習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

May『晴天長短』

2010-11-22 21:45:14 | 演劇
 今からほんの少し前、きっと作、演出の金哲義さんが高校3年生だった頃。朝鮮高級学校の運動会。秋の1日のスケッチ。それをノスタルジックで、感傷的なものとして語るのではない。ただありのままに描くのだが、それが胸にしみてくる。この甘酸っぱい感触に胸が締め付けられるのだ。かつて、こんな風にしてみんなが一つに寄り添って生きていた頃があった。これは日本人よりもずっと血の絆を大切にする朝鮮人だからこそ、そして、何事にも熱くなれる(そうならなくては、生きていけなかった)彼らだからこそ、可能な、ドラマだ。

 これは声高にテーマを振りかざす芝居ではない。かといってセンチメンタルな思い出話でもない。『チャンソ』『ボクサー』を経て、金哲義さんは今まで以上に自由にいろんなことが語れるようになった。しかも、そこに必要以上の力を込めず、自然体で描けるようになった。

 21世紀に入って、日本人の朝鮮人に対する見方は大きく変わった。韓流ブームから、韓国に対する親近感はどんどん強まっていく。誰もが簡単に韓国に遊びに行くようになる。近くて遠い国から、近くて近い国に。在日に対する見方も大きく変わって来たはずだ。表面的には日本と韓国(朝鮮、とはもちろん言えない)の垣根はなくなりつつある。だが、果たしてそんな簡単なものなのか、と言えば、日本人が思うほど、ことは簡単なものではないことは火を見るよりも明らかだ。

 この芝居は敢えてそういう問題には言及しない。秋の1日、みんなで洋光の高校生活最後の運動会の出かけ、山盛りの豪華お弁当を食べ、たらふく酒を飲み、大騒ぎして過ごした時間、その愛おしい時を、ただ見せてくれる。運動会を肴にして、自分たちが楽しむ。もちろん一族郎党があつまり、秋の気持ちのいい日に、運動会を楽しむ。だが、それだけだ。そして、それだけで充分感動的なのだ。

 ここにある普遍性は、今、僕等が見失っているものだ。日本人とか、朝鮮人だとか、中国人とかいう垣根を越えて、人間の根元的な魂に深く触れてくる。何よりも大切なものがここにはある。僕たちはそれを忘れてはならない。


コメント   この記事についてブログを書く
« 劇団 息吹『春、忍び難きを』 | トップ | ともにょ企画『レイク横』 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

演劇」カテゴリの最新記事