伊勢志摩つれづれ

伊勢志摩の今を楽しんで頂けます
郷里を離れた方に 今の故郷を 
また 伊勢志摩の旅行の前に ご覧ください

神社の注連飾り

2020-12-29 20:45:29 | 写真と観光・伊勢志摩の風景

神社の注連飾りには 木片の護符付けない

牛頭天王が 住民に授けた物だからです

また 注連縄は  民家は 左が藁を縛った方からで

一文字型

神社は 逆で右になります

すなわち 神様は内側におられ 民家は外に神様がおられる


伊勢の注連飾り

2020-12-28 20:26:07 | 写真と観光・伊勢志摩の風景

伊勢志摩では 注連飾りを年中掲げ 

大掃除に取り換える

注連飾りにつける 木札は 一般的に蘇民将来子孫の門

笑門は 笑う門には福来るで 後発 

千客萬来は 商売御繁盛で お店で使われている

 

蘇民将来子孫の門の起こりは 牛頭(ごず)天王が

旅に出かけ 途中泊めてもらえそうな

金持ちの巨旦(ごたん)尋ねた

家には貧しい人は泊められないと断られた

困り果て 次ぐに 蘇民将来の家に着き 宿を依頼すると

貧しいながらも 快く招き栗飯をもてなしてくれた

お礼に 宝物の珠(たま)を 蘇民に渡した

この珠は 心の優しい人が持つとお金が溜まるものでした

8年ほどが経ち 蘇民を訪ねると 蘇民は裕福になり

幸せに過ごしたいた

羨ましく思う巨旦は 牛頭天王を家に泊めようとしましたが

意地悪は変わらず 悪いことばかりが 次々とおこった 

牛頭天王という人は 悪いことを追い払う神様だったのです

代々蘇民の家の人たちは このとき牛頭天王が言われたように

「蘇民将来」と書いた木を身に着け お守りした
この木のお守りは 現在は注連縄にとりつけられ

家の玄関口で悪いことを追い払う護符となっている

 

 


赤色の美しい網

2020-12-27 18:28:48 | 写真と観光・伊勢志摩の風景

漁は 刺し網漁 伊勢海老が通る場所に

網を張り頭部を網に絡ませて漁獲する

伊勢海老は夜行性のため 夕方に網をかけ

未明に揚げる

 

網が赤いのは 伊勢海老の目は良いのだが

赤い色は見えにくく 刺し網漁の

網の赤いのは そのためです


伊勢海老漁の網捌き

2020-12-27 18:27:41 | 写真と観光・伊勢志摩の風景

海老は 伊勢海老漁1匹1匹 専用の道具で

傷をつけないよう 丁寧に網から外される

伊勢海老は 縁起物 足や角が整っていないと

縁起物にならす 価値が低減する 

扱いは繊細な注意力を要する


志摩・越賀の(芋煮)切干作り

2020-12-26 18:11:44 | 写真と観光・伊勢志摩の風景

越賀では 黒くならないよう

サツマイモを煮てから

皮を剥き 切って干す伝統の方法です

煮あがりを 切り若干時間の経った状態です

 

干し芋は 1824年から 各地で保存食品として

広まった

志摩も 漏れず 干し芋だったが 高度成長 地域おこしでなどで

「きんこ」として 売り出されるようになった

きんこは 本来 東北以北でナマコを干して乾燥したもの

 

ところで 志摩の干し芋は 戦後も長い間 護国藷(ごごくいも)

アメリカ芋 ニッキ芋などの種類が混在使用された

今のように 商品は均一化されていなかった

 

護国藷(ごごくいも)は 昭和13年 三重県の農業試験所で誕生

アメリカ芋は 大正昭和時代伊豆の新島村で栽培された

 

志摩には 米は貴重品で 米飯は冠婚葬祭の時だけ 

通常主食は 甘藷 冬暖かな志摩では 床下に

すくもを敷き 収穫期までの甘藷が貯蔵されていた

切干は 加工保存食品

80歳以上の方は 干し芋飯を幼いころ 嫌というほどたべたと言う

 

余談だが 芋の白干し(生)を 軍の慰問品に供出したこともあった

 

高度成長経済が進む中 干し芋に使用する芋は 薩摩隼人や

紅はるかのようになり 商品の均一化となった

 

名も「きんこ」が名を使われるなり

最近は 「ぎんこ」なるものも現れた

 

きんこは 隼人芋 ぎんこは 紅はるか

微妙に 販売価格も異にする?

ぎんこは 遊び心からの命名で

きんさん ぎんさんにあやかったのかもしれないが

発想は面白い