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映画・演劇のレビュー

『BUNGO ささやかな欲望』

2014-01-26 22:21:55 | 映画
それにしても、これはすごい企画だ。今の「日本映画」はいろんな意味で次から次へとありえない企画を繰り出してくる。企画の貧困さが、思いもしないものを生む。でも、大丈夫か、と心配にもなる。これは6本の短編からなるオムニバスだ。「文豪」と呼ばれるような作家の短編を映画化し、それは3本ずつに分けて劇場公開した。誰がそんな映画を見たいと思うのだろうか。

これは明治(だけではないけど)の文豪たちの短編小説を、現代の若手監督たちが映画化して見せるというとても贅沢な企画だ。熊切和嘉監督はこの企画に参加して、『夏の終り』を撮る自信をつけたらしい。これは練習台なのか? でも、そういう場所が若い映画監督のために用意されるって、なんだかいい話ではないか。しかも、映画自体もよく出来た短編集になっているのなら、文句はない。今回、まずその2部作の1本、『告白する紳士たち』の方を見た。3本とも、それなりには面白い。

初めて見た関根光才監督の『鮨』(岡本かの子原作)のドキュメントタッチの文体には新鮮な驚きがあった。鮨屋のオヤジが、本物の鮨屋のオヤジにさせているのか、と思うくらいにリアルで、周囲の役者たちとの落差にドキドキする。でも、そうではない。オヤジを演じていたのはあの高橋長英なのだ。主役ではないけど、彼の存在がこの映画を異次元へと引き込む。娘の橋本愛と、主人公であるこの鮨屋に通う先生(リリー・フランキー)によるドラマ(これが本題)なんかを完全に凌駕している。

 でも、オヤジの存在が、彼らの見せる(というか、リリ-・フランキーが語る)ドラマに不思議なリアリティーを与えるのだ。この監督がどこまで意図的にこういう作り方をしたのは不明だが、なんとも言えない違和感がいい。それは市川実日子演じる母親の立ち姿にもいえる。背の高い彼女が着物を着て日本髪の鬘をかぶっているのはなんだかコスプレに見える。そんな彼女が何も食べない息子に鮨を握るシーンのへんな感触。あれはとても意識的に作ったとは思えないシュールさなのだ。

この映画と比べると山下敦弘の『握った手』(坂口安吾原作)なんか別に大したことはない。最初から不思議なタッチを狙っているだけにしか見えないから驚かないのだ。もちろん別に狙ってなんかないかもしれない。でも、意図しないような関根作品の異常さの後では、あまりにわざとらしすぎる。成海璃子のメガネも、山田孝之の手も、作りものにしか見えない。でも、山下監督らしいすっとぼけた感じは見ていて悪くはないから、この短編もそれなりに好き。

その点、現代青春映画の旗手、『時をかける少女』の谷口正晃監督は、正攻法だ。奇手を使わずにオーソドックスな映画を作る。古典の映画化なのだから、普通ならこうだろう。この林芙美子原作『幸福の彼方』をオムニバスの最後に持ってきたのは正解だ。だが、あまりにあっけなく、物足りない気もする。なかなか難しい。

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