習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『コタローは一人暮らし』

2022-03-24 17:17:39 | 映画

こんなにも面白いアニメを見るには久々だ。これを子供向けのアニメだと高を括っていると痛い目に遭うだろう。この世界の片隅で孤高を生きる4歳児コタローの姿は感動的である。たったひとりで4歳児が生きれるはずはないが、そうすることでしか生きる術を持たない彼の覚悟がこのお話の前提にはある。こんなありえないことを可能にする彼の強さをこのお話は描こうとするのだ。

最初は1話だけのつもりでなんとなく見始めたのだが、完全にはまってしまった。結局全10話を2日間で見てしまった。1話は30分ほどで、それが3話構成になっているから、ワンエピソードはたった10分弱だ。でも、そこで描かれるドラマの密度は途方もない。重い現実をこんなファンタジーで包み、優しく見せてくれる。主人公コタローを見守ることで、彼から僕たちがいろいろなことを教わることになる。彼と過ごす周りの大人たち同様に。10話では完結しないので、この後の第2シーズンが楽しみだ。彼の両親のことや、この先のお話が気になる。

ついでに、ついつい怖いもの見たさで先行した実写版も見たのだが、やはりこちらは難しかったようだ。『マザーウォーター』や傑作『パンとスープとネコ日和』の松本佳奈監督作品なのだが、実写では残念だが彼女をしてもアニメのようには上手くいかない。たとえコタローを5歳に変更しても無理だ。説得力がない。このとんでもないお話を成り立たせるためにはアニメの無表情が必要だ。人間が演じるとお話はどうしても嘘くさくなり、コメディにでもしないことにはバカバカしさばかりが前面に押し出されることになる。でも、それではこのお話は成立しない。ファンタジーでしかないけど、内容があまりに生々しすぎて辛いからそういう面でもこれを描くためには実写は厳しい。

この作品は、まず幼児虐待を前提にしており、4歳児が自分の境遇を冷静に受け止め、生きていく姿を描くのである。子供向けのアニメではない。アニメだから可能な無表情は、コタローの孤独を表現するのではなく、彼がギリギリのところで誰にも媚びることなく、頼ることもなく、生きる強さを表現する。そこを実写は表現できない。特に周囲の大人たちが酷い。リアルすぎてもダメだし、コミカルに演じたら悲惨だ。どうしようもない。主人公のコタローを演じた川原瑛都は確かにコタローの無表情をよく体現しているが、それでも嘘くさくなる。このダークファンタジーを成立させるのは難しい。

アニメ版はその困難な次元を易々と乗り切った。自然にトノサマン語を駆使するコタローという不思議な存在を違和感なく成り立たせ、自然にこの世界に溶け込ませることに成功した。だから、その後のお話も自然に受け入れられる。この不自然を自然に描けること。短いエピソードの連鎖が彼のありのままの彼の生活をリアルに伝える。驚異の天才少年を描くのではなく、(何度も言うが)そこに自然体の4歳児を成り立たせるのだ。

ここで大事なことはお話のおもしろさではなく、彼の生きざまの凄さだ。彼はよくある「愛らしい少年」ではない。今までのドラマではどこにもなかった立ち位置を体現する。4歳児の一人暮らしを周囲が認めて、それを応援する、というのではなく、周囲は彼に影響される。僕たちは彼からいろんなことを学ぶのだ。こんな体験はなかなかできることではない。守ってあげたい、ではなく、守っているつもりが守られている。その心地よさと残酷さ。そのことに圧倒される。ネグレクトをお話の中心に据えて、強くなって暴力でしか生きられなかった弱い父親を守ることに使命感を抱く少年の成長を描く、なんていうとんでもないアニメが作られた。これは驚異である。しかも、僕の6歳の孫がこれを熱心に一緒に見てくれる。ありえない。けど、ありえる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『猫は逃げた』 | トップ | 『縁起良き時』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。