木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

ファミリーヒストリー 星野仙一 再放送

2018-01-11 00:32:12 | テレビ
さっきNHKで再放送の「星野仙一、ファミリーヒストリー」を見た
前の放送は見てないので、驚くことがあった
星野仙一の星野は母親の姓で父は正田仙蔵という
なぜか入籍はせずに3人の子を持った父は初の男の子仙一の誕生の二か月前に脳腫瘍で亡くなった
仙一は父のことも勿論、91歳まで生きた母の生い立ちもほとんど知らない
未来に興味はあるけど過去にこだわることはない性格のようだ

名古屋のチームで活躍した星野の父と母は名古屋で知り合って結婚した
そういうことはちっとも興味のないことのようだが星野仙一を少しでも知ってる僕らの方がその因縁に驚いてしまってる
名古屋で航空機(ゼロ戦)の製造に従事していた仙蔵は岡山の水島工場の建設と共にそちらに赴任する

星野は岡山倉敷の人と思っていたドラゴンズファンの僕は名古屋でのことなど少しも考えたこともなかった
父が亡くなったので母は三菱重工の水島工場関係の職場の寮で子供三人と生活を始める
休みもないきつい仕事だったはずだが頑張り通して仙一の大学の学費まで送り続けた
当時4年間で330万ほど受け取ったと仙一が言う

そしてドラゴンズから受け取った契約金のうち400万円を持って帰郷した

実は、このドキュメンタリーでは最初に星野敏子、仙一の母の生い立ちの方から紹介していた
その先祖はやはり愛知県幡豆郡の田舎で町医者をしながら寺子屋で先生をしていた
その血を引いてか実は星野の母は名古屋で看護婦の資格を取って病院で働いていた
その病院で父親と出会うのだが・・・・

不思議だったのは、母子家庭になった時になぜ敏子は看護婦として働かなかったかということ 
それは特殊技能だし、普通の農家のお手伝いをして野菜をもらうより子供たちにとってもいい環境を作ってやれるんじゃないかと
実際仙一は母親が看護婦だったことは全く知らなかったようだ

この親にしてこの子有り
不思議な因縁をまた見せてもらいました
これだからNHKの仕事を切ることを出来ないのかもしれません

それと一つ驚いたこと 星野敏子氏は僕の高校の先輩でした
自分の母校のワンショットが出てきてびっくりしました。


追記
早くもアップされてました
https://www.youtube.com/watch?v=T-2zRiISFlo



コメント (6)
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