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映画・演劇のレビュー

『女の子ものがたり』

2009-09-05 08:45:14 | 映画
 西原理恵子のマンガの映画化らしいが、先の『いけちゃんとぼく』にしても、今回にしても、なんだかツボに嵌まり過ぎて困る。見る前からやられるなぁ、という予感はあるが、それがあまりに思ったようにくると、見ていて恥ずかしい。もちろん、映画が、ではなく、自分が、である。女の子が主人公で、とても感傷的な『スタンド・バイ・ミー』系のお話で、映画はその設定だけ確認すると、けっこうすぐに回想に入っていき、どんどん行け行けで話が流れていく。わざとらしいくらいに、ありきたりな展開もある。だが、思い出の中ではえてしてこんなふうになるものなのだ。

 愛媛県の田舎の村を舞台にして、3人の少女たちのお話が丁寧に描かれていく。出会いから、別れまで。この村に主人公の少女が引っ越してきたところから始まり、大人になった彼女が、2人と別れて東京に出ていくまで、である。小学校の頃の話と、高校時代、そして大人になって2人が結婚をしてからの話と、ちゃんと順を追う。

 漫画家になった主人公(深津絵里)がスランプに陥り、やる気もなくダラダラ過ごす日々から、映画は始まる。新しい編集者が家を訪れ彼と共に思い出への旅が始まる。このあまりといえばあんまりな単純でありきたりな話が、なぜこんなにも心に沁みるのだろうか。誰の中にも共通してある個人的なのに普遍的なイメージがとても美しい風景として描かれるからか。だが、それだけでは反対に拒否反応を起こすかもしれない。甘いだけの映画は付き合いきれない。そうなのだ。この映画は必要以上に悲惨な話だ。そこにこの映画の意味がある。

 絵に描いたように、この少女たちは迫害されていたり理解されなかったりする。つまらない人生が彼女たちの未来には広がっている。未来は夢見る時間のはずが、まるでここには夢なんてなく、わざとらしいくらいに悲惨だ。汚い服しかないから街にも行けない、と言う。(でも、それはセリフでだけで、彼女たちの服は全然そうは見えないのだが)不細工だとか、言われる(それも、ありえない、3人は凄くかわいい)というふうに、映像とセリフのギャップがすごい。悲惨を描きながら、少女たちの美しさは際立つ。これは作りかえられた想像の中の少女時代ではないか、と思うくらいだ。寺山修司の『田園に死す』なら、途中で、すべては嘘だ、僕の少年時代はあんなふうに美しくなかった、とそれまでの描写を反故にするところだ。だが、この映画はかたくなにそんなことはしないでおく。厚顔無恥とはこの映画のためにある言葉ではないかとすら思うくらいだ。作られた「美しい想い出」を旅することを通して、彼女はもう一度漫画家として生きようと思う。ラストでヒロインは「みんなのことを描いていいよね」と涙ぐむ。

 この映画を否定するつもりなんか毛頭ない。それどころか、最高に感動してしまったのだ。ここまで自分たちと、その思い出を美化して、そんな自分の姿に感動できる彼女の自己中ぶりはうらやましい。このくらいに人は鈍感になってもいいと思うのである。自分の人生の中では人はみんな自分が主人公だ、とさだまさしも言ってるではないか。絶対その通りなのだ。保証する。
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