綿矢りさ「ひらいて」(「新潮」2012年5月号)

              

 綿矢りさの新作です。といってもこれまでの作品を読んだことがないので初めてということになります。関心はあったけど賛否両論あるようでとりあえずパスしてきました。月刊文芸誌「新潮」に掲載された「ひらいた」(240枚)について、新聞の書評でこれまでとは一線を画するというような評価がされていて読んでみようと思いました。文芸誌を買うのも最後がいつだったか覚えていないくらい久しぶりです。

 最近のいわゆる純文学をほとんど知らないし、著者の過去作品も読んでいない立場からは比較はできないのですが、この作品は人と人との間に生まれる何とも言いようのない様々な感情、空気を見事に描ききった説得力のある力作です。特に他人との間合いを詰めることによって初めて生じる濃密さがはっとする言葉で表現されています。

 どんどん希薄化する人間関係に慣れてきて、関わりを持つことの煩わしさ、距離を置くことで得られる孤独の気楽さについては誰もがテーマにするし、その線で話しを進めれば共感を得やすいのだと思います。
 この小説で描かれる高校三年生は恋する若者の必然か、相手との接点を持とうと悶々としておかしな行動に走ります。人間関係が接近する中でこれまで経験していなかった感情が生まれます。例えば、「さびしがりやのせいだと思っていたけれど、恋をして初めて気づいた。私はいままで水を混ぜて、味が分からなくなるくらい恋を薄めて、方々にふりまいていたんだ。いま恋は煮つめ凝縮され、彼にだけ向かっている。」。

 ひょんなことから事態は発展しますが、いずれにしても行動は何かをもたらします。また主人公のちょっとしたつぶやきにも我々が漠然と気付いていた真理が含まれます。例えば、「人の眼が美に対して異常に厳しい事実に、私は戦慄する。どんな人間も美を選別する能力は神から授けられていて、だから誰でもたやすく美の審査員になれる。彼らが求めるのは、とびきり優れた美しさの集合体ではない。むしろ標準の鼻、標準の唇、平均のプロポーションの身体つきを求めている。標準の集合体が、心地よく、整って収まっている状態を美と呼ぶ。しかしそれを手に入れることの、比類ないむずかしさといったら。」。

 高校を舞台とする三角関係。題材は極めてオーソドックスですが、作者が提示する世界はこれまで見えてこなかった独自の視点からのものです。
 物語は恋愛ものなので親しみやすくとっかかれて、想定外の出来事も含めて面白く読み進めることができます。前半少しずつ披露される上記例のような表現が徐々に増えてきて後半は、綿矢ワールドにどっぷりと浸かって夢中になります。 

 文章というのは、書き手の頭の中にあるイメージを分かり易い言葉に置き換え、小説では芸術性も加味するものでしょうか。綿矢りさがデビューして、芥川賞受賞後の10年を試行錯誤しながら決して順風満帆ではない作家生活を送ってきたことは雑誌や記事などで読んでなんとなく知っているのですが、少なくともこの作品では作者の書きたいことがかなりイコールで小説に表現されたんじゃないかという手応えがあります。

 主人公の苦悶が作者自身の迷い、開き直りにもオーバーラップするような気がします。題材が思春期の女の子の恋愛もので特異な設定もあるので、もしかしてこの作品は勘違いされるかもしれませんが、ここに描かれているのは普遍的な人間の感情と成長の物語です。綿矢りさに注目です。


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