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映画・演劇のレビュー

『ばかもの』

2011-10-24 19:11:50 | 映画
 20世紀の終わりから始まり、21世紀の初めにかけて、時代の変わり目を生きた(まぁ、ただの偶然なのだが)ある男の物語だ。ごくごく平凡な青年の10年間の軌跡である。群馬県高崎市の生まれ。ローカルな地方都市。特に何があるでもない。巨大な観音像が町のどこからでも見える。姉と両親。3流大学に入り、そこで普通に過ごす。バイト先のスーパーの年上の女とつき合い、初体験。彼女にはまる。でも、彼女はどこの馬の骨とも知れない男と突然結婚する。留年して、なんとか5年で卒業。電気製品量販店(具体的に山田電器と出てくる)に就職。酒に溺れ、気がつくと止められなくなる。友人の結婚式で知り合った女(また、年上)とつき合う。だが、どんどんアルコール依存症は酷くなる。

 こんな話の映画を誰が見たいと思う? こんな話の映画をなぜ作る? 普通ならありえないだろう。だが、金子修介監督はこの素材で1本の映画を作った。なんの特色もない、ほんとうにつまらない男の一代記である。それを愚鈍なまでもの1本調子で見せる。どこかで盛り上げることもないし、この男を魅力的に見せるわけでもない。堕ちていく男のロマンとか、そんなものも、もちろんない、ない。

 映画の終盤になって再び最初の女に再会する。宣伝ではこの女を演じる内田有紀と、主人公の成宮寛貴の2人が主人公で、彼らの腐れ縁を描くラブストーリーのように思えたのだが、実際の映画はあくまでも、このくだらない男の話に終始する。内田有紀は最初の1時間弱と最後の30分だけで、中盤には一切出てこない。まぁ、それだけ出てくればヒロインだと思うし、ラストは2人で生きいこうとするシーンで終わるのだが、全体を見たときにはやはり、彼を巡る女たちのひとりでしかない。

 どこにでもいる普通の青年がなぜこんなふうにダメになっていくのか。アルコール依存症が映画のテーマではない。それは彼が人生の中で陥った出来事のひとつでしかない。(もちろん、そこが要にはなるのだが)

 これは絶対に普通なら映画が描かないようなありふれた話だ。それを、何の特徴もなくそのまま2時間の映画にしてみようという試みだ。そういう意味ではこれは成功している。これ以上映画向きではない設定はない、というくらいに地味な話である。ここには映画としての昂揚はゼロだ。だが、そんなことをして何になるというのだろうか。よくわからない。原作は絲山 秋子だ。きっとかなり面白いはずである。では、おもしろい小説をつまらなく描いたのか、というと、たぶん違う。話は原作通りのはずだ。では何が違うのか。それは主人公を凡庸な人間として描くというその1点だ。真面目にそれをやる。金子秀介監督はきっと特別ではないこのありきたりな男を最後まで見つめて見たかったのだろう。そこに何が見えてくるのか。それが一番知りたかったのは多分彼自身である。


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