習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ファニーゲーム U.S.A.』

2009-09-18 22:10:51 | 映画
 今もう一度この素材と向き合う意味が見えてこない。だいたいミヒャエル・ハネケがハリウッド映画を作るだなんて全然そこに意義を感じない。上映時間は少し長くなっているが、それはティム・ロスとナオミ・ワッツの見せ場を(と、いうほどのものでもないが)作ったからであろう。97年作品のセルフ・リメイク。ここまでオリジナルに忠実である必要があったのか、と思う。そのぶん冗長になった気がする。ラスト直前で犯人の2人が去ったあとのナオミとティムのシーンは無駄でしかない。あそこで映画自体のテンポも落ちてしまう。

 それにしてもこれはなんだろうか。オリジナルにあったあの熱気や勢いが全くここにはない。ただの犯罪映画になっている。前半はそれでも、それなりに不気味で悪くはないのだが、この理不尽な暴力の前で、理にかなわないことの恐怖が増殖していく過程が描き切れていない。それこそがこのお話の魅力なのに、である。映画としてのねばりがないからありきたりな強盗映画になっている。こんなものをハネケがわざわざ作る必要は感じない。アメリカという風土に置き換えた瞬間からこの異常な世界がただの平凡な世界になるというのか?異常者すら平凡な犯罪者と化すのがアメリカなのか。

 そういう映画ならこれはまた別の意味で怖い映画になるのだが。もちろんそういうわけでもない。だいたいあの完璧な映画があるのにそれをもう一度寸分たがわず再映画化するだなんて、どうして考えたのか。しかも、ハネケがそんな企画を引き受けたのはなぜか。

 白いポロシャツに白いパンツ。白手袋の2人組。彼らの不条理な存在に圧倒される。いきなりの暴力。有無を言わさない展開。初めてこのオリジナルを見たときの衝撃は大きかった。梅田ガーデンシネマで『ピアニスト』を見たあと、続いてこの映画を同じ日にレイトショーで見たのだが、あまりのことに、『ピアニスト』が霞んでしまったほどだ。理屈が通らない暴力の中で人間が恐怖で壊れていく。穏やかそうに見える2人の青年たち。見るからに残忍そうに見えるのならいざ知らず、爽やかそうな青年であるこの2人は、ゲーム感覚でこの家族をいたぶる。そして、簡単に殺していく。その殺人の連鎖は永遠に続く。絶望的な恐怖に包まれる。忠実にオリジナルをなぞることでハネケは何を描こうとしたのか。まるで見えない。そのことのほうが僕には衝撃的だ。


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