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映画・演劇のレビュー

『友罪』

2018-06-02 00:45:43 | 映画

瀬々敬久監督が快進撃を続ける。この後も7月公開の3時間越えの大作『菊とギロチン』が控えている。自分のしたい映画をこんなにものびのびと自由に撮れる環境にあるって奇跡のようだ。だから彼はとても生き生きしている。メジャー映画の枠内でこういう自在な映画をモノに出来る。そんな時代が彼にやってくるなんて、思いもしなかった。昔、ピンク映画の枠内で『雷魚』や『汚れた女(マリア)』を撮っていた頃の不自由な中での自在な映画作りとは、これはまるで違う。なんだか自分のことのようにうれしい。今までずっと彼を応援してきたからね。

 

さて、この映画の話だ。これは、ふつうの映画の作りとは違う。ふつうならお話が展開していくうちにいろんなものは明らかになっていく。そして、ドラマは求心力を保ちつつ、収束していくものだ。なのに、この映画はどこまでいっても収束する気配はない。拡散していくといっても過言ではない。わからないまま、「わからない」を持続してどこまでもいく。主人公2人のドラマは交わらない。もちろん、少年Aだった過去を持つ瑛太は自分の罪を見つめていくし、生田斗真が演じる元ジャーナリストも、彼に関心を持ち、疑惑の目を向ける。だが、彼らが抱える問題が交わるわけではない。たまたまふたりが同じ場所にいることになった、という都合のいい基本設定をあざ笑うかのように、映画は彼らを重ねないし、近づけない。なんだか、大胆すぎて、騙された気分にさえなる。佐藤浩市演じる父親も、最初は瑛太の父親なのかと思ったが、そうではない。別の事件なのだ。

 

罪を犯したものは、生涯、その自分の罪を抱えたまま生きなければならないのか。服役したからといって許されたわけではないことは、わかるけど、では、彼らはもう幸せになる権利すら失われるのか。『ヘブンズストーリー』や『64』という長尺映画でやってきたことを今回は2時間の作品のなかで展開していく。無理は承知で、平然とやってのける。

 

もう、巨匠の域に達したかのような大胆さ。最後の最後でも交わらない主人公2人の姿を見せられたとき、その厳しさに震撼する。

 

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