとチクられた。恐るべし「商店街!」である。

作者は1963年生まれだと言うから、この小説の昭和40年代の頃でもまだ2歳だと思う。
誰かに聞いて書いた話のせいか、ちょっとだけ商店街の寂れ具合が早すぎる感じがした。
こんな風に寂しげな風が商店街に吹きだしたのは、昭和50年代の半ば頃あたりからである。
それまでは何処も一緒だと思うが、そりゃ~活気に溢れていたし五月蝿かった(笑)
新しい住民も古くからの住民も、一言も声を掛けられずに通り過ぎるなんざ無理である。

ま、でも…そんな違和感も、ちょっと不思議な雰囲気を巧く出すエエ味になっておるがの。

ああ、しかし…あの中学の頃、一緒に帰った先輩は…私の初恋だったのに…。。。
商店街のオバちゃん達よ! 今だから言うが、
「あれはソッとしておいて欲しかったゾ!」

つまり…アレがあったので、この本の商店街の絵を見て…読む気が失せておったのだ
(アハハハハハハハ)

面白かったので見かけたら、表紙と帯に負けずに読むべし(笑)

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カラクリ荘の異人たち 作:霜島ケイ

2010-09-10 | 本の紹介




久々に「ライトノベル」を読んだ(笑)
「ライトノベル」とは…中学~高校生向けに書かれた娯楽小説だと言われているのだが
変に文学を気取った小説よりも、面白いものがあるので侮れない(ハハハハ)

父親が再婚し居場所を失った太一は、父の知り合いがやっている下宿屋へ向かう。
目指すは賽河原町にある「空栗荘(カラクリ荘)」

ところがバスを降りたところは、人の住む世界の隣にある異世界であった
魚人があらわれ、ムジナがカッポし、カラスまでもがしゃべる(笑)

そして、そんな世界と繋がっていたのが「カラクリ荘」なのである。

主人公の太一は過去に傷持つ身なので、感情表現が下手だし、人付き合いも苦手。
じゃあ、最近見かける引きこもりか?っといえばそうでもない。
根は単純で心優しい。だから頼まれれば嫌とは言えないし、約束も律儀に守る。
きっと何ごともなくスクスクと育っていれば、元気で明るく活発な子であったろうと思う。
でもね。それがマイナスだとは誰にも言えない。
トラウマがあったからこそ、人に優しく出来るし、誰かが傷つくのが嫌いなのだ
そしてトラウマを自分で乗り越えた時、きっと太一はイイ男になる。

そんな太一君の心の成長に「カラクリ荘」の不思議な住人と
ちょいとお隣の世界の妖怪たちが適度な距離を保ちつつ見守る、ってなお話しである(笑)

平成のお話しなのに、そこかしこに昭和のニオイがする。ミョ~に懐かしい。
文章の流れも安定感があって読みやすく、最近の作家さんのニオイがしない。
不思議だの~っと思っておったら、なんと作者の霧島さんは私と4歳しか違わなかった
さもありなん(アハハハハハ)

ノホホ~ンとした筆の運びが私のリズムと合ったのか
10時間足らずで4冊読みきってしまった(ハハハハハ)
もともと読むのは早いが、この歳になってからのこのスピードは久々である。

この本の表紙絵を描いた「ミギーさん」素敵な絵を描くの~
「天羅万象」というサイトに彼女の絵が沢山載っておった。
なにか彼女の絵を見ていると、ホンワカして気持ちがエエ。

一巻目の表紙の太一はコチラに背を向けておるだろう
二巻目になると、少し戸惑いながらもコチラを見ておる
三巻目で女の子の肩を借りながらもぎこちなく笑い
四巻目では大いにひとり立ちしながら笑っておる

つまり、こういう流れのお話しなのだ(ハハハハハハハ)

実は私も何人もの継母との付き合いがあったから、太一と似たり寄ったりな性格であった
私の場合は、アチラの世界との繋がりがなかったもんで…(笑)
コチラの世界の友人に救われたんだと思う。

もちろん同世代の友人達が、私の精神のケアまでしてくれるハズもないので
何が因となり、私は立ち直れたんだろうか?っと考えてもコレといった話が浮かばない
幸いなことに私は太一と同じく、本来は脳天気な性格だったもので
キラキラとした青春時代を送っておる友人達に囲まれて
あれこれと思い悩みカラに閉じこもっている自分がアホらしく感じたのかもしれん(笑)

ただ…このころの写真を見ると、確かに笑いがぎこちない(アハハハハハ)
今振り返ってみれば、これも一つの青春なので笑いながら眺めておるがの~

今現在両親の離婚問題等で思い悩んでいる諸君も大勢いると思う
ぶっちゃけ子供にゃ何も出来ない。受身体制を取るしかないのだ。
ソコはあらがっても仕方ない(笑)

ただ一言だけ。「なんでも両親の離婚のせいにして…逃げるな」それだけじゃ。

結局、自分で乗り越えるしか手はないのだから(笑)

何かのせいにするのは楽だが、それではソコから抜け出せなくなる
なによりも現状から脱出したいっと願っているのは自分なのだから

それを誰かに引っ張りあげてもらおうたって、そうは問屋が卸さない
自分が怒っておれば周りも怒り出す
自分が笑っておれば周りも笑うもんぞ
つまり、結局は自分自身で乗り越えるしか手はないのだ

私が親に振り回されていた時間は17年であった
今私しゃ50歳(笑)33年間は親から離れて楽しく過ごしておる
たかだか17年で人生棒に振っちゃつまらん(笑)

本当に面白く、また爽やかな本であった
この本もブログ友の「さくらどん」からお借りした
四巻で終わりなのだが、続きが読みたいとか思ってしまっただ(アハハハハ)

機会があれば是非一読あれ。ホント、ええ本じゃたよん(笑)


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「MOMENT」「MISSING」 作:本多孝好

2010-08-24 | 本の紹介


大学生の僕が掃除のバイトをしている病院では、不思議なウワサが水面下で流れている。

余命いくばくもない病人の前に、黒い服装に身を包んだ御仁が現れ
「一つだけ」願いを叶えてくれるらいしってな話だ。

ある日僕は、ひょんな事から一人の老婆の願いを聞いてしまった。

その後この病院には、例のウワサに尾ひれが付いた。
「一つだけ願いを叶えてくれる人は、どうやら掃除夫の恰好をしているらしい」っと…。

さて、ホンモノの請負人は誰なのか? それをする目的は…?

本田氏は1971年生まれだと言うから、この話を書いた時は31歳か…若いな。
でも、この人の若さは侮れない(笑)

多分人は、突然「死」と対峙すべき環境に直面しない限り
30代では、ここまで「死」について考えられないだろうっと思う。

最近ようやっとこの歳になって、「死」について色々考えるようになった私でも
「ほ~~」っと唸る場面が、この作品には多々あった。

「死」がテーマになっている以上、重い空気が流れて当然なのだが
若さゆえの「サッパリ」とした文脈が、レース越しに風を受けているような…
そんな柔らかさがこの作品には漂っている。それに、根底に優しさがあるのもエエな。

ホンモノの死が目の前にぶら下がっている「巨匠」と呼ばれる年代の人達が
「死」をテーマに書いた作品よりも、水が濁っていない分、スーっと体に染み込んだ(笑)
しかしあれだの、ナゼに歳を取ると作家ってのは文章に粘りが出過ぎるのかねぇ~
書きたいことが沢山ありすぎて、それを整理する頭脳がおっつかないのかね。

ま、それはともかく(笑)
この作品の続き「WILL」が出ているそうな。前作から7年経っている。
7年経って彼の「死」に対する考えに、どんな変化が見られるだろうか?
ちょっと楽しみな作品である。

「MOMENT」、良い作品に出会えて幸せであった。




「このミステリーがすごい!2000年版」のベスト10に入ったそうな。
短編集なので実に読みやすいが…これ、ミステリーかぁ~?と読了後に思った(笑)

「眠りの海」は、なんか文章が硬いな~っと思ったら、デビュー作だった。
小説推理新人賞を受賞した作品。ほらね、やっぱりミステリーじゃなかった(ハハハ)
最近はあれかね? 少し分類に困ると何でもミステリーに入るものなのかね。

「蝉の証」でのセリフ。
一年に一度でいい。一分でも一秒だっていい。自分が死んだあと、
生きていた日の自分を生きている誰かに思い出してほしいと願うのは、
そんなに贅沢なことなのかい? 死んだ途端に、はい終わりじゃ、
だって、あんまりにも寂しいじゃないか。


主人公の祖母が言ったセリフだが…好きと嫌いにハッキリ分かれるセリフだな。

私はバー様の孫の中で一番下っぱである。
バー様がこの世を去ったのは、私が22歳の頃だから…私が80歳で死んだとして
バー様没後58年は、私の思い出の中で彼女は生きている。
私自身は子どもを持っていないので、姪や甥の思い出の中に薄く残る可能性もある
それが嬉しいもんだろうか。

生前ウチのバー様は別なことを言っていた。

「いずれみんな死ぬんだべさ。
でも、アンタの中に私しゃ居る。アンタの子どもの中にも私しゃ居るのさ。
そう考えたら人間み~んな繋がっておる。なんも寂しいことなんぞないさ。
バーちゃんが死んだら、絶対に幽霊になって出てやっから。
楽しみだべさ。色々二人で実験するべ。
ほしたらバーちゃん、あの世さ行って楽しく暮らすから
バーちゃんのことなんぞ忘れて、お前も楽しく暮らせ~」

彼女が亡くなる少し前に、実に可愛らしい程度にボケたもんで
孫との約束を忘れて、一気にあの世とやらへ行っちまった(笑)
怖いけど…幽霊になって出てくるのを待っておったんだがの~

思い出して欲しいと願う前に、
思い出さずには居られないほど一生懸命に生きるべきだと、私は思う。
それほど、私のバー様はインパクトがあった(アハハハハ)

この短編集は確かに面白い。どの作品も読んでソンのない作品ばかりだと思う。

ただ、でも、読後の感覚が冷え切ってしまう
それはどの短編の登場人物たちも、冷えているからじゃないかと感じた

自分が関わり、目の前に問題があるのに、まるで第三者のように覚めた目で見
他人事のように遠くから眺めているような…そんな登場人物たちの冷めた態度が
今時を感じさせてナゼか虚しい

誰一人として、一生懸命じゃないのだ。
だから上のようなセリフが出てくるのかもしれん。

ストーリーに古臭さを感じるわりには、昔の作品のような熱さがないので
違和感を感じてしもうた(笑)

もう、一生懸命ってなのは古いのかね~~。
確かにゴルフの全英オープンでリポーターをしたアノ方ほど熱いと…うっとおしいけどの
(アハハハハハハ)

でも、暑い夏には、もってこいの作品かもしれん
心がヒュ~っと冷えたからの~(ハハハハハハ)

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生き屏風 作:田辺青蛙

2010-08-03 | 本の紹介


作者の名前、読めるかね? 私しゃ思いっきり「タナベ アオガエル」と読んでおった
シャレで付けた名前かの~とか思ったもんでの(ハハハハハハ)

どうやら京田辺市に在住し、蛙好きってことで決定したペンネームらしい
本来「タナベ セイア」と読むそうな~(笑)絶対に読めん!(ハハハハハ)
ちなみに…女性だそうな。


村はずれに人間に良く似た妖鬼の「皐月」が住んでおる。
村に悪い気や物の怪が入ってこないようにと、目を光らせておる。

ある日、村にある大きな酒屋から使いが来る。
「死んだはずの奥方が…あの世から舞い戻り、家の屏風に取り付いた」と言うのだ。

へ~~~~~~。そりゃ~見てみたい!っと思ったのは私だが…(ハハハハハ)

使いの者が「奥方の相手をし、退屈を紛らわせてほしい」っと頼んで来たのを
皐月は、ちょっと嫌がる。

村を守っているハズの「皐月」に対し、酒屋から来た使いの者は恐れる風もなく
また、あり難がる風もなく、むしろちょっとした「こずるい人間」を出してくる
「ガオ~~!」と脅して人間を撃退するかと思いきや
皐月は渋々と出かけて行くことにする。

死んだ奥方が、家の屏風に乗り移り「酒を持ってこい」とか「美味いもん食わせろ」だとか
あ~だ、こ~だと家人をこき使う(笑)
いっそのこと屏風を縄で縛って押入れにでも入れたらエエのに、とも思ったが
それが出来ない「家庭の事情」とかがあるらしい(笑)

さても妖しとしては若い「皐月」は、どうするんじゃろう??ってなお話しと

皐月の先任者であった猫に化けた妖怪が、人間の男に一瞬の夢を与えた「猫雪」
ホレ薬を作って欲しいと言う少女に、恋多き狐の妖怪を紹介する「狐妖の宴」
など、3編が収録されておる。

リズミカルでノホホ~ンとした文体に、怖さは微塵も感じられないが
そこそこ気持ちが安らぐのはナゼだろうか。
人と妖しがこうも巧く付き合える世界なら、少し参加してみたくなる(笑)

私が育った北海道の地にも妖怪は沢山居た。
元はアイヌ民族の伝承なので、日本語の妖怪という言葉が当てはまるかどうかは解らん
有名ところで言えば「コロポックル」。
アイヌの人達が北海道に移住してくる以前に住んでいた先住民族だったらしい

さて、それとは別に先に住んでいたアイヌ民族に疱瘡を司る神と共に訪れた我等和人。
沢山のアイヌの人々が疱瘡で死ぬのを見たアイヌの神が疱瘡神と戦い
最後の最後に打ち勝った神が、水死して生まれたのが「ミンツチ」と言う妖怪である。

私が育った地域の、そばに流れる石狩川に住んでいた。

形状はカッパと変わりない。北海道全域に広がる河童伝説の「祖」じゃないかと思う(笑)

豊漁も司るが、年に数人川へ引きずり込み水死させるので困ったもんじゃと考えた人々が
「もそっと、上流へ行ってくれねぇ~べか」とお願いしたところ
あっさりと上流へ引っ越してくれたそうだが、それと同時に魚も採れなくなったらしい

確かに私が生まれた頃には「ミンツチ」は既に引っ越した後だったようで
生活用水に汚染された石狩川には、魚の影なんぞまったく居なかった(笑)

それでも川は氾濫し、年に数人死亡者を出していたもんで
上流にデッカイダムを作り、高い堤防も作り、生活用水を浄化し
私が成人するころには、人が溺れることもなく、シャケが遡上する綺麗な川となっていた

多分…世界中で一番信用の置けない私の父が言うことだから、まったく当てにはならないが

石狩川の堤防がまだ低く土で出来ていたころ
氾濫した川の様子を見に行った父が、川の真ん中あたりで濁流をものともせず
ボ~っと立っておる人影を見たとか言っておったことがある。

その後その人影は、ジャボジャボと川を渡り向こう岸へ渡ったかっと思ったら…
フっと消えたそうな。

バー様を筆頭に家族全員「そりゃアンタ。誰か溺れてたんだべさ」と考えたが
行方不明になった人は居なかったそうだ。

だいたい、河が氾濫しそうじゃっと聞くと…わざわざ危険な川へ出かけていく男性がおるが
こういう時こそ「ミンツチ」がテグスネ引いて待っておるのかもしれん(笑)

あんまし最近暑いもんで、川にまつわる妖怪の話をしてみたが…
はて、涼しくなったかの?(ハハハハハ)

私が育った頃は、既に妖怪の類は奥地へ引っ越してしまった後だったが
それでも時々は里へ現れておった(笑)
今、彼らは何処でどうしておるんじゃろう? なんて思っていたら
しっかりと人間に混じって会社経営しておる(ブワハハハハハ)

まさか、そんな会社に就職するとは思いもせなんだがの~~~(笑)

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雷の季節の終わりに 作:恒川光太郎

2010-07-21 | 本の紹介


恒川氏の第12回「ホラー大賞」を取った作品「夜市」の以前のレビューはコチラ「夜市」

買ったは良いが、ズ~っと本棚の中に積まれておった。人んちの読書レビューを読んで
「この本…なんでだか知っておるの~」なんぞとボーっと考えた。
そりゃそうだ。買っただけで満足し、すっかり忘れておった作品だ(ハハハハ)
しかも「カミナリ」を「雪」と読み間違え「暑いから雪の本でも読むべ~」思ってしもうた

※そんな私にこの作品を思い出させてくれたレビューはコチラ

グーグルアース」なんぞを見ると、ある部分だけポッカリと何も記載されていない場所がある。
上から見られちゃ困る場所なんだろうけど、見えないとなると…見たくなるのが人情である

そんな半透明地帯に「穏(オン)」がある。
日本の山奥で、結界めいた空気に守られた秘密地帯である

「穏」の中では明治初期頃の普通の生活が営まれている。
田舎の農村らしく少し変わった因習が根付いているが、それとて頭を悩ませる程ではない
ただ年に一度、えらく盛大に雷が鳴る季節が来ると、村人が何人か消えるらしい。

村の片隅で姉と二人で暮らす「賢也」は、雷の季節に姉を失う。
姉が消えてしまったその日に、賢也には「風わいわい」という憑き物がつく
雷の季節に姉を失ってしまった事、賢也には何の後ろ盾も無い事
それに加えて妙な憑き物が憑いてしまった事がバレれば、村人たちから阻害されてしまう
幼心にそう考えた賢也は、「風わいわい」のことをひたすら隠す。

村のはずれには「墓のまち」があり、墓場の入り口には「墓守」が居る。
墓守は悪しきモノが村へ入るのを防いでいると言う。
と同時に、村の住人が勝手に村の外へ出るのも防いでいるようだ

賢也は時々眠れない夜など、この墓守と話をしに行く
大人でも怖がって近寄らないような場所なのだが
賢也には「風わいわい」が憑いているせいか怖くないのだ
この頃になると、賢也は「風わいわい」と会話が出来るようになっていたが
不思議とコチラも怖くは無かった。

そんな賢也がある事件に巻き込まれて、村から出なければならない状況となる。

さて、「風わいわい」とは何なのだろうか?
なぜ、この村は外の世界から隔離されているのだろうか?
賢也の姉は? 雷が鳴る村で人が消えるのは何故か? 

っと言うような内容なのだが、角川のホラー文庫から出ているわりには、怖くない(笑)

しかし、日本全国暑いの~~~~(ハハハハハハハ)
こんなに夏って暑かったかい?
昨日も昼過ぎに車で銀行へ行ったんだが、車が古いせいか、暑さが厳しいせいか
エアコンが全然効かんかった(アハハハハハ)

こんな暑い日が続くと、雷でも鳴って雨がド~~っと降らないかな~とか思ってしまう。

子供の頃も、大人になっても、雷が鳴るとチョットだけ心が躍る。
怖さのドキドキと、何かが起こりそうなワクワクと(笑)

これから雷の鳴る季節を迎えることとなるが、雷ばかりを見上げておると…
アナタの後ろに迫る、黒い影に気が付かないかもしれん。。(アハハハハハハ)

気が付いたら違う世界に迷い込んでいた、な~んてことにならんように
雷が鳴ったら、チロっと後ろを振り返ることをオススメするだ~~(ハハハハハハ)

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楽園 作:宮部みゆき

2010-06-28 | 本の紹介


「模倣犯」で犯人ピースに翻弄され最後まで戦い、そして勝利した
あのフリーライター前畑滋子の9年後のお話。

あれだけ大きな事件を扱ったフリーライター前畑は、
結局のところ本も出版せず、あの9年前の事件について何も語らずにいた。
知人の経営する小さな出版社に身を置き、細々と仕事を続けていた前畑の元へ
ある日、萩谷敏子という主婦が尋ねてくる。
「死んだ息子の描いた絵を調べて欲しい」というのだ。
彼女の息子「等」の描いた絵を見た前畑は愕然とする。
等の描いた絵の中に、9年前のあの事件の現場である山荘の絵があり
そこには、警察と前畑しか知りえない物が描かれていたからである。

等には何らかの超能力があったのだろうか?

さらに前畑が等の絵を調べていくと、
最近ワイドショーを賑わせていた事件の現場が描かれている絵があった
蝙蝠の風見鶏の付いた家の床下には、少女の死体が横たわっている絵
しかし、等はこの事件が発覚する前に交通事故によって亡くなっていたのだ
どうやって、等はこの事件のことを知り得たのだろうか?

事件の現場である土井崎家は火事により焼失した
火事現場にたたずむこの家の主、土井崎夫婦は自分達の住んでいた床下を指差し
「家出をしたと言っていた長女の茜を、自分達が殺し床下に埋めた」と供述する
しかし、娘を殺害してから既に16年の月日が流れており時効が成立していた。

等の能力の裏づけを取るために、沈静化しつつある事件を掘り下げていく前畑は
土井崎家のもう一人の娘、殺された茜の妹である「誠子」と会う。
誠子もまた、両親がなぜ茜を殺したのかという疑問を抱えており
それを前畑に調べて欲しいと依頼してくる。

一人息子を交通事故で亡くし、悲しみのなか、息子の遺品を調べているうちに
息子には、誰にも言えなかった秘密の能力があったらしいと感じた母。

16年ものあいだ、共に生活していた家の床下に、家出したはずの姉が埋められており
その姉を殺害し埋めたのが両親であったと知った娘。

9年前の事件を引きずり、あの事件について語ることも書くことも出来ずにいる前畑

放っておいても害はないが、絶えず喉元に掛かる小骨のようなそんな出来事に心を縛られ、
前に一歩を踏み出せない女性3人。三者三様の心の動きが絶妙に描かれている作品である。

読んでいるうちに、「もう、いいんじゃないの?」っと思う場面が何度かあった。
なぜそこまで前畑が固執し調べるのかが解らなかった。

9年前の事件もそうだが、今回の出来事も彼女は本にする気がない。
どこに発表するわけでも、誰を救う訳でも、何の益になるわけでもない。
それなのにナゼ彼女はこうまで固執し、調べを続け、全てを明らかにしようとするのか?
そんなことをズ~っと考えながら、読んでいた。

最たる理由の一つは…「自分の為」なんだろうな。

9年前、「模倣犯」を読んだ時、実は前畑のことが好きになれなかった。
自己中な行動が多くみられ、むしろ嫌いな部類に入る人だったと記憶している。

今回の前畑は、やっぱり自己中的な要素も残っていたけれど
「自分の為」に動く彼女を、そんなに嫌いじゃないと思った。
私が歳を取ったことと、なにか関係があるのだろうか?(笑)

最近私も先を見据える年齢となり「まず、自分のために生きたい」っと思う気持ちが
強くなったからかもしれん(ハハハハハ)

「模倣犯」を読んでいなくても、読める作品ではあるが
「模倣犯」を読みたくなる作品でもある。
すっかり「模倣犯」の内容を忘れていた私であったが、チラっと読み返してみたくなった

でも…「模倣犯」って…もの凄く、文章量が多いのだ
しかも、大判の本なのに上下二段に分かれて書かれておるので字が小さい。
9年前は、この程度の文字でも何の苦もなく読めていたんだの
少し老眼気味になって来た今の私の目には、可なりシンドイ(笑)
この先、こんな文字をまた読めるようになる日が来るんじゃろうか???

気力が快復したら、また読んでみたいもんだ(アハハハハハ)

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ぼんくら 日暮らし 作:宮部みゆき

2010-06-15 | 本の紹介
 

「ぼんくら」は2000年の4月に発売されました。
それから5年「日暮らし」は2005年の1月に発売されています。
そりゃ~ワクワクして読みました。が…スグに本を閉じました。
それはナゼかというと、「日暮らし」は「ぼんくら」の続きだったからです。

「ぼんくら」を読んだ時に、こんな面白い本は無い!っと感動したもんでしたが
月日の流れと加齢は残酷なもので、5年の間にすっかり内容を忘れてしまっていました。

まず、もう一度「ぼんくら」を読まねば意味が解らん!っと思ったのです。
ただどちらも単行本だと「上・下」巻の2冊で出版されています。
ちょっとした時間に余裕がなければ、一気に読むことができません。
「ぼんくら」をせっかく読んでも、またぞろ「日暮らし」を読むのに間があいちゃ~
この私の「ぼんくら頭」じゃ付いていけません(笑)

っと言う訳で、この本は楽しみにしつつも、本棚の奥に積まれた状態で眠りに入ってました

それから気付けば5年。しばらく宮部作品に触れていなかったせいか…
私の中で宮部中毒なる症状が現れてきました。
この機を逃す手はありません。少々溜まっていた宮部作品を一気に読むべく本棚を漁り
ちょっと忘れていたこの作品を手に取ることとなりました(笑)

お話しは、お江戸の時代とあいなります。
主人公は、ちょいと馬面な40歳も半ばの同心「井筒平四郎」であります。
彼には美人な奥方がおりますが二人の間に子はおりません。
家督の問題もあるので、甥の「弓之助」を跡継ぎに…というお話が持ち上がっております
この「弓之助」。大変、美しい。しかも頭脳は明晰。
ん~。同心なんぞにして良いものだろうか?ってなお子でございます。

それと同心「井筒平四郎」の見回り先である「鉄瓶長屋」の面々
煮売り屋の「お徳」、官九郎というカラスを飼っている「佐吉」

あの有名な岡引「茂七親分」の一の子ぶんである「政五郎」
政五郎の下で働く「三太郎」通称おでこ。弓之助と同じ年齢ながら記憶力が抜群で
私なんぞは、おでこさんの爪の垢でも煎じて飲ませて欲しいと思ったくらいです。

そんな面々が「鉄瓶長屋」でおこったある事件から、「んっ?」「へ~」「あっ!?」
ってな具合にお話しが進みます(笑)

もちろん「ぼんくら」だけでお話しは一度終わっております

では、「ぼんくら」と同じメンバーが違う事件を解決するのが「日暮らし」かい?といえば
それは違います。
「ぼんくら」で明かされなかった「秘密」が「日暮らし」で徐々に解明されて…

ま、そこは物語を織り成す名手である宮部氏の技が光る部分でもありますです(笑)

宮部氏のお話しは、マジックショーのような雰囲気がありますので
あまりネタバレをしては、彼女の技が霞んでしまいます。それほど絶妙な技なもんで(笑)

ところで先にも述べましたが、鉄瓶長屋に住まう「煮売り屋」のお徳さん。
彼女が大鍋で丁寧に作る煮物にゃ~参りました(ハハハハハ)
見回りの途中でフラ~っと立ち寄っては、たっぷりな汁を吸った大根やらコンニャクやらを
「ハフハフ」言いながら頬張る井筒のダンナにゃ、嫉妬すら感じましたもん。
「ああ~一度でエエ。お徳さんの煮物が食いてぇ~」ってな言葉が、
私の頭の周りをグルグル回りやした(ハハハハ)

「ぼんくら」で煮売り屋だったお徳さんも、「日暮らし」では少々手を広げます。
彼女の作る料理を頭の中で想像するだけでも、そりゃ楽しい本でございます。
お徳さん特製の料理の数々、是非、レシピなんぞ教えてくれんかの~とか思いました(笑)

どなたが読んでも間違いのない作品だと思います。文庫化もされております。
ぜひ、ご一読を。面白いですよ~~(笑)

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吉原花魁 (角川文庫)

2010-06-10 | 本の紹介


吉原は、私が男として江戸時代に生まれたら、行ってみたい場所の一つである。
それほど興味がある場所だが…
だからといって女で江戸に生まれたとして、ココでは働きたくはない(笑)
男にとって快楽の場であっても、女にとっては苦界そのものだからである。

江戸幕府が出来てほどなく、現在の「日本橋人形町」に「吉原」が出来た。
吉原誕生から20年たち、江戸そのものが大きくなったため
吉原のような町を江戸の中心に置いておくのもなんだな~ってことで
浅草の北にある浅草田園と呼ばれていた、現在の台東区千束に移転する。
だいたい我々が吉原っと言うと、ココのことである。土地は以前の1.5倍となり
遊女の数も増えに増えて、ピーク時には7千人と言うから大したもんである

まず、四角く堀が掘ってあると思ってくだされ。
大門から中に入ると右手に「四郎兵衛会所」という番所があります
遊女が逃げないように見張っている番所なので、遊びに行く分には怖くはありません。
大門に立って正面の道が「仲之町」
右側手前から「江戸町一丁目」「揚屋町」「京町一丁目」
左側手前からは「伏見町」「江戸町二丁目」「堺町」「角町」「京町二丁目」となり
とっついの堀川が「おはぐろどぶ」となります

最上級の遊女が居るお店を「大見世」次が「中見世」
一分女郎専門が「大町小見世」二朱女郎専門が「小見世」、最後に「切見世」
だいたい金のない貧乏人は、大門を入って「大見世」の前を指をくわえて通りすぎ
おはぐろどぶ界隈の店にしけこむのが常でやんす(笑)

遊女ランキング第一位は「太夫」。でも、太夫が活躍したのは最初の吉原の頃で
吉原が移転してからは大口顧客の大名の衰退もあり、太夫と呼ばれる人は少なくなります。
第二位は「格子」見世の格子内で着飾って座っている姿を映画とかでよく見るあの人達。
ここまでが「花魁」。
時代にもよりますが「太夫」と呼ばれる者は、吉原全体でも3~4人程度しかおりません。
「格子」で60人前後ですから、やっぱり花魁は飛びぬけてエエ女だったのでしょう。

そんな「花魁」のお話しを、隆慶一郎・平岩弓枝・宇江佐真理・杉本章子・南原幹雄
山田風太郎・藤沢周平・松井今朝子らが、それぞれの筆をふるっているのがこの作品です。
みなさん、時代小説の名手であるだけにどのお話しも大変面白い。

最近好きな作家さんで「宇江佐真理」さんがおります。
この人の名前と「平岩弓枝」さんの名前を見つけて買う気になった本でしたが、
他の方の作品も甲乙つけ難いほど面白かったです(笑)

えてしてアンソロジー作品というのは、買ってみたはよいけれど…
気に入らない作品の一つや二つもあるもんなんですが、それがなかったのに驚きます

江戸時代の男女比率は、圧倒的に男性の数の方が多い。
地方の農村部では「間引き」なども行われていたので、男性の方が多くなったのだろうか
お店に勤めている男性は、主人の許しがなければ嫁ももらえない状況にあったので
独身男性が多く、こういったところが繁盛したのかもしれん。

現在の日本では、40歳くらいまでは男性の方が女性よりも人数が多いのだが
中高年過ぎあたりから、長寿力のある女性の方が男性を数で上回る(笑)

二大政党を目論んでおったはずの民主党が、いざ与党となってみれば
なんの準備も勉強もしておらんかった事がモロ見えの昨今。
本当にこの国を、男どもに任せておいて良いもんだろうか???っと思ってしまうほど
「強い男」が消えてしまった(ハハハハハ)

中高年婦女子よ。我等は数で男よりも多いのだ。
吉原などに見られる積年の恨みつらみを晴らす好機は今なのかもしれん
そろそろ日本も女性の総理大臣を迎えてもエエんじゃないかの~(アハハハハ)
政権交代ならぬ性権交替。選挙権は圧倒的に女性が握っておる。
だって、若い男女は投票所なんぞにゃ行かんもんの~(笑)

強い女も居たが、圧倒的多数が虐げられていた吉原の本を読んでいる時に
総理大臣がお辞めになるニュースが流れ、フっとそんな思いが湧きあがりました(笑)

しかし…何度見ても、今回お辞めになった総理大臣は…ナマズに似ておるの~~
ナマズってヤツは、泥臭くって食えないがの(笑)

日本の総理大臣とかけて 吉原ととく
その答えは 
長居が出来ない


吉原も日本の総理の職も、財力と権力の後ろ盾がないと、居続けは難しいんだの~(笑)

っということで、お後がよろしいようで~(ガハハハハ)

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新・御宿かわせみ 「華族夫人の忘れ物」 「花世の立春」 

2010-05-19 | 本の紹介
「新・御宿かわせみ」←以前のレビューはコチラ

平岩弓枝さん原作で、昭和48年から続いている。
江戸の情緒を見事に描いた作品に、ファンも多い、またファンの年代も幅広い。

タイトルに新と銘打つ作品から時代は明治へと移る。
江戸の頃のお話しで活躍した面々の子供らが、様々な事件を解決する。




「御宿かわせみ」の昔っからの主人公「神林東吾」は、現在行方不明中である。

明治に入る前に殆どの主要人物を、読者のあずかり知らぬ部分で殺してしまい、その子供達の活躍をツラ~と書いている「新・御宿かわせみ」であるが…どうせなら神林東吾も行方不明なぞと宙ぶらりんな状態ではなく、はっきりと死んだのなら死んだと明記して欲しいなっと思ってしまう(笑)

それとも、沈没した船から見事脱出し記憶を失い新たな家庭でも築いていて、ある日ひょっこりと現れるつもりなのだろうか?
それとも、沈没船唯一の生き残りが現れ、東吾の最後の雄姿を語り遺品でも持ってくるのであろうか? それとも…このままウヤムヤ状態で話は進み、そして…終わるのであろうか?
どちらに転ぶか解らぬヤジロベイのように、落ち着かない設定に読者も、登場人物たちも振り回されている感が拭えない。

さて、今回この「華族夫人の忘れ物」では、あまりにもアッサリと「神林麻太郎」の出生の秘密が暴露されてしまった(アハハハハ)
麻太郎は、東吾が酒に酔った勢いで出来てしまった子である。その後、妻の「るい」との間に娘の「千春」が生まれる。よって麻太郎と千春は異母兄弟である。
麻太郎の母親が亡くなってしまったので、彼を東吾の兄夫婦が引き取り嫡男とした。戸籍上は麻太郎と千春は従兄弟であるが、千春は自分と麻太郎には血の繋がりが無いと思い、淡いがそれでもハッキリと麻太郎へ恋心を抱いておった。

知らぬは「千春」ただ一人ってな状況であった。あまりにも切ない。
千春は取るものもとりあえず家を出るのだが…そこで事件に巻き込まれる。結局、兄の麻太郎、その友人の畝源太郎に助けられ大団円となる。
千春の心は晴れぬまま、お話しだけが終わってしまった。

これである。今までの「御宿かわせみ」で流れていた爽やかな風が凪いでいる。風が吹かないので思いだけが滞り、重苦しく溜まっているのだ。読んでいても気持ちが悪い(笑)

本当は、作者の平岩氏は何も書かずに「御宿かわせみ」を終わらせたかったのではないだろうか?

昔のお話しです。そりゃ登場人物の皆さんは既に鬼籍の人です。誰だって死んでしまうんです。それでもどうなったか知りたいと皆さんおっしゃる。だから書きました。
悩みの半分以上は解決なんぞしません。そりゃ、作家は本の世界では神様です。何でも出来ます。東吾を生き返らせることだって、何だって。でも、それをしちゃ、御宿かわせみじゃありません。皆さんだってそう思っているはず。違いますか?

そんな感覚をヒシヒシと感じてしまった。
読者に媚びない作家の本を読むと、正直疲れる。でも、それだからこそ、御宿かわせみだとも言えよう。なら…最後まで付き合おうか・・私も好きモノじゃの~(笑)




盗賊一味に襲われた麻生家は、当主の宗太郎と娘の花世だけが生き残った。先にも述べたがこの「新・御宿かわせみ」では、殆どの主要人物、特に壮年部が何かしらの形で亡くなっている。生き残りメンバーは「麻生宗太郎」と主人公だった神林東吾の兄「神林通之進」とその妻「神林香苗」そして東吾の妻「神林るい」である。

多分、平岩氏は練りに練ってこのメンバーを残したのであろう。そんな気がしてならない。

だからこの先きっと、なんらかの形で残されたメンバーが大きな波と対峙し、またその波に次世代の子供達が真っ向勝負を仕掛けるような、そんな雰囲気を感じてしまう。
大きな波とは、麻生家の一家惨殺事件ではなかろうか・・・。

この「花世の立春」では、その麻生家の「花世」が結婚した。
お相手は、麻生家の事件を追っていて賊に殺された南町奉行所同心「畝源三郎」の息子である「畝源太郎」であった。明治になったから結婚出来た二人である。そうでなければ身分が違い過ぎ、この恋は成就しなかったであろう。

元将軍家御典医であった天野家の長男として生まれ、その後旗本の麻生家に婿入りした医師「宗太郎」の娘「花世」は、世が世ならお姫様である。下級武士である同心の家に嫁入りなど出来る身分ではない。時代が変わったことと、花世自身が新しい物事を吸収する柔軟な心を持った娘だから叶った祝言だと言える。
現に、婿である源太郎、一生の不覚か…花世に逆プロポーズされてしまった(笑)

花世は、元々がお姫様育ちだった事と、英語の勉強、及び文明開化をスポンジのように吸収することに前向きで、当時の女性としては最先端を突っ走っていた。
そんな訳で、源太郎の嫁になるために必要な「掃除」「洗濯」「料理」の知識がまるでない。そんな花世の先走り行動を、御宿かわせみのお馴染みのメンバーが暖かく見守るのである。
でも…花世の言った立春までは、7日しか無かった。相変わらず突っ走る花世である(笑)

この話はテンポも良く、平岩氏ならではの筆さばきで読んでいても楽しかった。が…やっぱり花世の花嫁姿を亡くなってしまった色んな人に見て欲しかったし、もっと立派な祝言も挙げてやりたかったというような思いが華やかさにブレーキとなる。
手放しで何につけても楽しめない重さがあるな~。

一日も早く、麻生家の事件が解決し、東吾の消息も解るといいなと思う。それが解決しないと何時までも薄く霧が立ち込め、本当に息苦しい~~(笑)

※今回は携帯から読まれている方もいらっしゃるようなので…改行をあまり入れずに小説風に書いてみた。だが、これではPCからは読み辛いか…(笑)
あちらを立てればコチラが立たずだの(アハハハハハ)
そっか・・平岩氏もあちらを立てればコチラが立たずの状態なのかな~(私と平岩氏では余りにレベルが違うが、フとそう思った…笑)

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