次は「伊達家の門」。伊達家と言われれば通常は伊達政宗、東北の雄の戦国武将を思い浮かべるであろう。だが遠く離れた四国の地、宇和島にも伊達家の分家があったのである。あの伊達政宗の庶子に当たる秀宗という人物がこの地を与えられたのだ。
Wikipedia「宇和島藩」
Wikipedia「伊達秀宗」
小藩ながらも安定した治世が続き、幕末には国産の蒸気船を作るなど先見の明もあった。この門は大正期に作られたものであるが、下左写真のように、門の上には宇和島藩の家紋が彫り込まれている。なお下右写真は門の脇にあった番兵が詰める小屋で、屋根が上にカーブする独特の形をしている。これを「起り屋根(むくりやね)」という。
Wikipedia「宇和島藩」
Wikipedia「伊達秀宗」
小藩ながらも安定した治世が続き、幕末には国産の蒸気船を作るなど先見の明もあった。この門は大正期に作られたものであるが、下左写真のように、門の上には宇和島藩の家紋が彫り込まれている。なお下右写真は門の脇にあった番兵が詰める小屋で、屋根が上にカーブする独特の形をしている。これを「起り屋根(むくりやね)」という。