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映画・演劇のレビュー

劇団ひまわり『コルチャック先生と子どもたち』

2011-08-25 22:48:03 | 演劇
 劇団ひまわり創立60周年記念作品。全国で5つのチームがこの作品に挑む。僕が見たのは大阪ヴァージョンのAプロ。何よりもまず、これだけの大人数を捌くだけでも大変な作業だっただろう。本当に幼い子役たちがとても頑張っていて、なんだかそのけなげさに心打たれる。満足に喋れないような小さな子供が一生懸命セリフを言う。それだけでも十分感動的だったりもするのだが、正直言って芝居自体には、ちょっと不満がある。きっとそれは台本の問題なのだろうが。

 コルチャック先生がなぜこんなにも子供たちから慕われることになったのか、そこをもっときちんと描かなくては、これはただの歴史の悲劇のひとつにしかならない。子供たちによる自治運営を掲げた彼の教育理念がどんなふうに子供たちに伝わり、彼らがこの過酷な現実の中でそこにどんな希望を見出して生きていくのか、その姿をちゃんと描くことでこの芝居は独自の輝きを放つことになる。

 そのためにはコルチャックを主人公にするのではなく、子供の側に軸となる人物を設定し、そこからこのドラマ全体を構成した方がよかったのではないか。ユダヤ人の身寄りのない子供たちを集める「みなしごの家」にひとりの少女が入所して来るシーンから芝居が始まる。せっかくこの設定を用意したのだから彼女が芝居全体の主人公になるべきだった。

 彼女がここで見、ここで感じたことを彼女の視点から描いたならば、この作品は視点のはっきりしたものになったことだろう。そうすることで彼女と共に観客である僕たちも、この作品世界に容易に馴染むことが出来たはずなのだ。なのに、彼女がクローズアップされるのは最初だけで、すぐにたくさんの子供たちの中に埋もれてしまい、大人たちの側からのドラマとなる。さらにはナチスの横暴を描くだけのどこにでもある悲劇へと収斂してしまう。ゲットーに入れられ、辛酸をなめ、やがて強制連行され、ガス室へと至るおきまりの展開は、いくら事実だとはいえ、この芝居が本来描かなくてはならないものから大きく外れている。

 歴史の真実は大切だし、そこから目を背けてはならないのはわかる。しかし、あれもこれもと欲張りすぎて本来この芝居が描くべきものが絵空事になってしまっては身も蓋もない。子供裁判のシーンや、劇の上演のシーンがあまりに表面的で、とってつけた印象を与えるのはこの芝居の趣旨に反する。子供たちの権利を守り、彼らが自治運営できる組織作りを目指した彼の教育理念が歴史の中でどう変化していくこととなるのか。それがスリリングに描かれたなら、この芝居は傑作になったはずなのだ。そのためにもこれらのシーンがもっとちゃんと描かれなくてはならなかった。彼をただの立派な人として、描くだけでは伝わらない。コルチャックを演じた蟷螂襲はいい雰囲気を出しているけど、彼の苦悩を描くまでには、この芝居自体が至らない。

 ワルシャワゲットーのあまりの過酷さも、言葉で描かれるだけで、芝居自体からは伝わらない。口先だけで語られ、まるでリアルに迫ってこないのは致命的だ。あれではこの芝居自体のリアルさえ損なわれる。3時間の大作であり、劇団ひまわりが演劇活動を通して伝えようとすることがしっかり伝わってくるはずだった作品であるだけに、この詰めに甘さが残念でならない。


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