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映画・演劇のレビュー

BABY-Q『[リゾーム的』なM』

2009-09-05 08:16:48 | 演劇
 東野祥子さんの新作。彼女のソロ(昨年中止になった作品が見たかった!)ではなく、BABY-Qとして発表する作品を見るのは久しぶりだ。今までの大仕掛けのスペクタクルではなく、シンプルで内省的な作品に驚く。短いシーンから構成され、その一つ一つに明確なテーマが設けられ、テーマと表現の接近と乖離を楽しみながら見る。本来両者は密接に絡み合うのが当然なのだが、ダンスに於いてはそこが難しい。言葉にしないことが幾分哲学的なものとなったり、全然伝わらなかったり、今回の作品でも、その辺が見ていて、少しもどかしかったりもした。

 単純に表現のおもしろさを楽しめばいいのだが、それだけではちょっと単調で退屈な部分もある。ダンス自体が地味で、構成も単調なのだ。まぁ、そこも含めて意図的なことなのだろうが。ジェンダーとかフェミニズムとか背景になるものはわかりやすいのだが。

 おなかの大きな(妊婦ということだろうが)女たちがごろごろ転がるシーンから始まる。後半の、中央スクリーンで虫たちの性交が描かれ、その後そのスクリーンという薄い皮膜にからだをくっつけて(当然からだのラインがくっきり出る)身もだえするシーンがいい。でも、彼女はこの幕を超えてこっちにはやってこれない。男のところにはたどり着けないのだ。きらびやかなドレスを身にまとう男たち。男と女の性差が、いくつものシーンで描かれる。

 ただ残念ながら、描こうとする図式は理解できるけど、そこから迫ってくるトータルなものが伝わり切れない。見ていて、なんか取り残されるみたいで歯痒い。個々の場面はつまらないわけではないのに、もどかしい。これみよがしなこけおどしはここにはない。とても誠実で、思索的なものだ。それをダンス・パフォーマンスを通して提示する。全然悪くはないのだ。でも、今回はなぜか僕は乗れなかった。

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