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猫のうみちゃん

物心ついた時から、動物と一緒に暮らしていた。
祖父が猟をやっていたので、猟犬も居たし、血統書つきの
立派な犬もいたし、愛くるしい雑種の犬も居た。
大きい犬も居たし、小さい犬も居た。

犬だけではなく、猫も居た。犬と猫を同時に飼っていた時期
もある。それも1匹ではない。常に何匹かの犬や猫と暮らした。

家族のように暮らした彼らが死に、その度に悲しみ、もう二度と
飼わない!と言いながら、動物が居る生活が途絶えたことは
ない。捨て猫があれば拾ってしまい、ノラ猫は居ついてしまい
いつの間にか家族になる。

どの子たちも、私にとっては、それぞれに思い出深い。

特に私のこれまでの人生の中で、一番いろいろなことがあった
時を共に過ごしてきた猫「うみ」には、特別な思いがある。
あれは私が19歳のときだったか。
叔母が拾ってきた猫だった。迷子だったのだろう、同じ日に
時間を違えて同じ場所を通ったときに、同じ場所で、ニャーニャー
と鳴いていた。しばらく様子を見ていたけれど、どうも迷子
のようだ、と。
当時5匹の猫を飼っていた叔母が、さすがに自分では飼えない
から、どうか、と話を持ってきたのだ。

もともとそんな話は放っておけない。
ひと目見て、(本当は見る前から決めてた)、家族で飼うことを
即、決めた。

毛ヅヤのいい、愛くるしい顔の、立派な猫だった。女の子。
「うみ」と名づけた。

その後16年間、うみは、私達家族の一員として生きた。
家族の中でいろいろな問題が起きたときも、悲しいことがあった
時も、いつでも変わらぬ姿勢で、私達に寄り添って生きていた。
あの頃のどんな思い出の中にも、うみが居る。

ある悲しい辛いことがあって、1人で部屋で声を殺して泣いて
いた時、迷惑そうに、だけどじーっと私に抱かれて、片時も離れず
に居てくれたうみを、今でもよく覚えている。

うみは、それから16年生きて、私達家族の腕の中で、静かに
静かに死んでいった。死んでからもなお、みんなに抱きしめられ、
気がつくと、硬くなってしまっていた。

今頃、天国で何をしているかな?大好きなカツブシは食べること
ができているかしら?

時々、無性に会いたくなる。
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