今回はちと長文。
無駄遣いに思えるほどの時間とお金をかけて会津若松に来た理由は、『栄螺堂』を見るため。
初めてこの建築物の存在を知ったのは、確か小学生の時、ということは、今から30年近く前のこと。
自分で言うのもなんだが、そのころは相当ひねくれていたため、その年相応の趣味を持つこともなく、今となってはきっかけも不明だが、古本屋に通っては1960~1970年代のちょっと昔の雑誌を片端から読み漁っていた。
まぁ、典型的な活字中毒の症状ですな。
記憶が確かならば、雑誌『太陽』に、鳥取の投入堂と、この会津若松の栄螺堂の特集をやっていたのを読んだのがファーストコンタクト。
その特異な形状と、ぶっちぎりにオリジナルなアイデアに激しく魅了され、いつかオトナなったら絶対見に行こうと固くココロに誓ったことを覚えている。
とはいえ、時間の流れは残酷なもので、あれほど純粋に湧きでた興味もいつしか風化して薄れ、次にちゃんと自覚したのは2007年。
2007年9月号の『カーサ・ブルータス』で、『建築家30人が選ぶ日本の凄い建築の番付』みたいな特集が組まれ、奇しくも栄螺堂と投入堂がそれぞれ横綱と大関に選ばれたのだ。
まだ何も知らない小学生の純粋な興味と、安藤忠雄をはじめとする著名な建築家の思考が、奇跡的にも一致したわけですなー。
いやー、こうやって書いてても感慨深い。
あと、雑誌の特集では、あのトム・ディクソン(!)が実際にこの建物を訪れてレポートしているのも衝撃的でしたね。
投入堂の方は、2007年の夏休みに思いつきで電撃訪問、確かその日の朝思いついて、とりあえずに行きの飛行機だけ押さえちゃう、という、無茶な旅を強行。(記録を調べてみると、雑誌の発売日が2007年8月10日、旅に出たのが2007年8月14日なので、わずか4日後。)
そして一昨日、ようやく30年越しの夢が叶って栄螺堂に。
見た目も、実際に中に入った印象も、想像以上。
長く見ていると平衡感覚が狂ってきそうな異様な風体。
正六角形三層、当たり前だけど木造、何階建てという概念はこの建物にはなく、二重螺旋構造で、最上部で螺旋が結合、階段はなく全てスロープ、入り口と出口が完全に別、入ってから出てくるまで同じ道を通ることなく、またすれ違うこともなく・・・。
建物の構造自体がひとつの思想のようだ。
400年も前にこんな建物が作られたことの奇跡に改めて驚く。
構造のアイデア自体が建物の強烈な個性とコンセプトになっている稀有な例。
そういう意味では確かに投入堂に似ているかもね。
安藤忠雄氏曰く、
『日本の古建築の素晴らしさは壮大さにある。スケールが壮大なのではなく、発想が壮大なのだ。』
とのこと。(例によって、意訳なので念のため。)
なるほど。
横から見るとこんな感じ。
土台は別だが、建物に水平のラインがほとんどないため、なんだか捻れて傾いているようにも見える。
この建物を『栄螺堂(さざえどう)』と呼んでしまうセンスも素晴らしい。(正式名称は別にあるが、通称名の方がはるかにしっくりくる。このあたりも投入堂との共通点。)
最上階内部の天上を見上げるとこんな感じ。
二重螺旋を無理矢理結合させるためだが、心柱をまたぐようにしてブリッジが形成されており、つまり、屋根には心柱が刺さっていない。
ということは、屋根は周りの壁のみを構造体として載っけてあるだけ、ということ?
アタマでは理解ができるものの、実際に体感してみないと分からないことが多い。
また、無数に貼られた千社札が実に美しいですなー。
ちなみに、この建物、白虎隊が自刃した飯森山にあるが、遠いのなんの・・・。
まぁ、ワタクシは鉄っちゃんなので磐越西線に乗れるだけでも嬉しいのですが。(只見線の車両で『キハ47型』がいたのが予想外のヨロコビ。)
あと、建物周辺の環境整備も、建物自体の扱いも極めて雑。
見世物小屋的なアプローチは決して間違いではないと思うものの、それにしてもあまりにも・・・。
日本人として、世界に誇れるものの一つだと思いますよ。
いやー、いい旅だった。