最近は、図書館に行ってピッカピカの新品ばかり狙っています。バカじゃないでしょうか。
新しく入ったばかりの本というのは数少ないので、選択肢も限られています。その中で読んでもいいかな?と思う本はせいぜい1~2冊ですね。
そんなわけで、何日か前に借りたのが、ちくま新書の“中小企業の底力―成功する「現場」の秘密”(2014年4月10日発行)というものでした。
著者は「中沢孝夫」という方で、現在、福山大学経済学部の教授ですが、経歴が変っています。高校卒業後、郵便局に勤め全逓本部を経て、45歳のときに立教大学法学部に入学。1993年に卒業して、その後1100社の会社の聴き取り調査を行い、中小企業やものづくり、製造業等に関する本を執筆されているそうです。そして、放送大学の教科書の筆者でもありました。借りる時は全然知りませんでした。
放送大学では「グローバル化と日本のものづくり‘2011」が授業科目になっています。
機会があったら受講したいです。
さて、とはいえ、中小企業に特別関心があったわけでもないので、この本を読んでも、またもやザルに水を注ぐような状況でした。しかも、1週間以上も前に99%くらい読んであったので、昨夜残りの1%を読み終えたものの、すっかり内容を忘れてしまっています。記憶のどこかに眠っている=脳みそのどこかの引き出しに入っていることを願って、とにかく読んだという記録をここに残しておこうと思います。
ざっと印象に残ったことを書くと、「日本の中小企業の質は高い」ということです。ずいぶん前(私が子どもの頃)には、中小企業というのは、大企業の下請けで、安い金額で単純な部品などを作らされているものだと教えられていたように思います。
しかし、今や、日本の中小企業は、精密で高品質のものを作る技術に優れ、重要な部品や、装置の一部などを作っているので、大企業の製品造りの過程にも、なくてはならないものになり、日本経済を支えています。それは、世の中の常識にもなりました。
そして、この本を読んでわかったことには、日本の中小企業が世界に進出して、海外でも生産を行っていますが、その基盤となる技術はやはり日本にあるということです。長い年月の中、日本では様々な試行錯誤や失敗を繰り返し、研究開発して歩んできたがゆえに、その技術が確たるものとなっています。つまりそのことに対して時間と労力をかけて取り組んできました。この技術を外国に伝授したとして、とりあえず、その通りに作ることは出来ますが、そこからさらに現地の人がこれまで日本が取り組んできたように、ものづくりに取り組んでいけるかといえば、そうそう一朝一夕にできるものではないそうです。
これは、最近の多くの企業小説にも描かれていることですが、それこそが日本の財産であり、日本人の能力と気質によるものだといえるでしょう。
又、労働者や技術者が成長するためには、1つの職場で長年働き続けること=仕事量が大切だというのも改めてそうかと思いました。
近年の風潮では、能力のある人間は時間をかけずに要領よく物事をこなし、とかく転職を繰り返し、次々に待遇のよい、レベルの高い職場へと転職していくというような考えがあります。
しかし、本当にそうなのだろうか?ということに、この本を読んで気がつきました。人間ってそんなに格好のよいものではないのではないでしょうか。現実の仕事を離れて突拍子のない能力を見につける社員などいないはずです。皆、今現在の業務をしつつ、経験を積みながら仕事を覚えて技術を高めていきます。そこでしか通用しない技術は意味がないとか、つぶしがきかないなどという人もいますが、その場で必要な事ができない人間に何ができるというのでしょうか。ごく狭い仕事場において、そこでの専門的なことができることは重要なことです。
私も同じ仕事を10年近くしていて、他に能がないのでどうしようかと思っていましたが、それでいいのかもしれない。今この会社のその部署で役に立っていることが大切なことなのかもしれないと思えてきました。
そして「何でも屋」というのは会社でも人間でも、コア(核)がないということです。いろんなことをやっている会社、何でもできる人間は捉えどころがなく、信用ができません。得意分野は何なのか、自分の専門性は何なのか、確たるものをもっているのがよいということです。
なんか、本に書いてあったこととは少しずれてきてしまったかもしれませんが、そんなことを今思っています。
新しく入ったばかりの本というのは数少ないので、選択肢も限られています。その中で読んでもいいかな?と思う本はせいぜい1~2冊ですね。
そんなわけで、何日か前に借りたのが、ちくま新書の“中小企業の底力―成功する「現場」の秘密”(2014年4月10日発行)というものでした。
著者は「中沢孝夫」という方で、現在、福山大学経済学部の教授ですが、経歴が変っています。高校卒業後、郵便局に勤め全逓本部を経て、45歳のときに立教大学法学部に入学。1993年に卒業して、その後1100社の会社の聴き取り調査を行い、中小企業やものづくり、製造業等に関する本を執筆されているそうです。そして、放送大学の教科書の筆者でもありました。借りる時は全然知りませんでした。
放送大学では「グローバル化と日本のものづくり‘2011」が授業科目になっています。
機会があったら受講したいです。
さて、とはいえ、中小企業に特別関心があったわけでもないので、この本を読んでも、またもやザルに水を注ぐような状況でした。しかも、1週間以上も前に99%くらい読んであったので、昨夜残りの1%を読み終えたものの、すっかり内容を忘れてしまっています。記憶のどこかに眠っている=脳みそのどこかの引き出しに入っていることを願って、とにかく読んだという記録をここに残しておこうと思います。
ざっと印象に残ったことを書くと、「日本の中小企業の質は高い」ということです。ずいぶん前(私が子どもの頃)には、中小企業というのは、大企業の下請けで、安い金額で単純な部品などを作らされているものだと教えられていたように思います。
しかし、今や、日本の中小企業は、精密で高品質のものを作る技術に優れ、重要な部品や、装置の一部などを作っているので、大企業の製品造りの過程にも、なくてはならないものになり、日本経済を支えています。それは、世の中の常識にもなりました。
そして、この本を読んでわかったことには、日本の中小企業が世界に進出して、海外でも生産を行っていますが、その基盤となる技術はやはり日本にあるということです。長い年月の中、日本では様々な試行錯誤や失敗を繰り返し、研究開発して歩んできたがゆえに、その技術が確たるものとなっています。つまりそのことに対して時間と労力をかけて取り組んできました。この技術を外国に伝授したとして、とりあえず、その通りに作ることは出来ますが、そこからさらに現地の人がこれまで日本が取り組んできたように、ものづくりに取り組んでいけるかといえば、そうそう一朝一夕にできるものではないそうです。
これは、最近の多くの企業小説にも描かれていることですが、それこそが日本の財産であり、日本人の能力と気質によるものだといえるでしょう。
又、労働者や技術者が成長するためには、1つの職場で長年働き続けること=仕事量が大切だというのも改めてそうかと思いました。
近年の風潮では、能力のある人間は時間をかけずに要領よく物事をこなし、とかく転職を繰り返し、次々に待遇のよい、レベルの高い職場へと転職していくというような考えがあります。
しかし、本当にそうなのだろうか?ということに、この本を読んで気がつきました。人間ってそんなに格好のよいものではないのではないでしょうか。現実の仕事を離れて突拍子のない能力を見につける社員などいないはずです。皆、今現在の業務をしつつ、経験を積みながら仕事を覚えて技術を高めていきます。そこでしか通用しない技術は意味がないとか、つぶしがきかないなどという人もいますが、その場で必要な事ができない人間に何ができるというのでしょうか。ごく狭い仕事場において、そこでの専門的なことができることは重要なことです。
私も同じ仕事を10年近くしていて、他に能がないのでどうしようかと思っていましたが、それでいいのかもしれない。今この会社のその部署で役に立っていることが大切なことなのかもしれないと思えてきました。
そして「何でも屋」というのは会社でも人間でも、コア(核)がないということです。いろんなことをやっている会社、何でもできる人間は捉えどころがなく、信用ができません。得意分野は何なのか、自分の専門性は何なのか、確たるものをもっているのがよいということです。
なんか、本に書いてあったこととは少しずれてきてしまったかもしれませんが、そんなことを今思っています。