日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

妻の死

2007-12-02 04:54:05 | 私の過去
「人間には時々ふと立ち止まって考える時間が必要だ。そしてそれができるのは人間だけなんだ。」

だからふと立ち止まって考えてみる。

28年、生きてきた。

「もう」なのか。

「まだ」なのか。

それは分からない。



幼少期には、特発性拡張型心筋症を患い、大きな病院での治療のために、九州から関東へ引っ越した。

小学4年のときに長期入院をして、治療に専念した。

症状は治まり、普通に生活するのには支障はなかった。



中学入学。

めずらしいという理由でハンドボール部に入部した。

勉強と部活と、充実してた。

高校受験も無事に終わり、感慨深い様子で卒業。



高校入学。

特に部活には入らず、帰宅部。

よく放課後や休日に友人と遊んだ。

勉強熱心だったかと言えば、そうでもない。

テスト前日に一夜漬け。

そんな勉強方法。

それでもそれなりの成績を残して、大学受験。

一般公募推薦にて、大学合格。

あまり感慨深くもなく、卒業。



大学入学。

テニスが好きだった。

ナブラチロワが好きだった。

入学後、しばらくサークルには入らなかったが、友人の勧めもあり、テニスサークルに入った。

ルールは熟知していた。

初めてのテニス。

ホームランばっかりだった。

それでもゲームができるぐらいにはなった。

今でもたまに友人とテニスはやる。

勉強はというと、講義をよくサボった。

それでも単位はちゃんと取れて「優」が多かった。

試験前になると、図書館のコピー機には行列ができた。

みんな考えることは一緒だった。

私は自分のノートだけが頼りだった。

大学2年には漢字検定2級を取得。

何かに必死になりたくて猛勉強して取得した。

講義が終わると、夕方から夜20時までテニス。

そんな日々を過ごしていた。

恋もした。

淡い恋。

勉強にサークルに恋に一生懸命だった。

ただの青年だった。

人の出会いが一番多かった時代。

今でも交流がある人が多い。

人生に大きく係わってくる人にも出会った。

大学時代が一番大きい影響を受けた。

一番光り輝いていたような気がする。

あっという間の4年間。

しかし、最後の最後に運命を変えることが起きた。

卒業式の翌日から、彼女(妻)との交際が始まった。



卒業後、私の進路はと言うと、公務員受験をするため浪人。

警察官を目指していた。

ある人には「似合わない」と言われた。

優しいゆうには法で人を取り締まるのは似合わないと。

さよか。

彼女(妻)は地元静岡での就職。

遠距離恋愛が始まった。

1年間。

公務員受験、頑張ってみたけど、結局だめだった。

ただ、その1年の間で、目標が変わっていた。

結婚。

彼女(妻)は鬱病だった。

とても重いものだった。

何度も入退院を繰り返し、仕事も辞めざる得なかった。

私は何度も静岡へ通った。

「1日でも早く、近くで支えたい。」

それが目標になっていた。



私はやがて中小企業に就職。

働いて、ひたすら貯金をして、婚約指輪を買って、結納をして、東京で一緒に暮らし始めた。

彼女(妻)の鬱の症状も寛解《かんかい》(症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。)していた。

「消費しているだけじゃ嫌だ。私も働きたいんだ。」

と言って、彼女(妻)は働き始めた。

こうして二人の生活が始まった。

朝は私より早く起きて、弁当を作ってくれた。

小さくてとてもかわいい弁当箱だった。

私はそれをとても喜んだ。

仕事から帰ると、彼女(妻)は、料理の本を見ながら、夜ご飯を作ってくれていた。

慣れない料理で包丁で指を切ったこともあった。

それでも喜んでくれるからと、お弁当に加え、夜ご飯も作ってくれた。

料理はだんだんうまくなっていった。

仕事の疲れやストレスなど、どこかへ飛んでいってしまうくらいに幸せを感じた。

ただ、彼女(妻)は少しずつ体調が悪くなっていった。

引越による環境の変化、慣れない家事、始めた仕事、結婚式の準備・・・

それらが鬱を再発させた。

一緒に近くの心療内科を探して、そこに通っていた。

薬で鬱を抑えながらの生活。

彼女(妻)はだんだん動けなくなっていった。

私はできる限りのことをした。

仕事から帰ってきてから、掃除、洗濯、食事の支度。

そしてできるだけ彼女(妻)の傍にいた。



体調をだましだましの生活。

そんな中でも結婚式の準備は進み、

2004年3月27日、結婚。

同年4月1日、婚姻届提出。

「エイプリルフールに提出だなんて、嘘じゃないよね?」

妻はそんなこと言っていた。

しかし、結婚式直後から、妻の鬱は顕著に現れ始めた。

まるで結婚がゴールだったかのように、体調が崩れた。

結婚式から1週間後、妻は入院を余儀なくされた。

自傷行為、自殺衝動・・・

再度、鬱との闘病生活が始まった。



面会に何度も足を運んだ。

妻は私が行く度にうれしそうな顔をしていた。

帰るときは、手を握り、寂しそうな顔をして、離さなかった。

入院して1ヶ月ほどすると、外泊許可も出た。

私の休みの日に合わせて、アパートへ帰ってきて、貴重な時間を過ごした。

症状はだんだんよくなっていった。

その様子は医師でない私にも見てとれた。

入院して2ヶ月半ほどすると、大学友人の結婚式にも私と一緒に参加。

出かける体力も少しずつ回復していた。

その約2週間後。

外泊許可を得て、帰ってきてアパートに泊まり、次の日、病院へと送っていった。

いつもの外泊と変わりない様子だった。

病院から帰るとき、手を握り、寂しそうな顔をして離さない。

私は両手を添えて、

「来週、また来るから。」

と言った。

「うん。」

と妻はうなずいた。

それが私と妻の最期の会話だった。



帰宅後、夜になってから、携帯に電話がかかってきた。

病院からだった。

電話をとる前に時計を見たら、夜22時だった。

何か起こった!

瞬時に最悪を察知した。

あわてて電話に出た。

「あ、ゆう様ですか?○○病院の○○と言いますが・・・」

院長からだった。

「奥様が心肺停止状態で発見されて、現在心肺蘇生をしています。救急車を呼んで待機中です。搬送先の病院が分かり次第、またご連絡いたします。」

最悪は最悪だった。

一気に涙が溢れてきた。

泣き叫びながら、言葉にならない言葉で、院長にたったひとつだけお願いをした。

「助けてください!助けてください!助けてください!・・・」

何度も同じ言葉を繰り返していた。

電話を切って、泣きながら妻の名前を叫び続けた。

恐れていたことが起こってしまった。

すぐに妻のお父さんに電話をした。

何てしゃべったか覚えていない。

完全にパニックになっていた。

ただ、何が起こったのか、そして現状を伝えた。

「今から向かうから。」

そう言ってくれた。

静岡からすぐに向かうと言ってくれたのだ。

続いて私の両親に電話をした。

泣き叫びパニックになっている私に、

「落ち着きなさい!今からそっちに向かうから。」

「わかった。」

しばらくして病院から電話がきた。

「搬送先の病院は○○病院です。心肺蘇生を続けています。」

最初の電話から1時間以上が経過していた。

心肺蘇生での救命率は10分が限度。

救命技能を持っていた私はもう結果を知っていた。

電話を切って、まもなく私の母親がアパートに到着。

すぐに搬送先の病院へ向かう。

向かう車の中では、ただ事故を起こさず、到着することだけを考えた。

数十分後、搬送先の病院に到着。

看護師に案内され、救命室へ入る。

妻が横たわっていた。

心肺蘇生がまだ続けられていた。

この時、最初の電話から2時間が経過。

妻の口には酸素マスク、鼻には管が装着されていた。

心肺蘇生の際、心臓を押す度に、その管から血が流れ込んでくる。

見るに耐えなかった。

すぐに救命室を出た。

どうしようもなかった。

何が起こっているのか。

どうしてこんなことになったのか。

何故、私と妻はこんなところにいるのか。

わけがわからなかった。

ただ、妻がもう助からないということだけが、どこかでわかっていた。

救命室の外で呆然と立ち尽くす私に、出てきた医師が伝えた。

「心肺蘇生を続けてきましたが・・・まだ続けますか?・・・」

私は泣きながら、必死に声を絞り出した。

「もういいです・・・」

また涙が溢れ出した。

私は医師に支えられながら、妻のもとへと案内された。

まるで眠っているかのようだった。

いつものように、手を頬に寄せた。

冷たかった。

魂の抜け殻。

それは体温じゃなかった。

唇は紫色になっていた。

認めざるを得なかった。

死を。

泣き崩れる私に看護師がこう言った。

「指輪は外されますか?」

死後硬直が始まるからだと言う。

「外してください・・・」

そう言って外してもらった。

その結婚指輪を見てまた泣いた。

サイズが小さくて、私の指では小指にしか入らなかった。

左手小指にはめて、握り締めた。

救命室を出て、外の椅子に座り込んで泣き崩れた。

すごく悔しかった。

何もできなかった自分が。

本当に無力な自分が。

なんで救えなかったんだろう。

なんで・・・なんで・・・

目に映るものが悪夢に見えた。

母に連れられ、実家へ帰宅した。

父に、

「眠れるときに寝とけ」

とだけ言われた。

布団に入っても泣いていた。

泣きすぎて、ボーっとしてきて、夢の中にいるようだった。

おかしい状態だった。

やがて夜が明けた。



早朝、妻のお父さんが到着した。

朝の8時に、妻が安置されている昨日の病院へと向かった。

しばらく待たされて、霊安室にて、再会。

顔にかけられていたカーゼを静かにとった瞬間、

そこにいた全員が泣き崩れた。

嗚咽を止められず、ただ、ただ、泣いた。

誰もが辛かったが、妻のお父さんが一層辛かっただろう。

妻のお母さんは、私と妻が大学3年の時に病気で亡くなっていたからだ。

妻のお父さんは、自分の奥さんだけじゃなくて、娘までも亡くしたのだ。

どれだけ悲しかったことだろう。

そこにいた妻はきれいな顔をしていた。

本当に眠っているかのようだった。

すぐにでも起きてきそうな感じだったが、二度と目覚めることはなかった。

享年25歳

結婚して3ヶ月後のことだった。

・・・続く・・・
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