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映画・演劇のレビュー

『ベルサイユの子』

2009-05-28 23:26:02 | 映画
 ベルサイユ宮殿にある広大な森の中で暮らすホームレスの青年 (ギョーム・ドパルデュー)のもとに、同じようにホームレスの若い女がやってくる。彼女は幼い息子を残してひとり去っていく。これは、残された5歳児といきなり子連れとなった男との物語である。(これって大阪城公園の中で暮らすホームレスと同じような感じか?)

 映画はとても無口で、主人公たちももちろんほとんど喋らないし、監督( ピエール・ショレール) 自身も彼らのことを必要以上に説明したりしない。事実を順に追っていくだけだ。これ見よがしなストーリーもない。この状況に於ける等身大の何の誇張のない現実だけが示されていく。そんな中で、彼らが生きていくためにとった選択が描かれていく。重くってきつい映画なので、正直言って見るのはかなり疲れる。だが、スクリーンから目が離せない。

 やがて男は病院に担ぎ込まれる。その後、絶縁していた父親のもとを子供を連れて訪れる。彼は働きながら、自分とは本来なんの関係もないこの子を育てる。これは単純なヒューマンドラマなんかではない。一切言葉を話さない子供の瞳が映画を大きくリードする。当然自分ひとりでは生きていく力もないこの子供が、何も言わずに状況を受け入れていき、流されることなく、生きる。実は、この映画は、ひたすらこの子だけを見つめるための映画なのである。

 映画の終盤、いきなり男は仕事も辞めてひとり家を出て行く。そこでフェードアウト。7年後になる。行方不明だった母親が成長した子供のところに戻ってくる。このラストの2つのエピソードは一体何を示唆するのか。これはこの映画が今まで描いてきたことを覆すためのラストではない。

 この映画の男と女は紙一重だ。子供によって助けられ、子供によって縛られる。手を離すのと、手を取ることも紙一重だ。そんな綱渡りの中、人は生きている。やってしまったことはもう取り返しがつかない。しかし、やってしまうか、やらないかの境界線上で、人は生きている。その事実をこの映画は彼らを追い詰めることなく、描く。こんな時代だからこそ、しっかり生きなくてはならない。人にせいにするわけにはいかないのだ。

 子供は無力だ。だが、この子の凛とした姿に心揺さぶられる。彼は何も言わない。だいたい何も言えない状況にある。逃げることが出来るのは大人たちだけだ。大人は自分の足で出て行ったり、勝手に戻ってきたりできるけど、無力な子供は大人に手を引かれるのを待つことしか出来ない。自分からは何も出来ないけれども、彼らも生きているのだ。少年は相手から目を逸らさず見つめ続ける。そんな瞳が心に深く刻まれる。

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