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映画・演劇のレビュー

『きみはいい子』

2016-04-19 19:45:18 | 映画

 

原作を読んだときはさらりとしていたのだが、こうして映画になるとやけに生々しい。描かれる問題がきついから映像でそれを見せられると、確かにこうなるのは必至だ。呉美保監督は前作『そこのみにて光輝く』と同じように淡々としたタッチでこの現実をスケッチする。アプローチとしては悪くないし、正しい選択だ。これを必要以上に熱くやられると、反対に冷めてしまうはずだ。だが、静かに描かれるドキドキするような現実は僕たちに届かない。そこに必要以上の距離を感じるのだ。

 

これがどうした、と思う。そんなこと、言われなくてもわかっている。わかりきったことを、淡々と見せられても、確かにそうでしょ、で終わる。そんなことを確認したくて映画を作るわけはない。

 

新任の教師は、自分なりに一生懸命している。でも、なかなかうまくいかない。でも、彼はめげない。というか、あまり考えてない。とても、ふつうに対応している。悩まない、みたいに見える。本音がどこにあるのかは、わからない。高良健吾が演じるこの青年教師の内面は描かれない。それどころか、こいつは空っぽじゃないか、と心配になるほどだ。学校でも、恋人のところでも、家でも、彼は味噌っかすにされる。でも、やはり、めげてない、みたいだ。鈍感なのか、と思うけど、そうじゃないかも、とも思う。よくわからない。保護者のクレームにも動じない。鈍感を自然体で体現する。打たれ強いのかも、と思う。このくらいでないと、小学校の教師なんて出来ない、のか。なんて。繊細な人間には勤まらない仕事だ。しかし、ただのバカでは不可能だけど。そんな何も考えてないような先生を見事に演じる。やけにリアリティがある。

 

そんな彼とは対照的にもうひとりの主人公である尾野真千子は、ありえないくらいにわかりやすい。繊細で傷つきやすく、脆い母親を体現する。あるある、と思わせる。こういう女が育児ノイローゼになり虐待に走る。そう思わせ得る。鬱屈したものの捌け口がない。結果的に子供への虐待につながる。でも、そんな自分を認めたくはない。正しいことをしている、なんて誤解するほどバカではない。しかし、叩かなくてはならない。折檻することで、心のバランス取るしかない。彼女を救うのは、池脇千鶴演じる同じように専業主婦のママ友だ。

 

ふたつの話は一切交わらない。(この2つに、もうひとつ、一人暮らしの認知症の老婆の話もあるが、メインはこのふたつの話だ)尾野と高良は1本の映画の主人公同士なのに、映画の中で顔を合わすこともない。そこにある覚悟がこの映画の姿勢だ。呉美保監督は、この映画を危ういバランスのもと、成立させた。

なんの解決もない。だって、そんな簡単な問題ではないからだ。だが、ラストで、とある保護者のもとを訪ねる高良健吾を描く直前で終わらせた時、これでいいのだ、と思う。

 

抱きしめてあげること。頭をなぜてあげること。そんな、たったそれだけのこと。そのリアリティを根底にして、この2時間の映画は戦おうとする。

 


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