山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

松島海岸と日吉山王神社

2009年04月21日 | ドライブ
松島の海岸を散歩しました。

すぐ近くでウミネコを見ることができました。
観光客が恐る恐る、手渡しでお菓子をあげていました。




海岸では賑やかな太鼓の音が、響き渡っていました。
フェリー乗り場周辺の広場では、日吉山王神社のお神輿が担がれているところでした。

お神輿は瑞巌寺山門方向と船着場をグルグルまわってましたが、やがて御祈祷が始まりました。
日吉山王神が山から降りてきて、海上安全を願ったのでしょう。



日吉山王神社は広場から南西方向の小高い山に位置し、1トンのお神輿を三十数名の氏子さんたちで担ぎ、広場まで来たそうです。
お話ししてくれた氏子さんのお顔は真赤で、汗だくでした。


あとで調べてみると…
日吉山王神社は、慈覚大師によって五太堂北側の地に祀られ、瑞巌寺住職雲居禅師によって、現在の地に移されたようです。
平成18年8月18~20日の三日間には日吉山王神社、五太堂、三世聖堂の三十三年ぶりの御開帳が行われたとか。

五太堂へ渡る橋は、足元をよくみて渡らないと、コケそうです。



瑞巌寺の山門をくぐると美しい杉木立が連なり、静寂な時間が流れます。



岩を削った石仏もあり、海岸の開放感から一転したそこは、心鎮まる祈りの参道です。



瑞巌寺をゆっくり拝観してみるのもいいかもしれません。



日吉山王神社
天長5年(828)慈覚大師が延福寺開創の折、比叡山の鎮守である近江坂本の日枝社から分霊勧請、神輿を先頭に来松し、五太堂北側の地に社殿を造営・安座致したそうです。
寛永17年(1639)には、時の瑞巌寺住職雲居禅師によって、現在の地に祀られました。
現在の建物は、宝永7年(1710)仙台藩五代吉村公の造営で、三間社流造りの本殿が宮城県文化財に指定されています。
神仏分離後の現在も、日吉社は瑞巌寺の鎮守の一であり、その祭典には雲水も神輿丁として氏子と共に1トンの神輿をかつぎます。

五太堂と五大堂(Wikipediaより)
本州と五大堂のある島とは橋で繋がっている。本尊の五大明王像は33年に1回開扉の秘仏で、21世紀に入ってからでは2006年(平成18年)8月18日~20日の3日間、「三聖堂、五太堂、日吉山王神社 三十三年御開帳」が開催された。
(堂の名は通常は「五大堂」と表記するが、前回の御開帳のときも「五太堂」という表記であった。五大堂の正面に掲げられている額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている)。

※このブログでは「五太堂」と表記させていただきました。