散歩写真をBGP(Back ground Photo)に
日々の徒然、主にたべもの。
わたしの居場所~M's Lunch Boxes



我が家のアイドル onちゃん。
ただいまーと手を洗う時 なんとなく目を合わせて微笑んでしまう。

サテ

新たなものにトライする、取得する…を美徳のようにして生きてきたけれど
それなりに年を取って 失うということにも対面しなくてはならないこともある。

以前 実に音楽的な生活を送っていたころ
同席した才能あるカップルが
「目が見えなくなるのと 耳が聞こえなくなるのと
もしも 選ばなくてはならなくなったらどうする?」
「もちろん 耳を残す。音楽があれば大丈夫」と語っていたのをふと思い出す。

当時はわたくしも音楽人間だったけれど
そこまで即答できなかった。
やっぱり 本を読んだり物を書いたりするのも捨てがたかったから。
そのあたりの優柔不断さもあって 音楽からほとんど遠ざかってカレコレ?年。

いまのところ 近くのものを見るのに不自由さを感じるようになったものの
聞くことも見ることも楽しむことが出来ている。

では 話すことはどうだろう?
わたくし おしゃべりは大好きだけど 
黙っていなさいって言われれば ずーっと黙っていることもがまんできる(と思う)。
特に 新しい環境では 数ヶ月間は「寡黙な人」と評価されてきた。
3か月くらい馴染むと「印象変わった」と言われること多数。

でもそれは いつでも喋ることができると言うのが前提。
喋らなくてもいいことを喋らないのは 苦痛ではないから。

先日、父が声帯の手術をして 声を失いました。
高齢だし 他にも合併症があるので手術自体に耐えられるのかという問題もありましたが
本人は完治を望んだので手術を選択。
80歳過ぎてなお 生きることに貪欲なのには こちらも驚きますが
筆談もできるであろうし 今はメールもあるし…という気持ちもありました。

シカシ

術後の不快感の中で 意志がつたえられないと言うのは
想像していた以上のストレスでした。
筆談も はやる気持ちと術後の衰弱でままならず
なかなかうまくいきはしません。達筆過ぎて読めない。
実は できるできると言っていたメールも いやぁ もともとあやしかったみたいです。

とはいえ 複数のリスクで脅かされた割には
今のところ 術後想定内での回復を見せているらしい。
そのことに感謝しながら 春に向かって(病院のある)谷根千通いがしばし続きます。

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