山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

私の名前

2005-12-20 23:44:17 | 未分類過去
ブログの作者の名前が分からないってのも不便なものだなあと反省しているのですが、本名を出す勇気はないので、どうしようかなあ、何かいい名前はないかなあなどとずっと悩んでいます。
とりあえずは、IDのponというのを使って間に合わせていました。
読み方は「ぽん」です。
なんだろう、たぬきでしょうか?
実は、これは、ある言葉の省略ですが、それは秘密です。

それで、ポンにかけてなんかないか?と考えていたところ。
「本」でいいじゃんと思ったのです。
本がつく名前と言えば、「本田」か「本郷」です。
「本郷」は東大みたいですが、あまりなじみがありません。
「本田」は車みたいで、それもちょっとなあ、と思いましたが、音の響きは「本田」がいいかと思いました。
それで、「本田」に決定しようと思っていた矢先、本田美奈子さんが、白血病で亡くなりました。惜しい人でした。悲しいニュースです。
それで、こんな時に、本田美奈子さんと同じ苗字にするのは、どうかなあと思ってやめました。

その後、ある日のブログの文中に自分の姓を決めて書いてあるのですが、それは「山本」です。「やまぽん」とも読めます。下の名前はまだ未定です。

それで、もうしばらく「やまもと」あるいは「やまぽん」でいいかなあと思っています。

ところで、最近著作権のことを調べました。
筆者が分かっている場合は、筆者の死後50年まで著作権が存続しますが、筆者が無名または変名の場合は、著作物公表後50年とのことです。
ですから、このブログで公開された文章の著作権は、このままだと今から50年後までの存続で、私が95歳で生きてても、誰が書いたかわからないままだったら著作権は消滅するってことみたいです。

50年前に書いた文なんか自分でも忘れるかもしれませんね。


やっと喪中欠礼投函

2005-12-20 22:46:47 | 未分類過去
やっと今朝、喪中欠礼のはがき23枚を出しました。
昨日、白無地のはがきと喪中欠礼用の50円切手を買ってきました。
会社の帰りに買うのを忘れて家に帰ってきてしまったのですが、
ちょっと休憩してから再び駅ビルまで自転車を飛ばして買ってきました。
それから一晩かかって、パソコンで作って印刷しました。
宛名は昨年の年賀状のを利用しました。

こんなに遅く喪中欠礼を出す人もいないのではないかと思うのですが、
市販の喪中欠礼はがきがまだ売っているところを見ると、
これから出す人もいるようです。
実際、年賀状を用意してから、喪中になってしまう人もいるようです。

すでに文面が入っている市販の喪中欠礼はがきは、故人の名前や関係が書かれていないので、受け取った人は、いったい誰が亡くなったのかわかりません。
自分の氏名もないので、結局書き込まなければいけません。
今から印刷を頼んだのでは遅すぎるし、お金もかかるし、それほどの枚数も必要ありません。
それで、自分で作ることにしました。

夫は、国内の知人に向けての音信は、まるでやる気なし、関心なしです。
私がはがきを買いに行くというと
「ついでにクリスマスカードを買ってきてくれ」と、ぬかしました。

外国の知人から3通来たらしいです。

外国というのは喪中とか関係ないんでしょうか?
クリスマスとニューイヤー兼用ですよね。
自分の母親の喪中だというのにぜんぜん気にならないようです。

私は嫁としてやはり夫の親戚への礼儀が気になって、義母を老人ホームに入れて、亡くなったら葬式も家族だけの密葬で、喪中欠礼も出さない鬼嫁だ、と思われるのがいやだなあと思いました。自分の親戚も義母の不幸を知らない人が多かったので、やはりこれを機に伝えておいたほうがいいと思いました。

夫は今朝、私が作った喪中欠礼のはがきと自分のクリスマスカードを郵便局に持っていきました。
アメリカは何とかクリスマスまでに着くそうですが、オーストラリアは25日を過ぎてしまうようです。

どうせ出すならもっと早くすればいいのに・・・。
こんなふうに、何でもやることが遅いから、うちは幸運を逃してしまうのでしょう。

(以上、12/17のブログ「喪中欠礼」の続きです。)


お譲さまと間違えられる娘

2005-12-20 21:13:07 | 未分類過去
うちの長女、当然貧乏人です。

今、家が狭すぎて暮らせないので、近所の木造アパートを借りて住んでいるんですが、
大部分のものを99円ショップで買っているのだそうです。
うちに来るとなんでもおいしいと言って感動しています。
私も貧乏ですけど、醤油や味噌などは質のいいものを使っています。
そのくらいは99円はやめろと言いました。

この間、うちに来たときに、イヤリングを落としたとそうです。
家の中のどこかに落ちているはずなのですが、ごたごたしていて、
結局みつかりませんでした。
「あれは、高かったのに・・・」と嘆いていました。
いくらかというと、1300円だそうです。
普通は300円か500円のを買うそうです。

姪が25万円のペンダントを買ったと聞いて、私はぶったまげました。

ところで、育ちが悪く、貧乏な娘なんですが、なぜか「お嬢様」と間違えられるんです。

その理由は、動きが遅いことですね。
食べるのもゆっくり食べるんです。
それが、おしとやかに見えてしまうようです。
そして、天然ボケなんです。
それが、箱入りみたいに見えるらしいのです。

このあいだ、近所のスーパーで2000円の水色の地のチェックのロングコートを買いました。
ちょっとデザインが変わっていて、ありふれていないので、よく見えるか悪く見えるか微妙なところでした。
材質は決してよくはありません。
それを、学校に着て行ったら、本気で「高いでしょう」といわれたそうです。

うちのこども、よくワンピースとかも着てるんですが、
ほとんど2000円台です。
それも、なんだか高いものだと思われてしまうようで、本当の値段を言うと
「どこでみつけたの?!」と驚かれるそうです。
実は、私の田舎のショッピングセンターで買いました。

実際には、友達がはいているGパンなんかのほうがずっと高いんですよね。

まあ、うれしいことかもしれませんが、実態を知ったら驚くでしょう。

将来はお金持ちになってほしいですが、お金持ちの息子とは釣り合いがとれないので、
「将来金持ちになりそうな人を見つけろ」と言っています。


食えない資格

2005-12-20 19:27:55 | 未分類過去
「資格」って言うのは、「足の裏のごはんつぶ」なんだそうです。

取らないと気持ち悪いけど、取っても食べられないのだ とのこと。

たしかに・・・。

思い当たります。

私も数年前、日振教の日本語学校に勤める基準を満たすために、養成講座420時間修了証書(大学の日本語教育課程副専攻程度の内容)と日本語教育能力検定試験合格を苦労して取りましたが、やっぱり食えませんでした。
これらは、必ずしも両方必要なものではありませんが、やはりあったほうが気持ちいいです。

しかし、日本語教師になってみると、非常勤講師では平均月7~8万くらいです。掛け持ちしても、せいぜい月10万くらいです。夏休みや学期の区切り目など、授業がないときは収入がないからです。

日本語教師は親と同居ならできるけど、自活は難しいとよく言われています。
そして、男性などは、まず妻子を養うことは無理だと言われています。
それでも、日本語を教えるという内容は人気があり、日本語教師になりたい人は後を立たないわけです。だから安月給でもボランティア同然でもいいから働きたいなどと言う人が多く、さらに待遇の向上が図れません。学生がアジア系であることが多いので、それらの国の物価から考えても高い学費を取ることはできず、日本語学校の経営は厳しいです。

だから、せっかく教師になっても、長年続く人は一握りです。
適性も必要ですが、その前に財力が必要とも言えます。

日本語学校の学生は4月生と10月生がいる場合が多く、どちらも3月に卒業するので、後期の学生数は多くなり、クラスも増え、それだけ講師の数が必要になったり、講師一人当たりの受けもちコマ数が増えたりしますが、新年度になると減ります。
そこで、担当授業のコマ数が減れば当然収入が減ります。
また、学生の出席率が悪かったりして、非適性校になると、中国などからの学生の入国ビザが下りなくなるので、学生数が激減してしまいます。
学生数に対して教師の人員があまれば、非常勤を一旦解雇するということもよくあります。
それも、学期始めぎりぎりになってから自分が不用であることが判明したりするために、すぐに他校に転職などはできず、半年くらい失業していなければなりません。

教材も自己負担のところが多く、待遇の悪い職場だといえます。

420時間の養成講座の修了生を見て、本当に日本語教師になっている人はどれだけいるでしょうか。確率はかなり低いと思います。
日本語教育能力検定に受かっていても、実際にプロとして教えている人は多くはないようです。

やはり、資格を取っただけでは、その道で生きていくのは厳しいです。

私が最近受講したある講座は、24時間です。それで、5年間実務経験をした人と同等に受験資格を得られるようになっています。この試験に合格したからといって、何も約束されるものはないし、どのように役立つのか、就職に有利になるのか、まったく分かりません。

今回の講座と日本語教師の養成講座の受講生で共通していることを見つけました。それは、「教育訓練給付制度」が適用されていて、学費の割引を受けて受講している人たちです。

昔日本語教師の養成講座に行っていたとき、ちょうど大手の会社が大規模な人員整理をしたのですが、その会社の多くの人が給料をもらいながら会社に行く必要はない環境で、いずれ解雇を迎える準備期間ということで、給付金を適用して受講していました。
今回も、給付金の適用を受けて受講している人の割合が多かったようです。

資格を取るための講座といっても、給付金があるからとりあえず受講してみようというような人もいて、本気でそれが大好きだとか、なんとしてもそれに関する仕事に就こうとか考えているわけではないのかもしれません。

給付金制度とセミナーのもたれあいみたいなものも感じます。
給付金制度がなかったら、受講者は大していないような気がするし、その修了証書が必ずしも仕事には結びついてはいないようです。

実際、私の会社で、分野を同じくした業務において、社員にその認定試験合格を推奨するような動きは皆無であり、求人欄にそのようなものを優遇すると書いていることもありません。
職業訓練給付制度を使って受講する人は、とりあえずの気休めか、いくらかの可能性に夢をかけているに過ぎないのかもしれません。

まあ、つかの間の夢でもそれを目指して取り組んでいる間は、希望に満ちて幸せなものなんじゃないかなあと思いました。

株誤発注事件

2005-12-19 08:46:27 | 未分類過去
数日前のニュースですが・・・

みずほ証券株誤発注事件で、個人の中で最高では5億6000万円もの利益を得た人がいるそうですね。
私が考えるに、もともとミスだったんだから、そんなあり得ないような儲けは、最初からなかったことにして、現金も受け取らないのが普通の神経なんじゃないかと思うのですが、
そんな話は耳に入ってこないので、みんなしっかり受け取っているようです。
その株を買ったある人は、それが1株91万円の現金に換金になったのが納得できず、株価は100万は超えているはずなのに・・・と不服を述べていました。
一瞬にして、90万ももうかれば、それで充分でしょうと思います。

儲かる者がいれば、一方でその分損失を受ける者もいるわけで、損失した側はどうなっちゃうんだ?と心配したんですが、
その多大な損失も、会社がつぶれてしまうほどのものではないらしいです。

それもまたすごいもんだなあと思いました。

「それなら、やっぱりもらっちゃったほうがいいだろうな」と思いました。

乗っ取り?

2005-12-18 22:10:06 | 未分類過去
最近近所で、同じ内容の店なのに、違うものになっちゃったというのが3つあります。

ひとつはコロッケ屋さんです。
そのコロッケ屋さんは、小さなお店で、おとなしげなお兄さんがひとりでやっているお店でした。
コロッケ3~4種とメンチくらいで、お客さんの注文を聞きながら揚げてくれて、とてもおいしかったので、そこを通るたびに買っていました。
その店がある日、サマ変わりしました。まず、店の名前が変わり、男性が2人店頭に立ち、やけに威勢良く客に声をかけています。道路にせり出して置かれたガラスケースの陳列棚の中には、コロッケ数種・メンチ・串カツ・魚のフライ等数多くの品が並んでいます。そして店の中には今時の女の子が暇そうにしていました。
「あれっ、以前のお店と違うんですか?」と聞くと、「ハイ全然別のものですよ」との返事。
味は別にまずいということはありませんでした。
しかし、店の雰囲気として何か興ざめで、あの誠実そうなお兄さんが一人で商っていた姿が懐かしく、あの人、どこに行っちゃったのかなあと思いました。
ところで、先日久しぶりにそこを通ると、新しいコロッケ屋はつぶれていました。

二つ目はクリーニング屋なんですが、
行きつけの店に行くと、やはりサマ変わりしており、店内の内装と店の名前が変わり、カードも新しいものになりました。店が変わってから、明らかにだらしなくなりました。1人の女性店員さんだけは顔なじみなのですが、店長が変わり、他の働く人たちも変わった上に減ったようです。
改装後は店の裏側が丸見えで、散らかった事務机の上や壁に張り付けた書類などでごたごたしています。受け付けた衣類の入ったカゴが乱雑に積み重ねられています。出来上がったものを見ても、変なところにアイロンジワができたりしています。とてもプロの仕事とはいえません。絶対に以前の方が良かったです。クリーニング屋変えたいです。

もうひとつは、レンタルビデオです。
この店も、元はこじんまりと営業しており、品数もまあそろっていたし、店員さんの態度もよかったので、長年の会員でした。
しかし、別の会社が吸収したとのことで、名前と内装が変わり、新たに会員カードを作ることになりました。そのやり方がどうも胡散臭いです。大元から応援に来ている人のやり方があくどいのです。先着何百名にサービス券と言っているのに、普通の会員カードの先着は終わったなどとうそぶいて、クレジットカードつきの会員カードを作らせようと必死です。サービス券がもらえると思い込んで普通のカードで手続きを済ませた人に、もう先着は終わりましたといって何も渡しません。しかし、店内での話では、まだ先着順のサービス券は十分にあるとのことでした。

なんだか、もともと地元になじんでいた誠実な商売が、あくどい儲けかたをしている大きな会社に飲み込まれることが多いようで、いやな気分です。




収入格差と我が家転落の道

2005-12-18 13:04:38 | 未分類過去
今年のボーナスは全体的になかなかいいそうで、上昇した会社が多いそうです。
テレビでインタビューに答えていた人が、90万だとか、100何万だとか、
少ない人でも50万だとか言っていました。

ボーナスの話題 やめてくれ~っ!
やるのなら、もらえなかった人たちの取材もやってくれ~っ!
そうすれば、同じように無い人もいるんだな~と思って、
少しは元気が出るかもしれなのに・・・

ニュースで児童手当が小6まで拡大されるとか言ってましたが、
所得制限も緩和され700~800万の家庭までも適用されるそうです。
だから、子どもがいても、生活が楽になるんだそうです。
ええっ?
私の経験では、子どもっていうのは、義務教育中はほとんどお金はかかりません。
むしろ大きくなってからのほうが、お金は必要になります。
しかも、年収700万って、それ、うちの夫婦合わせての年収より300万以上も多いんですよ。倍ですよ。
そんな家庭、援助なんていらないんじゃない?
だから、援助してほしいのは、もっと大きい子がいる貧乏家庭だよ。

しかし、貧乏なのは自分が悪いのさ。
お金を稼ぐ能力がないんだ。
要領も悪いんだ。
要するにバカなんだ。
雲行きが悪くなる職場を捨てて、どんどん転職していかなかったのが悪かったんだ。
だから、役職がなくなって、給料がどんどん減らされて
落ちるところまで落ちてから、微々たる退職金をもらって首になった。

業績が振るわなかったのは実は親会社だった。夫のいる子会社は収益を上げていた。
親会社は有名な会社で、もともと給料もいいそうだ。
親会社が人員を整理して、子会社に回してきて、それが役職についたから、
子会社の社員がいらなくなったんだ。
そして、会社の雰囲気はどんどん変わって行ったんだ。
親会社はそれで安泰だ。

そこに、建物の建て直しという出来事があった。
本社に残って新築ビルができるまで開業準備にあたるものや、
別の小さいビルでの営業にあたる者もいたが、
50過ぎの夫は不用にされた。
北海道などに飛ばされていった人もいる。

姉歯氏じゃないけど、一家の主にとって、仕事を失うのは怖い。
家計の維持を考えると、会社がそんなになる前に、自分の意思で仕事を手放すのは、難しいことだったんだ。
だから、簡単に転職したり、現在のしがらみを離れることができないんだ。

夫は失業し続けるのも良くないから、収入が大して得られない仕事にとりあえず再就職した。
再就職したら、早々また転職することも難しい。
今度やめたら、自己都合だから失業保険は3ヶ月は出ない。
仕事をしながら仕事を探すのは難しい。
仕事をやめてから仕事を探すのも難しい。

最近、年収500万の仕事の紹介があったのだが、
急に今の仕事を放り出せないから、断ったそうだ。
いい話だと思って転職しても、程なくやめていく人を何人も見ているせいもある。

でも、うちは飢え死にしたりするほど貧乏じゃない。
この世の中、まじめな人間が野垂れ死にするほど転落することはあり得ない。

でもさあ、高収入を得て、優雅な生活を送っている人たちを見てると、
人間の働きや価値というのはそんなに違うのかなあと思います。

姉の夫は、今急成長している情報産業の分野の人です。
確かに、人の1、5倍働いて、人の3倍アタマを回転させているかもしれません。
転職も3回し、そのたびに収入を増やしてきました。
それで、現在の年収は、うちの夫の5~6倍あるようです。

20年位前は大して変わらなかったのに、この差は埋め尽くしようもなく、
姉の世帯とうちの世帯の金銭感覚は、かけはなれたものとなっています。
はっきり言って、自分の姉妹ながら付き合っていける気分ではありません。

ステージの違い

2005-12-18 09:49:42 | 未分類過去
秘密主義(放送大学のことを人に言わない事)の1つの理由

以前、私がマラソンに弱く小学生のころはいつも皆が到着したずっとあとになっても、まだ途中を走リ続けている状況だったという経験を書きましたが(11・26苦手なマラソン)、大学を出ていなくて今大学生をやっているという状況は、それに似ています。

マラソン大会では、私が到着するずっと前に、皆はすでにご褒美のお汁粉をゆっくりと食べ終わって帰るしたくをしているのであり、その後私はやっとゴールしてきて、おばさんたちから、「あらまだ走っている子がいたのね」などと言われ、片付けかかったお汁粉をよそってもらい、目を白黒させつつ無理やりのどに流し込んだりする経験でした。

今、私のまわりに暮らしている大卒の奥様方は、若い頃にすべき勉強はすでにして、中年生活を謳歌している人が多いです。好きで勉学に打ち込む人もいますが、それは大卒という当然ある土台のもとにさらに何かを得ようとしている人であり,語学を習いつつ頻繁に海外旅行に行ったりするひともあれば、化学の本を出す人、大学院へ行く人などがおり、また、テニスなどスポーツをする人、おいしい料理店を探し歩く人など趣味を楽しむ人もいます。

そういう段階にきている人たちの中で、過去の不足をおぎなうため、私はまだ走り続けているという気がしてならないのです。
その人たちはすでにゴールしてお汁粉を食べている人たちですが、私はまだゴールしてなくて、中間地点を走っているようなものなのです。

私は人から、「まだ、あんなところを走ってる子がいる」と思われたくないのです。また、「今頃、走る必要もないのに物好きね」とも思われたくはないのです。
誰にも知られず走り続けたいのです。そして、自分だけが誰にも知られずゴールして、走り終わったということを実感できたら、それで満足なのです。

放送大学に行っている人の中には、私と似たような人も多いですから、一緒に走っているランナーです。その人たちとは、心おきなく自分の目標を話し、心から励ましあうことができるでしょう。(なかなか知り合う機会がないんですが・・・)

また、返って年齢の違う学生さんなんかには言えてしまうことも多いです。
若い人から「物好きなおばさんだね」と思われるのは、何でもないし、「私も大学生なんだよ」などと言って、話しが乗る事も多いです。

自分が走っているところを、走る立場でない道端の野次馬に見られて、変な声をかけられるのもいやなので、ステージの違う人たちに自分を開示するのがためらわれるのだと思います。

喪中欠礼

2005-12-17 23:02:51 | 未分類過去
今年は、3月に夫の母がなくなったので年賀状が出せません。
でも、実は、喪中欠礼も出してないんです。

なぜ、出してないかと言うと、我が家では夫婦そろってマメでないために、毎年年末のうちに年賀状を自分から出すことがなく、いつも年賀状をいただいてから返事を出すという形だったので、喪中欠礼に限ってこっちから出すというのも変なことだなあと思ったのです。

「喪中につき、新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」って、

喪中でなくても、いつも出していませんから~~~!!

という感じです。

あまり親しくもなく、来るかどうか分からない人もいますが、その人たちにも、喪中でない場合にも、当然うちからは出さないのに、喪中欠礼ばかり丁寧に出すのも変な感じがします。

また、今年初めて知り合いになった人などもいるわけですが、いきなり喪中欠礼を送るのはどうなのかなあなどと思います。

喪中欠礼について、相手からの年賀状をお断りするのではなく、いただいたら、後で寒中見舞いをお返しすればいいのだと、聞いたことがあります。

それで、そのようにしようかと思って、11月中に喪中欠礼を用意しなかったのですが、
よくよく考えて見ると、いちいち事情説明入りの寒中見舞いをお返しするのは、こりゃあ、けっこう手間がかかるぞ、と思うのでした。

毎年、もらった年賀状の返事を書くのさえやっとですから、その作業は大変だなあと思い、煩雑さの面でも喪中欠礼を出してしまったほうがいいし、礼儀としてもやはり、出すべきだったように思うのです。それに、喪中であることを深く受け止めていないようで、亡くなった義母のことをないがしろにしているようにも感じられます。

知人から、喪中欠礼のはがきをいただき、やはりきちんとしているなあと思いました。また、「故人が生前賜りましたご厚情を深謝いたします」という文面は、亡くなられた方の気持ちも尊重しているように感じました。

しかしながら、すでに、年賀状の受け付けは始まっています。
すでに投函された人もいるかもしれないのに、今さら喪中欠礼なんか送るのは遅すぎるのではないかと、困っています。
どうしよう・・・

秘密主義

2005-12-15 23:59:13 | 未分類過去
例えば、このブログとか、知らない人が集まる座談会とか、そういうところでは自分が、どういうことを目指し、何をしたい人間なのかということが、平気で開示できるのに、それが、身近な親しい人間であると、返って言えないことがある。

放送大学に通っていることさえ、夫と子どもくらいしか知らない。もう5年もたつのだが、実の姉や実家の母にも言ってなかったので、最近のある日の行動について話したときに、放送大学の学習センターに行っていたという話をしたら、それは何だ、なんでそんなところに通うんだと不審がられてしまった。

もともと、高校時代に4年制の大学に行きたいという私と、反対する家族とで確執があったのだが、そのときの執念が、私の中では今でも続いているわけである。今さら家族に大学に通っているなどとは言いたくない。もう親にも関係ないことだから、勝手に行くんだと思っている。

近所の友人にも言わない。勉強が嫌いだったなどと言っている友人に向って、好きで勉強しているなんてことを言ったら、敬遠されそうである。
だから、電話したけど留守だったなどと言われても、放送大学に行っていたなどということは言わず、買い物かなんかに行っていたことにしている。

会社のパート仲間にも言わない。会社の仲間はほとんどが大卒である。私が短大であることを知っている人が多いが、今ごろになって大学生をしているなんてことは、返って自分の教養なり能力なりが不足していることを証明し、あがいているように見えそうな気がする。

これらの人たちにどうせ知られるなら、今ではなくて、後になって、学歴の話題が出たときに、一応放送大学なら卒業してるんだけどね、と涼しい顔で行ってみたい。

しかし、この間、あるセミナーに出たときに、講師の方から「このセミナーに通っていることを誰にも知らせていない人はいますか?」ときかれて「はい」と答えた。
すると、「自分が勉強していることは、どんどん身近な人や新しく知り合った人などに言ったほうがいいですよ」と言われた。
そのことによって、人脈ができたり、有益な情報が入ってきたりして、仕事や収入につながることも多いそうだ。

そうなのか。これからは自分を隠すのはやめたほうがいいかもしれない。



後味の悪い自己開示

2005-12-15 21:12:49 | 未分類過去
自己開示しすぎて後味が悪いことってありませんか?

私の場合、子どものころや若いころは、人と討論や座談会などしたときに、自分が控えめすぎて、意見などを全然言えないまま終わったということが多かったのですが、中年のおばさんになってからは、遠慮がなくなって、思ったことや自分が伝えたいと思うことを、ひるまず言ってしまうことが多いです。

それで、後になって、「あの時、聞く人がうんざりしたような顔をしていたな」とか、「よけいなことは、聞きたくなかったんだな」とか、「本当に聞きたかったことは、もっと別のことだったのに、こっちが話したいことを話してしまったな」と反省することも多いです。

重要だと思っている点が、話す自分と聞く相手とで違っているというときにも多くあることですね。

それで、自分本位に話しすぎてしまったときに、すごくいやな気持ちが残って後悔の念にとらわれ、どうしてもっと奥ゆかしく控えめな人間になれないのかなあと思ってしまいます。

しかし、それはやはり自分が伝えたかったことなんだし、昔のように何も言えないで終わったら、それはそれで、すっきりしない気持ちを残すだろうと思うのです。
だから、相手にとっては余計な情報だったかもしれないけれど、そのことによって、相手が何かを感じたり思ったりしてくれれば、それもひとつの目的達成といえるかもしれません。

それにしても、自分自身の良きイメージはなくなるだろうな、などと思います。
やはり、静かにしているほうが、賢い人間かもしれません。

本当に人が必要とする情報を的確に簡潔に話すことができたらいいですね。

今日は、モニターとして座談会に出てきたんですが、自己紹介の折などに、聞かれてもいない余計なことまで自分本位にしゃべり過ぎちゃったなあと、いやな後味を残してしまいました。


自転車の上手な進み方

2005-12-14 19:25:38 | 未分類過去
昨日、路上駐車の多い一方通行道路を自転車で逆行するときの苦労を書いたんですが、きょう、ひとつ発見したことがあります。

「道路の中央を、速いスピードで走っていくのがいいようだ」ということです。

そうすると、ずっと先まで見通しがきくわけです。
後ろから来る車はありえないのですから、真ん中を走っても危なくはないのです。
それから、スピードが速ければ、対向車と重なる時間が少ないのです。

私は今までは、道路の端をゆっくり進んでいたために、駐車している車の陰で前方が見えないし、一旦止まってから走り出す速さで考えると、対向車が来るまでに、路上駐車の車を越えてしまうことができないという結論にいたり、そこで立ち往生して待っていることになったのでした。

しかし、後ろから来てすいすいと追い越していく自転車というのは、遠くからそれができると計算して走ってきて、実際にできているわけです。
それは、私の1、5~2倍くらいの速さで走っているようです。

また、この場合、対向車からも自転車が走ってくる姿が確認されるので、自動車のほうが待ってくれる可能性も高いです。
私のように、駐車している車の陰から首だけ出して確認しているのでは、対向車からも見えません。

だから、私も同じようにすればいのでした。

とは言え、やはりスピードを出すのは怖いものですね。

今日も、横道から突然自転車がとび出てきて、危なかったです。
そんなとき、すぐに止まれるように、いつも比較的ゆっくり走っています。




存在理由と存在価値

2005-12-14 00:57:30 | 未分類過去
Def Tech が、朝テレビに出て言っていたんですが、自分のために作った曲はすぐにいやになってしまうけれど、人のために作った曲はそうではないと言っていました。
人のためを思って作るといい歌ができるということです。

それならば、文を書くということもそうかな、などと思いました。
しかし、人のためになる、人の役に立つ、人を喜ばす、人を幸せにさせる、人を元気づける、文章ってのは、いったいどんなことを書いたらいいものかなと思います。

それと、今日、テレビを見ていたら、ブランドの高価なバッグを売って現金に換える人たちを取材していましたが、
その中の一人の女性が自分の撮った写真の写真集を出版しようとしている人でした。
その人が言うのに、「生きるために写真をとる(収入を得るために適当な写真を撮るの意)ようにはなりたくない。写真をとるために自分は生きている(写真を撮ることが自分の存在理由)という生き方をしたい」とか言ってました。

うん、それは同感できると思いました。
私も、「文を書くために生きています」などと言ってみたいです。

ところで、気軽にそんなことを言っていたら、ばちが当たりそうです。

「1リットルの涙」は辛いです。
やりきれない気持ちです。
特効薬があって、それを飲んだらどんどん動けるようになって、元通りの元気で活発な彼女にもどれたら、どんなにかすばらしい未来があるだろうにと思いました。
だんだん機能が失われ、自分にできることがなくなっていき、絶望していく彼女に最後までできたことは、文を書くことだったのですね。
言葉によって自分の心を伝えることだったのでしょう。
それが、人間として生きている意味です。
彼女は普通の人が誰も気がつかないことに気がついたり、生きることの意味や、命について考え、それを世の中の人に伝えたのですね。


幅員の広い一方通行道路

2005-12-13 23:59:30 | 未分類過去
いつも、朝自転車で走っていく道で、幅員の広い一方通行道路があります。これが困るんです。
私の自転車は一方通行とは逆方向に進んで行くのですが、前方からこっちに進んで来た車が、その進行方向からみて道路の右端に車を駐車してあるんです。その辺はコンビニなどの商店が何軒かあって、そこに荷おろしするトラックなどもあります。たしかにそのように駐車すれば、そこを通る他の車の邪魔にはなりません。
その道は、一方通行であって、幅員があるということで、余計に路上駐車が多いのだと思います。

しかし、それは、私が自転車で左側通行していくところをふさぐ形になってしまうのです。ですから、それをよけて車道の真ん中に出て進んで行かなければならないのですが、前方から次々に車が来るために、なかなか進めないで、トラックの陰から首を伸ばして様子を伺うようなことを繰りかえすはめになります。
やはり、前方から来る車が本来の進行車線ですから、それが通り過ぎるのを待つのがルールだと思うのです。

ところで、私が前方から来る車が通り過ぎるのを待つために、駐車しているトラックの前などで一時停止しているところに、後ろから来た若い男子学生の自転車などは、止まる気配もなくどんどん進んで行きます。そうすると、前方の車も速度を弱めたり止まったりして、自転車に道を譲るしかなくなります。

そんなときに限って、後ろから自転車が3台も4台も続いて来ては、私を抜かして進んできます。私はいったい何のために止まっていたのかと思うわけです。停止状態から自転車を動かすのは間がいるし、停車中の車の前から横に出て左前方に進むのはスイスイとはいかないので、数台の自転車が通り過ぎて、そのあとに続いて出ると、もっと対向車を待たせることになってしまいます。本当に対向車のことを考えて待っていた意味はありません。そして、まったく無駄な停止時間だったわけです。

最初から止まらないで強引に行けばよかったです。しかし、あるとき若者の真似をしてみたら、対向車もどんどん進んできて停車している車との間にまったくすり抜ける空間もなく、私が下がるか対向車が下がるかしなければどうにもならないので、自転車から降りて引き返す羽目になりました。「このばばあ、何やってんだ」って感じです。

やはり、反射神経が鈍いんでしょうかね。若い人はそれはもう、車の間をすり抜けるように止まらずに上手に進んで行きますね。最初から右側通行している人もいます。右端を通ると対向車が来ても大丈夫だったりするのです。

しかし、たまにそのまねをしたりすると、前方から普通に左側通行している自転車が来たりして、今度は自転車同士が正面衝突しそうになってしまい、悪いのはこっちですから、やはりそれもできません。

とにかく、路上駐車は迷惑で、毎日苦労しています。