習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

小路幸也『娘の結婚』

2014-02-12 22:45:33 | その他
こんなタイトルで小説を書かないでよ、と思う人も多々あるはずだ。でも、今回の小路幸也は敢えて「これでいい」と、思う。小路版『晩春』である。もちろん、天下の小津に挑戦しようだなんて、そんなおこがましいことではない。家族の物語をずっと綴ってきた自負はある。だから、『東京バンドワゴン』の作者は、このつつましい世界を描く新作にこのタイトルを用意した。やはり、これはちょっとした挑戦なのかもしれない。現代の小津安二郎は山田洋次ではなく、おれだ! というアピール。まぁ、それは嘘です。そんなこと、彼はまるで考えもしない。でも、山田洋次が『東京物語』なら、僕は『晩春』かな、くらいは思ったかも。なんて、そんな妄想を膨らませてしまうくらいに、この小説は素敵だ、という話なのだ。山田洋次監督の『東京家族』が過小評価されてしまった今年のベストテン(僕も自分のベストテンには入れなかったくせに、キネマ旬報のベストテンから黙殺されたのを見ると、なんか腹が立つ)山田洋次監督の覚悟のほどを、馬鹿な評論家は誰も知らない。(なんて、偉そうなことを言うつもりはないけど)でも、続く『小さなおうち』には溜飲を下げた。さすが、天下の巨匠だと思う。凡百の評論家なんか相手にしていない。

わが道を行くのは、彼だけではない。小路幸也も同じなのだ。この小さなお話を、こんなにも小さなままで書き綴る。なんて立派なことだろう。読みながら、ドキドキした。こんな話で長編小説を書きとおしてもいいんだ。

娘が恋人を連れてくる。でも、なかなか彼に会う覚悟が出来ない。いろんな言い訳を並べる。本人はちゃんと理由があるから、まだ会えないと思う。本人なりに筋を通すのだ。でも、なんかそれって言い訳でしかないことは、みんなわかっている。これは、そんな小説だ。でも、それをそれなりに理屈を通して、サスペンスとして、見せていくところが彼らしい。そうなのだ。これはサスペンス小説なのである。しかも、それって山田洋次の『小さいおうち』がそうであったように、である。(今回、僕は、どうしても山田洋次と小路幸也を並べて書いてしまいたいらしい。)

父と娘。彼女が幼いころ、交通事故で妻を亡くして、父一人、娘一人でここまで暮らした。再婚もしなかった。それは、彼女のことを考えて、でもあるし、それを言い訳にして妻への変わらぬ思いを正当化するためでもある。それくらいに妻のことが好きだったのだ。だから、最愛の娘を嫁に出すことは、寂しい。52歳の彼はそんな自分の気持ちを認めたくはない。それじゃぁ、ただのダダっこだからだ。惨めだし。昔の山田洋次なら、きっとこれを喜劇調で見せる。でも、今の彼なら、これは恥ずかしいからやらない。でも、小路幸也はやっちゃうね。しかも、少しクールの小津調で。

読みながらなんか笑ってしまった。こういうのって、ありなのか。まぁ、ありだろう。最後まで読んで、謎も解けて、すべてがうまくおさまる。残ったのは、父親の寂寥。でも、それをちゃんと慰めてくれる人がいる。(それは、女性ではなく、親友というところも、小路幸也らしくていい)

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