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映画・演劇のレビュー

重松清『赤ヘル1975』

2014-04-29 21:29:51 | その他
 広島が優勝した年、中学1年になった少年が広島に転校してきた。また、ここでも、数か月を過ごして、転校していく。これまでも何度となく繰り返してきたことだ。小学生から中学生へと移行していく時期。ほんの少し大人になった。中学はその当時ですら珍しい丸刈りを強要する学校。仕方なく、頭を丸める。

 1975年の広島での春から秋まで、シーズンの始まりから終わりまでの日々をカープの躍進と、少年たちの熱狂。それぞれの事情が交錯していく。さらには、戦後30年が経ち、それでも当然あちこちに残る戦争の傷跡。転校してきた少年はこの特別な場所で、原爆と、戦争について考えることになる。

 感傷的なノスタルジアではない。だが、あの頃、彼らが生きた時代をちゃんと描くことで、75年という時代を背景にして、日本がどう変わろうとしたのかが見えてくる。『3丁目の夕日』とは違う。もちろん、あれだって単なるノスタルジアではないのだけど、この小説が描く「時代」は、12歳、13歳という微妙な時期に、特別な出来事が(広島の優勝)重なることで、ただの黄金時代ではない、痛みを伴う記憶として、その年が心に刻まれていく。

 絶対にノスタルジアにはしないという覚悟が作品を支える。原爆が思い出にはならないように、ここに描かれる人生におけるたったの「半年間」はただの思い出にはなることはない。生きていることは、常にこういう痛みと向き合うことだ。そこで、逃げてはならない。大人になれば、ただの少年時代でしかないかもしれないけど、少年にとってはかけがえのないすべてを凌駕する時間だ。そこに、広島東洋カープの優勝という夢に出来事が重なったとき、そこに奇蹟が訪れる。

一日一日を丁寧に描いていくから、たった半年の出来事が500ページ以上の長編になる。戦後は終わらない。戦争の痛みは永遠に続く。でも、広島の町は復興して、どんどん昔の面影を失っていく。だが、少年たちは、忘れない。原爆症で亡くなったたくさんに人たちの苦しみ。もちろん、原爆だけではない。空襲で家族を失い、孤児になったこどもたち。高度経済成長に浮かれて、日本が復興し、広島だって変わる。でも、外からここに来た少年が感じたこと。そのひとつひとつは、ただの思い出になんかならない。

 この小説が素晴らしいのはそういう違和感を丁寧に紡いでいくからだ。特別なことなんか、ない。ただ、ありのままを綴るだけだ。体中がへロイドの老人や、ブラブラ病。被ばくについて、正確な知識なんかない。放射能がなんなのか、なんて誰にもわからない。30年たっても、70年たってもわからない。消えることにない痛み。被害者の側から描くとか、そういうのではない。この小説が描きたいのは、ただ、そこにあった事実だけだ。広島に転校してきた少年が、目にした事実を、自分の目と足で考える。それはお勉強なんかではない。どうしても知りたいと思ったからだ。自分が生きるために。そんな真摯さがこの作品の根底を貫く。カープは彼らにとって希望だった。万年Bクラスの弱小チームが、その年奇跡の快進撃を続ける。夢のような出来事をその目で目撃し、感動を共有したこと。それはただの野球ではない。祈りのようなものが、そこにはある。

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