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映画・演劇のレビュー

劇団大阪『明日―1945年8月8日・長崎』

2018-11-12 20:45:05 | 演劇

 

舞台中央には大きな時計がある。装置はそれだけ。時計を囲む青い通路は、川の流れを象徴するのか。時間は11時2分を指している。芝居が始まるとすぐ、時計の針が外されて、その円い時計自体が舞台となる。この円形舞台とその周囲で繰り広げられるここで暮らす人たちの幾つものお話が折り重なるようにして描かれていく。

昭和2089日午前1102分までの24時間、とある家族とその周囲の人たちの姿を描く。黒木和雄監督が30年前にこの小説を映画化した。僕はリアルタイムでその映画版を見ているのだが、なんだかこの芝居とは印象が違う。

 

このお話を見るのはそれ以来のことだ。井上光晴の原作小説は読んでいない。この舞台を見ながら、昔見た映画とはかなり印象が違うな、と思った。とはいいながらも、30年前のお話だから記憶は曖昧で、細かいストーリーも忘れていた。あれは原爆が投下される前のなんでもない1日を静かに描くだけの映画だった。だけど、そのなんでもない1日がすべてを象徴する。そこに描かれる人々の営みの尊さ。それが一瞬で破壊される恐怖。

 

今回この芝居は、そんな同じ1日があの映画とはまるで違う緊張感に満ちて描かれる。(気がした)。恣意的に8月8日を取り上げる。もちろん、ここでも一切原爆には触れられない。台詞の中で広島に落とされた新型爆弾について話す場面はあるけど、この後長崎で起こる惨劇には当然触れられることはない。だが、あの映画と違い、この芝居は全編ピリピリした緊張が覆う。この1日でなければならない。そんな思いがこの芝居からは伝わる。あの映画は、この1日でなくても構わない、というそんなスタンスの違いが両者をこんなにも違う印象のものにした。もちろんそれは、どちらがいいとか、わるとか、そんなお話ではない。

 

とんでもないことが進行している予感を随所に秘められたまま、芝居は淡々と進んでいく。次女の祝言の日、長女の出産が重なる。浜志穂(ダブルキャストで、Bプロは大森美弥が演じる)が二役で演じる。冒頭の結婚式と、最後のお産のシーン。その間に挟まれるようにしてここで暮らす人々のさまざまなドラマが綴られていく。最大5役(冒頭怒濤の3役連発、篠原康治さん、お疲れさま!)までをひとりが演じる。11人の役者たちによって演じられる群像劇だ。8月8日の中でも時間が前後するが、回想シーンも随所に挟まれるから、時制の混乱は必至だ。だけど、芝居はそんなことまるで気にしないで進んでいく。運命の時の向けてのカウントダウンではなく、今この瞬間だけを切り取る。声高に叫ぶことはない。それぞれがそれぞれ抱える状況の中で精一杯に生きていることを静かに点描していく。この抑えたタッチの演出が(堀江ひろゆき)素晴らしい。役者たちもそこを理解して熱くなることなく客観的な視点で演じる。ドキュメンタリーのような静けさだ。

 

その姿勢はラストの出産のシーンで極まる。妊婦を中心にして、舞台の周囲を他の役者たちが取り囲む。彼女を応援するのではなく、ただ見守る。そんな彼らが、順次ナレーションのように淡々と台詞を語る。それは彼女の想いも含めた、原作小説の文章のままなのだろう。小説を脚色して戯曲化していく段階で脚本を書いた小松幹生は、ドラマ性を排したのだろう。このクライマックスの描き方が凄くいい。芝居として全体を構成していく上での新機軸だ。ここに突出する客観的な視点こそがこの芝居全体を貫く姿勢でもある。

 

あの日はその前の日と同じで、変わらない1日だったはず。戦時下でも結婚はする。出産もある。生きること、生まれること。明日に向けた営み。どこにでもある(あった)市井の描写を通して、生きることの意味を問いかける。何も言わないから、すべてが伝わる、そんな芝居だ。

 

 

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