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映画・演劇のレビュー

大阪新撰組『二階の人々』

2019-10-07 20:59:03 | 演劇

 

大竹野正典「ぼつじゅう企画」の一作だが、この作品が一際異彩を放つのは、これが初期の20代の大竹野作品だからだ。20代前半の彼の中にあった恐怖がストレートに出た作品を演出の栖参蔵はまるで当時の大竹野がとりついたような熱意で作品化する。だが、それは若さ故のつたなさを提示するのではない。若さ故の熱をキープしたまま、確かな技術で冷静に適切な演出によって再現する。見事なリメイクだ。

 

創作活動において家族を持つことが幸福ではなく恐怖になるというトラウマにとりつかれた大竹野は現実では自分の愛しい家族を大切にしながら、芝居の中ではいつも家族から逃げる夢を見る。そんな矛盾する想いをここでもある種の恐怖として提示する。この怒濤のような悪夢に飲み込まれる100分間は襲撃的だ。理不尽としか言いようのない世界がここには展開する。今時こんな芝居はまずない。わけのわからないものを見せつけられて圧倒される。これが80年代の小劇場演劇だ。

 

なんと初演の音声を芝居の中で使用する。大竹野本人(と妻役のかさもちてん)の声が幻のように流れる。しかもカーテンコールの挨拶にまでである。まだ若々しい彼の声が聞こえる。もうここにはいない30年以上前の彼がそこにはいる。二重構造のふたつの家族にさらには不在の彼(二重の意味で不在の)までもがそこに登場する。

オリジナルのテイストを生かしたこの熱い芝居は犬の事ム所の作品でありながらも、とても新撰組らしい作品でもある。彼らの作品からも同じ臭い(匂い?)がするからだ。

2組の相似形の家族(父と母と娘)が向き合い、そこに大竹野の声までもが挿入され、なんと3組の同じ家族の肖像が描かれる。家出して帰ってこない夫を待ち続ける妻と娘。内職の折り鶴(!)だけでは経済的に苦しいため二階を貸し出すことになる。エンドレスで繰り返される家族の修羅場。不在の夫を待つふたりに二階の住人は容赦なく介入してくる。合わせ鏡の自画像と向き合い、対立し、対決する。

 

ほんとうに暑苦しい芝居だ。この熱量が新撰組らしい。スタジオガリバーの狭い空間が実に効果的で、笑いながら息苦しくなり、汗まみれになり、(冷房が効いているから、まぁ汗はかかないけど)あっという間にラストまでたどり着く。

 


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