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いい顔してますか!

精一杯がんばったお姉。

2014-03-14 22:54:09 | Weblog

 今朝、5時に携帯がなりました。電話は姪っ子で入院していたお姉が危篤ということでした。容態は今年に入って芳しくない状態でした。主治医からは今週末が山場であると言われ、13日にじいちゃんや子どもたちみんなで会いに行きました。

 そのとき、しんどくしていたお姉でしたが、みんなと会話することができました。わたしは甥っ子に「これまでがんばってきたんやから、もうがんばらさなくてもいい」と話すと甥っ子もそう思っていました。

 お姉は19年前に難病としていされている膠原病を発症して以来、どんなことにもめげることなく、前向きに病気と闘ってきました。しかし、年々膠原病はお姉のからだを確実に弱らせていきました。

 お姉は3年前、胆のうがんが見つかり、12時間もの大手術にも耐え、からだの中にチューブを4本も入れ命をつないでいました。チューブを外に出して排出袋をカバンに入れた生活が続いていました。

 ここ数年は入退院を繰り返して辛い生活を余儀なくされました。それでも、「生きたい、孫と一緒にいたい、何々したい」と目標をかかげてがんばってきました。

 午前6時前に病院に着いたわたしが、病室に入ると姪っ子がお姉のそばにいました。お姉は昏睡状態でしたがしっかりと息をしてくれていました。午前7時半ごろ、病室にお医者さんと看護師さんが入ってくると「もうすぐ逝かれるようです。心臓も呼吸もほとんど確認できない状態です」と言いました。そして、7時32分お姉は静かに息を引き取りました。

 わたしは「本当にこれまで、よくがんばったな。お疲れさま!」とお姉に伝えました。最期は苦しむことなく静かに息を引き取ってくれました。しかし、辛かったことでしょう。もっともっと長生きしたかったことでしょう。

 その後、病室に主治医をはじめたくさんの看護師さんたちが、訪問してくれました。みなさんはお姉に「よくがんばってね」と口にしてくれました。ひとりの看護師さんは「この前、お姉さんはこんなしんどいからだでも、元気になったら手話を習いたい!少しでも社会の役に立ちたい」と言っていたと教えてくれました。

 膠原病を発症して少したったときも、市の子育てサポート登録をして、子育て支援をしていたことを思い出しました。常に前向きなお姉がそこにいました。身内を褒めることになりますが、あの前向きさには頭がさがるばかりです。

 病院を出る前たくさんの医師や看護師さんに見送っていただきました。明日明後日、西宮市でお姉を見送らなければなりません。本当の最後の別れになります。お姉とは7つ違いのわたし。幼少の頃は姉というより母親のような感覚でした。わたしが子どもをもうけて、その年齢差が縮まった感じで話せたのも事実でした。

 精一杯がんばって生き抜いたお姉ですが、お医者さんや看護師さんの前で泣いていたことも聞きました。でも、負けずに闘っていたようです。

 ありがとう!

コメント (1)
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