山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

初心に帰る

2011-11-13 22:32:03 | 読書
いつから読書が嫌いになったのか?
図書館の帰りにふと思った。私は子供の頃、本の虫といえるほど、本を読むのが好きな子どもだった。なのに、いつから嫌いになったのだろう。
そうだ、昔はもっと無心に本を読んでいたのだ。何かの本を読んだからといって、その内容を分析したり、まとめたりすることもなかった。ただただ読んでいただけだった。

無心に思うままに好きな本を読めなくなったのは、おそらく短大を境にするものである。
そこで、国文科に入ったからだ。主に近代文学をやっていたけど、その時から、本を読んで内容を理解し分析するということが、競争の世界、他人との比較となってしまった。
あなたは、この部分を読み落としている。作者の意図はそんなことではない。そんな読み方ではまだ全然わかってないな。まだまだ読み込みが足りない。etc.etc.
そこで、自分は誰よりも賢く、誰よりも深く、誰よりも念入りに作品を読み、誰もが読み落としたところに気づき、精密に理解しないといけなくなったのだ。そんなことはできるはずも無いし、今となってはそんなことで苦しむのはバカらしい。

放送大学に入って、やっぱり文学作品を読んでレポートを書く面接授業を受けたことがあったが、その時もさらにそういう強迫観念に攻め立てられた。そして、レポートに点数をつけられ、脳なしであり、バカであり、作品を理解することのできない自分が自分自身の前にただあらわになっただけだった。だから、もっともっと頑張らなくちゃいけないと思うが、とてもじゃないけど頑張れないし、実際、もう頑張る気にはなれないし、そんな情熱はないし、そんなこと好きでもないのだ。そうだ、そんなことはキライなのだ。

昔、「ジャンニーノのいたずら日記」を読んでいたころのように、私は何も考えず、ただ楽しいと思って読書をしたい。そうだ、昔のように本を読めばいいじゃないか。
それが、「初心に帰る」ってことだ。

金欠症悪化

2011-11-13 18:32:41 | 日記
慢性的金欠病なのであるが、かなり悪化状態。現在財布には硬貨しかなく(ざっと700円くらいかな?)、銀行ではマイナス5000円くらいになっている。

昨日、財布に千円札が2枚と小銭がいくらかあり、友人と1000円もしないランチを食べてから、友人お勧めのサーモンの缶づめを2個買ってきた。油が載っていて普通の鮭缶とは全然違うという話だったが、食べてみると大して変わらないように思えた。

それで、もう財布の中にお札が無いと思って、今日はクルマでどこにも出かけなかった。夫は昨日も休みだったのに、今朝から疲れたの何だのと言っていて、立川の南極北極科学館に一緒に行くのが中止になったこともあるが、1人で別の所に行くにしても、駐車料金を払うお金と、万が一のときのために千円札何枚かは入れておきたいところ、それがないのだ。夫に金をくれと言ったら夫も無いのだそうで、4000円しかないから上げられないのだそうだ。夫も最近、定期貯金を崩したそうだ。崩したんだったら余裕がありそうなものだが、夫は何かとちびちびお金をおろしてくる人間なので、自宅には無いということだ。それにそうそう出費がオーバーしていたのでは、今後貯金が底をつくのは目に見えているのだ。

自分の机の中に、間違ってお金が残っていないかと探してみたら、古い伊藤博文の1000円札と、岩倉具視の500円札と、沖縄?の門の2000円札があるばかりで、使うことのできないものであった。

こうなったら、もう出かける気もなくなり、フテ寝することにした。先週は放送大学の面接授業で丸2日つぶれたので、全く運転してないし、水曜日に長女をアパートに迎えに行っただけである。今週こそは運転できると思っていたのに、とんだ結末となった。

11時~2時ごろまで寝て起きると、夫がMDを買いに行きたいが車で行けないかという。この男は、電気屋にしか興味が無い男だ。ムカついたので、断ってやった。こっちが運転をしたいのでどこでも車で行くと思ったら大間違いだ。全く趣味の不一致である。私は昭和記念公園のコスモスも見たかった(もう終わってしまったかな)し、そのそばにある南極の展示を見たかったのだ。しかも、先週夫が夜勤で不在であり、南極観測隊のドラマを録画予約していたので、私も見ないでいたら、私が仕事に行っている間に自分だけで録画を見て、すぐに削除してしまったという。それで、私は先週分を見る事ができなかった。そんなことなら、私はテレビの放送を見てしまえばよかった。それで、なんだか、南極のドラマを見る興味が一気に引いて行ってしまう感じだ。(注:南極北極科学館は月~土の開館で日曜は休みということが後でわかった。今日は休みだった。)

昨日は「妖怪人間べム」を見逃してしまった。9時から何かあったんじゃないかなと思っていたのだが、うっかり忘れた。夫は妖怪のドラマなんか見たくないと言って、最初から1度も見ようとしないので、私は毎週キッチンのブラウン管テレビで1人で見ているのだ。あんなに面白いのにどうして見ようとしないのだろう。配役は適役だと思う。特にべラの杏は現代人じゃない感じがすごく出ていていい。全く夫とは趣味の不一致だよ。テレビをつけたときにはすでに妖怪人間が終わるところであり、仕方がないので別のチャンネルを出してみたら事件ものの2時間ドラマをやっていて長野県が舞台だったので、途中からそれを見た。

「ジャン・ブラスカの日記」をアマゾンで買おうとして、新ぴんは高いので古本買おうとしたら、コンビニ配達はできないそうだ。自宅に配達されても居ないことが多いのでやめてしまった。ブックオフには在庫がないし、あんまりたくさん出回っている本ではないのかな?それで、図書館に行くことにした。幸い図書館に1冊あったので借りてきた。普通の大きさの単行本かと思ったら、実物は文庫本のような本だったので驚いた。

「ジャン・ブラスカ~」のほうでは、「ジャンニーノ~」では省かれていた寄宿舎の部分の日記があるようだ。それから、翻訳での言い回しの違いなども比べてみたいと思う。図書館のイタリア文学の書棚は本当にちょっとしかないが、その中かから3冊ばかり本を選んで借りてきた。現代の作品の2冊の翻訳者は泉典子という人だった。イタリア語を翻訳する人ってあんまりいないんだろうな。

 図書館を出ると外はもう真っ暗だった。自宅では卵を切らしている。卵がないと何かと不便である。昨日も合挽き肉はあったものの、卵がないので、ハンバーグもできず、結局ドライカレーしかできなかった。あり合わせのもので何か作ろうと思っても、チャーハンにも卵を入れないとまずいし、うどんも何にも具がないところ、卵だけでもあれば月見うどんなどができる。そこで、帰り途にコンビニに寄って卵を買おうとしたら、6個で198円、4個で178円もしているのだ。結局6個のほうを買ってきたけど、あまりに高い。その他に、ちょっとしたお菓子と沢庵を買ったら、本当に財布が空っぽになってしまった。

それでも、コンビニで買い物をする前にお札が1枚もないと思っていたら、1枚残っていることに気がついた。だから、それだけ買っちゃったということもあるのだけど、給料日まではあと1週間以上あり、なんとか現金を使わずに持ちこたえさせたいところである。

9月に娘と実家に帰ったときに交通費が結構かかったし、2学期の放送大学の学費などが影響している。先日、以前勤めていた会社の同期会があったのも大きな出費の1つだ。11月末には車の保険の引き落としもあるので、どっちにしても自分の貯金を解約しなくちゃならないが、平日に休みを取らないと銀行に行けないから、それまではどうにもならない。

今日は、車の運転もまた先送りになってしまい、がっかりだけど、あんまり気にしないことにしよう。



ミライースの実燃費

2011-11-13 01:05:56 | 運転・車・道路の事
 このあいだ、試乗した時、燃費がどのくらいだったかも全くわからないまま帰宅してきた。
メーターの表示については走行中に説明してもらったが、運転中にメーターを気にかけている余裕もなかったので、エコドライブを心掛けてもいないし、アクセルの踏み方についてアドバイスを受けもしなかった。加速も停止も前を走っている車と同じ速度で走る以外には走りようがない状況だった。普通に運転していても自動的にエコになるんだろうくらいに思っていたが、それなりの燃費を出すには運転の工夫も必要らしい。最近聞いたことでは、発進時にあんまりアクセルを踏まないほうがいいと試乗時にアドバイスされるとのことだ。私の場合、試乗の時には、普段ムーヴを運転している時以上に強くアクセルを踏まないと、いつものように加速しないように感じていた。いつもうちの車には自分1人か、家族もう1人しか乗らないので、乗員は1人か2人である。それが、試乗のときには、隣に店の人、後ろに夫と合計3人も乗っていたのだった。ムーヴとミラでは100キロ近く重量が違うが、人間が2人多いと、全重量はムーヴより重くなる可能性が高い。だから、ミラの車体の軽さ効果は意味のないものとなる。
 エンジンは信号のたびに止まっていて、エコアイドルだから、そういうときこそ省燃費の効果が出るものらしい。確かにエンジンが止まっているときは燃料を使わない。しかし、車というのはブレーキを踏むと、止まるための燃料を使うので、やはりすいすい走り続ける場合よりもガソリンを使うことになってしまうようだ。だから、いくら無駄にエンジンを回さないと言っても、ブレーキとアクセルを踏むたびにガソリンを余計に消費してしまい、信号が多い都会では燃費が悪くなるようだ。
ある情報によれば、都会でのミライースの試乗で、燃費20kmを出すのは難しいとのことである。試乗後に燃費の結果の説明がなかったのは、きっと20kmを超えることができなかったからに違いないが、できれば、それが実現できない理由を説明してもらいたかったと思う。
 アイドリングストップのついていない旧式のムーヴに2年間乗っていて、その平均実燃費は13km/Lくらいである。これは、エアコンをつけて走っているときも含む。ムーヴのカタログ上の燃費は過去の基準ではあるが、23km/Lであり、私の実燃費はその6割弱くらいになっている。ということは、ミラがカタログ上30km/Lであれば、私が普段走っている地域の走行では、18km/Lくらいになるのかなと予測できる。試乗したコースは、燃費を向上させるにはかなり条件の悪いコースだったと思えるので、致し方なさそうだ。もちろん、信号などがない道路では燃費はカタログに近いものとなるのであろう。

こんな記事があった。
「ミライースの実燃費情報②」

子供の文化と本13

2011-11-12 20:23:05 | 読書
今日、いろいろ検索していたら、「ジャンニーノのいたずら日記」について、すごい記事を見つけた。さすがに大学の文学の先生が書かれていることは、奥が深い。

2000年6月に書かれたものなので、もう11年以上も前の記事であるが、あまりにも嬉しかったので、ここにご紹介する。

「週刊・読書北海道メール版」復刊第72号(通巻203号) 2000/06/13発行

〔Colum:本と批評〕
1)子どもの文化と本13(中澤 千磨夫) どこに視点を求めるか(中)

日記体という戦略――ヴァンバ『ジャンニーノのいたずら日記』


ジャンニーノ読み終える

2011-11-12 11:14:56 | 日記

やっと土曜日がやってきた。今日は午後から友だちに会うので、午前中本を読んだ。
「ジャンニーノのいたずら日記」を読んでいるうち、大人に対する風刺が効いていることに気がついた。口でいうことと腹の中で思っていることの違う大人、きれい事で取りつくろっていい人の振りをしている大人、自分の都合のいいように物事を進める大人。医者の治療のいい加減さ、政治活動の策略。どれも今の世の中とまるで同じだ。この内容は全く古いものではないことに驚くし、これは子どものための本ではなく、社会であたりまえのように行われていることを戒めるための要素が強い。なんで小6の自分がジャンニーノに感化されたのか、わかるような気がする。
「ジャン・ブラスカの日記」も是非読んでみよう。

イタリア文学

2011-11-11 00:56:22 | 読書
小学生の時に読んで影響を受けた「ジャンニーノのいたずら日記」を40年たったいま読みなおしている。若い時に読んだ本を年を取ってから読みなすのはいいもんだと言うが、あまりも過去に戻り過ぎか?と思ったが、ひょんなことから、この古本を手に入れるに至ったので、それも運命だ。
今日は、「その2」まで読んで、ふと本の最後の解説に目をとめた。那須辰造という人が、イタリア文学について書いてあった。イタリア文学は日本ではあまり読まれていない。イタリアといえば、芸術の国であり、名作がないわけはなく、ただ日本でイタリア語がさかんでないので、あまり紹介されていないのだそうだ。この解説は昭和32年に書かれたものだから、その当時はそうだったということだが、実際今でも変わっていないように思える。ジャンニーノのいたずら日記を読んでいて、私は「ピノキオ」を思い出していたが、ピノキオもイタリアの作品だそうだ。ジャンニーノの作者ヴァンバ(1860~)とピノキオの作者コロディ(1824~)は共にフィレンツェの生まれだそうで、気質に共通点があるのかもしれない。ヴァンバは大学に行けるような恵まれた身では無かったそうで、上の学校に行かずに鉄道の事務員として働いていたが、後にローマに出て新聞に文を書いていたという。安藤美紀夫と言う人がヴァンバ論を書いているというので、それも読んでみたいと思った。
私の記憶の中にあった「ジャンニーノのいたずら日記」を読んだ思い出だけでは、どこの国の誰の作品だったかもまるで意識していなかったから、こうやって読み返してみてそういうことを知ることができたのもよかったと思う。
そして、自分が子供の頃、意外に日本の作品ではなく外国文学を読んで育ったことも思いだした。当時は、日本のものよりも外国の話のほうが断然おもしろいと思っていたのだ。それが大人になってからは、外国文学を読まなくなり、近頃では外国人の登場人物のカタカナの名前が覚えられないし、何かまわりくどい文章で、外国人の書いた文の翻訳はまるでアタマに入らないように思いこんでいるのだった。しかし、それは違うのかもしれない。もしかしたら、面白いのかも知れない、と思った。
子どものころは、ただ本を読むのが面白くて、何も考えずに読んでいたと思う。そういう読み方ができれば、今も楽しく本を読めるのかもしれない。
ヴァンバという人は、1860年に生まれたので、私よりちょうど100年前の人である。そして、1920年に亡くなったというので、わずか60年の生涯だった。私はもっと長生きしたいけど、60歳まではもう10年もないから、あと9年くらいでどれだけの事ができるか、どれだけの本を読めるかなと思った。たとえ90歳まで生きたとしても、日本文学も世界文学もいっぱいあるから、急いで読まないとダメである。
100年先の異国の人に作品が届けられるって、すごいことではないだろうか。そして、この古本を古本屋に売った元の持ち主さんもどんなひとだったんだろうな、などと想いをめぐらした。きっと私くらいの年齢の人が子どもの時に読んだ本だと思うのだった。
今日、テレビで人は2度死ぬと言っていた。1度目は心臓が止まって命が無くなるとき、2度目は人の記憶からその人の存在がなくなったときだそうだ。その人のことを覚えている同時代の人が生きているかぎりはその人は死なないということになる。でもさらに、同時代の人が全部死んでしまっても、その人の創作物がある以上、それは人々に影響を与え、その人は生き続けているのであり、ヴァンバもまた100年後の日本に生きていると言える。さらに、200円の本が再び2100円で売買されるという経済活動にも寄与しているのは驚きである。

決断力・即行力ゼロ

2011-11-10 23:49:36 | 放送大学
先日の面接授業で、感想文を書いて提出しないといけないんだけど、なんだかな~。
考えがまとまらない。
いろいろと思うことはあるんだけど、なんか授業がものすごいスピードで進んで行き、結局何を学んだのかわからない。それで、レジメなどを読み返して、ちゃんと内容を理解しようとしているんだけど、それでもなんか、書きたいことがまとまってこない。
授業中に書くんだったら、その場で思ったことを適当に書き連ねちゃって終わりにするけど、郵送で送るとなると、感想文とはいっても、そんな即席みたいなもんじゃダメだろうし、そうなると、漠然とした物事に対しては、いろいろと調べてから書かないといけない。質問もできるというけど、自分で調べてわかるような内容だったら、調べもしないで質問するのは怠慢以外の何ものでもない。よくわからないことで、質問したいことはいっぱいあるけど、それを一応自分で調べれば、だいたいの事がわかるものも多いと思う。そういう作業を全部して、それでもわからなかったことを質問に書くのが望ましい。でも、それが面倒臭い。
きっと、適当なものでもいいんだと思う。でも、それがなかなかできない。
レポートを提出しないと単位はとれない。単位はとれなくてもいい。むしろ、一度単位を取ってしまうと、似たような内容の授業が受けられない場合もある。何度も繰り返し授業を受けたいのなら、単位を取らないほうがいいのだ。
しかし、やっぱりやるべきことは、やらないとなあ。

こういうとき、本当に実行力がない。自分で自分がいやになってしまう。


ジャンニーノ

2011-11-08 23:46:30 | 読書
ジャンニーノのいたずら日記を読んでいる。子どもの頃、この日記の本を読んだあと、何年か経ってから、テレビでドラマを放送したと思う。
そのときの歌はいまでも覚えている。

みんなして言うんだ僕のことを、あのジャンニーノのいたずらっ子
いいことばっかりしてるのに、いつでも何かが起きちゃうの

そのドラマはあまり覚えていない。

本のほうでは、ジャンニーノは、日記帳を「日記くん」と呼んでずいぶんと親しみをこめている。最初の1ページめは、姉の日記を写して書くことで、ページを埋めるなんてことをしていたが、まったくやることなすことおかしい。ジャンニーノは、けっして日記を毎日書いていない。私もそのように、書きたいときだけ書くことから始めたので、長らく続いた。というか、やめられなくなった。

ジャンニーノには年の離れた姉たちがいて、末っ子だった。私が小学6年の時、姉は高校2年だった。少し境遇が似ていたかも。友だちはいたけど、家の中では1人の子どもだった。
ジャンニーノは動物と自動車が好きだ。う~む。
無意識のうちに、私はこの本からなにかを刷り込まれていたのかもしれないぞ。

ジャンニーノのいたずらなんて、私には関係ない。
でも11才の私は、この本と出合うことによって、日記を書くことの楽しさを知ってしまったということだ。



逆切れ

2011-11-08 19:06:58 | 日記
今日、店で買い物をしていたら、床の上に落とした売り物の食べ物を元に戻して知らん顔をしようとしている人がいた。思わず、注意したらすごい逆切れ。
ここでは詳細を書くのは控える。だって、またなんかのことで逆恨みでもされたら怖いからだ。
しかし、どうして何もなかったことのように誤魔化そうとするのだろうか。店側では、お客が過失で商品を落としても、攻め立てたりはしない。そりゃあ、ものすごい高価なものであれば別かもしれないが、パンだのお惣菜だの、2~300円程度のものをダメにしてしまったところで、買いとれとか弁償しろとも言わないだろう。その人は自分が手に取ったものを落としていたように見えたが、場合によってはちょっと触ったくらいで落ちるような陳列の仕方が原因のこともある。問題は落とした理由ではない。
落としたものを、何事もなかったように元に戻した場合、それを知らずに買って食べる人のことを考えろってことだ。自分だったら、何も気にせず平気で食べるんですか?
自分がいやだと思うことを、人にするなっていうの。ゴミがついていたりしたら、衛生上問題だし、それこそ店の責任問題になる。ちゃんと事実を店の人に申し出て、落ちたものを売り場から撤去してもらわなくてはダメだ。

そういえば、このあいだ、バスに乗っていた時、何やら音楽みたいな音がしていて、なんだろうと思っていた。ヘッドホンから音が漏れているにしては、あまりにも大きいのだ。それに、その音はCMのようでもあり歓声のようでもあり、ウォークマンとかで聴く純粋な音楽とは違っていた。後ろの席の方から聴こえてくるので、私の前の席の人も私のほうを振り返ったりしてきた。「いや、私じゃないですよ。私もうるさいと思ってるんだから…」ということを示すために、私もまた後ろを振り返るのだった。
イヤホンをして音楽を聴きながら寝てしまい、イヤホンの差し込みがはずれたのかな?と思ったが、それならばよほど熟睡しているのだろう。しかし、バスは始発駅を発車したばかりだから、熟睡するには早すぎるのではないか。「音が漏れていますよ」と言いに行こうかと思ったけど、他にもいっぱい乗客がいるのに、そのそばの人も何も言わないようだった。
走行中に席を立つのもなんだし、降りるまで我慢するか、降りるときに教えてあげるか、などと思いながら乗っていると、ある停留所で、その音が移動し始め、1人の人が降りて行った。あれっ?音が漏れてるの、本人が知ってるんじゃない。ヘッドホンもイヤホンもしてないようだし、そう、承知の上で空気中に音を流しながら、ゲームかなんかをしていたようです。自分だけに聴こえると思っていたのか、それとも小さめにしているから大丈夫だと思っていたのか。

周りの人も、何にも言わない。万が一逆切れでもされたら怖いからだろう。


身づくろい・毛づくろい

2011-11-07 21:17:22 | 日記
昨日、電車に乗っていたら、向かい側の席に座った20代の女性が、身づくろいを始めた。
まず、コートを脱いで丁寧にたたみ、膝の上に載せ、それから、ヒョウかトラのような模様のストールを外すと、それも丁寧にたたみ始めた。なかなか几帳面そうだ。が、その割には、ストールにはあたかもそのへんに放り投げてあったかのようにシワだらけだった。
たたんだストールをコートの上に重ねておくと、茶色く染めた長い髪の毛を左右の手で、左右それぞれ両側にすき始めた。なるほど髪もちょっと乱れたから整えるのかと思ったのだが、普通2~3回で終わることころ、全然終わらず、ずっとずっと10回以上繰り返している。つまり指で髪の毛をとかしている。あんなにとかしたら髪の毛も何本か抜けないわけはないだろう。電車の中に落ちるぞ。両隣りは男性だが、無表情に座っている。
女性はやっと髪の毛をすくのはやめた。すると、今度は両手の爪をいじり始めた。爪はものすごく長いつけ爪がついていて、凝ったデザインだ。その爪と爪を左右1本ずつ組み合わせながら、片方の爪の内側の溝に片方の爪を差し込んで、たまったゴミを取りはらっているらしい。なるほど、あんなに長い爪がついていたら、内側にゴミがたまるんだろう。

動物は毛づくろいをする。うさぎでもカナリアでも人間以上に熱心にするものだ。そのせいか、お風呂に入らなくてもきれいである。動物が毛づくろいをしなくなったら、死期が迫っていると考えていいくらいだ。人間も自分の身体や服の手入れをしなくなったらおしまいである。

でも、電車の中ではちょっと控えたほうがよいのでは・・・。

東急バス

2011-11-07 01:18:26 | 放送大学


昨日は、都営バスを載せたので、今日は東急バスを載せます。カテゴリーが「放送大学」というのもおかしいですが、放送大学には渋谷から東急バスに乗っていきます。
この写真に写っている車体はずいぶんすっきりしたデザイン。
このほかにも、他の図案を加えたものや、広告のラッピングバスもあります。

この近辺は「東急のなわばり」って書いたのですが、渋谷駅からは京王線も出ており、「京王のなわばり」でもあります。バスも京王バスが走っていて、このターミナルにも停まっていましたが、私の立ち位置から離れていたので、撮影できませんでした。京王バス画像はまた今度。

今日は、昨日に比べて道路がかなり空いていました。都心をクルマで走るなら、やはり日曜の午前の早い時間がよさそうです。夜も昨日より空いていたので、センターから渋谷まで早く着きました。

そういえば、バスの乗客って、ちゃんと料金を払わない人が結構いるんですね。バス料金は一律210円だけど、10円足りない人とかもっと足りない人がいて、そのままバスの中ほどに進んだところで、運転手さんに呼び止められて、戻って払っているいる人が時々いました。うっかりなのか故意なのかわかりません。運転手さんも大変だな~。カードの代わりに学生証みたいなのを間違えてかざしている男子学生などもいて、若くても間違えるんだな~と思いました。




引き続き面接授業

2011-11-06 22:41:47 | 放送大学
昨日に続いて今日も面接授業に行って来た。疲れて、帰宅してからさっきまで寝ていた。
今回の面接授業は、知りたいと思っていたことと、ちょっとずれていたかな?色々な情報は得られたけど、ちょっと自分としての的を射ない感じが残ってしまった。
きっと、自分の関心が一般的な人とは、ずれているのかもしれない。今までは、質問タイムを設けたり、質問用紙などを用意して、それに答えてくれた面接授業が多かったけど、今回はそういうものがなく、先生が一方的に話を進めて、しかも、今日は質問を挟む余地もないスピードで進んでいくので、ついていくだけで大変だった。他の人が何を知りたかったのかもわからないし、自分の疑問もすべて据え置きだ。人の質問を挟むと、時間がかかって面倒臭いこともあるけれど、内容が再確認できたり、別の視点が見えてきたりするので、ある程度質問タイムがあったほうがよいような気がする。多人数の講演会でも、普通は質問タイムがある。とりあえず何も考えずに理解だけして終着点まで全速で走るというような状況は、ちょっとまいった。

面接授業

2011-11-05 23:28:32 | 放送大学
2学期の面接授業が始まった。授業中は、かなり眠かった。
昨夜、大昔勤めていた会社の同期会があり、深夜に帰宅して、寝たのが3時近かったせいだ。内容もあんまり面白くなかった。以前勉強したことで、自分にとって変わり映えがしない内容だったからなのかもしれない。でも、すっかり忘れていたので、復習になってよかった。

昼休みは、どこかで外食をしたいと思ったが、世田谷学習センターの周りには何もなかった。学芸大学駅のそばまで行けば、いろいろあるけど、歩いて10分以上かかる。昼休みは70分あるので、往復で30分使っても40分を食べる時間に充てられるが、ちょっと遠い。やはり、近くにある唯一のコンビニで買うしかないかなあ。
コンビニ方向に歩いていった。ラーメン屋くらいないものかな?前方に「餃子の店?」と思ったら「千枝子美容室」と書いてある。「子」だけで餃子に見えるとは・・・。いや「枝」と「餃」もわずかに似てる。
なんか何にもなさそうだけど、その方向に進んで行った。右前方に赤と白と緑の駐車場の看板が見えた。「もしかしてイタリア料理かなんかあるのか?」とちょっと期待したのだが、ただの月極駐車場だった。ずっと先は「環七」。歩いたついでに環七まで行ってみるか。
結局何にもない。ついに環状七号線に出てしまった。せっかくだから、駒沢通りとの立体交差に向かって写真撮影をした。



あれはなんだろう?



道路の向こう側にプラネタリウムのようなドームのついた城のようなものがそびえたっている。対岸から正面まで行って見てみると、「チャイニーズシーフード」と書いてある。中華レストランかな?ちょっと怪しげなのでやめておいた。

ここらへんは、東急のなわばりで、バスも東急だけど、環七には都営バスも走っていた。



また学習センターのほうに向かって戻り、結局唯一のコンビニでパンとお茶などを買ってセンターの休憩室に行って食べた。
世田谷学習センターのそばって、本当に何もないなあ。

帰りは、東横線の学芸大学に出る事が多いが、今日は昼休みに歩きまわったので、歩く気がしない。センターの前から渋谷行きのバスに乗ることにする。バスは、東西、三宿通り方向からも環七方向からも来る。授業が終わった5時15分にはすでに真っ暗で、バス亭の時刻表さえ読むことができない。西から来るバス(渋34)より、東から来るバス(渋32)の本数のほうが多いようなので、そっちで待つことにした。そのバスは龍雲寺循環なので、一旦環七まで出てから野沢道を戻る形となる。先に反対側のバスが来たら急いで道路を渡ろうと思っていたら、同時に両方向からバスが来た。結局、西側から来るバスに乗ったほうが遠回りではなく、到着も早かったはずだが、待っていたほうのバス停から乗った。夕方は乗客が多く、どのバス亭でも乗り降りする人が多かったし、信号待ちなどでなかなか進まない。渋谷についた時にはすでに6時を回っていた。

世田谷学習センター、ちょっと不便だ。

右と左の書き間違い

2011-11-05 00:12:09 | 日記
このブログの最近の記事を読みなおしてみると、道路の右折・左折、右・左、第1車線・第2車線を、書き間違えていることが多く、あわてて書き直した部分があった。
子供でもあるまいし、どうして左のことを右などと逆に書いているのか不思議だ。アタマの中で思い描いていることとは逆のほうを書いてしまっているのだ。右・左や第1・第2は重要なことなので、それが違っていると、まるで意味不明になる。困ったことだ。
このブログを読んでくださっている人の多くは、現地の道路を知っているわけではないので、右でも左でもどうでもいい場合も多いかもしれないが、もし知っている人が読めば、どうしても現地の状況と合わず、おかしなことになってしまう。また、現地を知らなくても、文の前後関係が理解不能になってしまうし、右に曲がるのに左折レーンに入るのか、こいつは、なんてことにもなる。

そこで、ふと気がついたが、普段仕事でやっている書類の誤記点検でも、こういう間違いはかなり多いのである。
図面と文章を照合しつつ、どう見ても右だろこれは???と疑問に思い、それにしてもこんな間違いはしないだろう、と悩んだ末に、やっぱりおかしい・・「右ではありませんか?」などとコメントをつける事が多いのだが、右・左、上・下などよく間違いをみつける。これらは、全く逆を示してしまうので、ちょっとしたミスでは済まされない。
そういえば、実験結果の折れ線グラフについての記述などでも、どうみても「右下がり」なのに、「右上がりになっている」などと書かれていたりする。

書類を書いた人について、この人、よっぽどボケてるんじゃないの?などと思うのであるが、他人ごとではない。意外に間違いやすいことなのだった。

要注意だ。

ジャン・ブラスカの日記

2011-11-04 00:47:34 | 読書
「ジャンニーノのいたずら日記」の翻訳者の前書きを読んだら、この本の原作は「ジャン・ブラスカの日記」というものであることがわかった。
そして、この題名で検索すると、2008年12月に平凡社から単行本が発行されていることがわかった。原作は今から100年も前に書かれたものであるようだが、イタリアの人はこの原作者ヴァンバという人のことを誰もがよく知っているそうだ。
「ジャンニーノのいたずら日記」は、長さを縮めて、翻訳も厳密なものではないそうだ。だから原作に忠実な「ジャン・ブラスカの日記」も読んでみたいと思う。