木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

しくじり先生の涙

2016-11-01 23:42:53 | テレビ
仕事は休みが多いのにブログは結構頑張ってる
先月は今年2度目の皆勤賞だった
そんなこと自慢にならないくらい毎日書いておられる人がいるのはわかってるけどね

さっき寝転んでたら胸の上に7kgに近いマイケルが乗っかってきた
これが結構な重量
15分くらいいたか
「とうさん ブログ書く時間だから」と押しのけたが「何も書くことないんだよね」と付け加え
ホントはまだ4歳のマイケルだからとうさんはおかしいか
じいちゃん? それはまだ言いたくないんだよね

とうさんという言葉で何となく頭をよぎったのが、昨日ちょっと見た「しくじり先生、高橋ジョージ」だ
色んな反省をしていたのだが僕が一番印象に残ったのは娘と別れてしまったこと
嫁と別れるのは日々の生活でだんだんその心構えは整うものだが
娘と同じように別れなくてはならないことは身を割かれる気分になるものだ

実は僕も号泣した・・・
一度だけだが号泣した
だからその話の時、彼が思わず涙を流したのは心から同情せざるを得なかった
他のことに関してはしょうがないと思ってたけど、その部分だけは、 来たね


でも、実際に離れてみたのだが、出て行った嫁はその辺は考えてくれてたようだ
それまでと同じように小学校に通わせ、朝送ってくるときに娘に家に寄らせた
だから出勤前に娘に会えた
そのあとは週末になるとこの家へ来る
この家の娘であるという事実を嫁は剥がそうとしなかった
だから毎日は会えなくなってからも一週間以上娘の顔を見ないことはなかった
3年生の途中だったかなぁ
6年卒業するまでずっと地下鉄で9つ目の駅まで通ってた


そうそう こんな日記を書いたことがある
2005年12月04日
おおばかやろう

バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
 まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」

小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる

あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる  そう思うがなぁ・・・



その後、今度は住んでる地区の中学を卒業して高校は僕のところから通うことを決めたのでした
その間息子は家にいるような友達のところで過すような、東京でADをしてたこともあった
結局僕は子供たちと離れずに住むことが出来たような気がする
まぁそれなりに幸せだったわけだ
嫁を悪く思ったこともあるけど、心づかいをしてくれてたことは感謝している
今は幸せになってくれればいいと思ってる









コメント (10)
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