私の実家の母は、昭和一桁生まれで、戦時中何もない時代に育ったので、非常に質素である。
贅沢は敵だと思って暮らしてきたので、それを貫いて生きているわけだが、それを人に強いるのはやめてもらいたい。
しかし、母と話をするだけでも、そういう価値観の違いに興ざめすることが多々ある。
先日、私は瑞穂町のジョイフル本田で生落花生をみつけ、買ってきて、それを茹でて食べたという喜びを話していた時だった。
生落花生を茹でて食べるのは、静岡県富士のほうの人の習性であり、そういう食べ方をする人は東京では一般的でないので、普通のスーパーなどでは売っていないのである。
静岡県に住んでいる母でも、やはり近所のスーパーでは手に入らず、親戚にもらうという経路でしかなかなか食べられない。親戚は大量の落花生を茹でて冷凍して持ってきてくれたりする。
だから、私が自分で生落花生をみつけて買ってきたというのは、非常に嬉しいニュースなのだ。
で、その茹で方というのは、水から茹でて煮立ってから25分くらい茹でると書いてあったので、そのようにして作った。
母は、生落花生が売っていてそれで茹で落花生が食べらたということについては、一緒に喜んでくれたのだが、その落花生の量が少なくて、茹で時間が煮立ってから25分もかかることについて、
「それじゃあ、ガス代がもったいないじゃ」というのである。
富士などで落花生をもらって茹でる場合は、大鍋を使って茹でるような量なので、両手のひらの上に載ってしまうような少量の落花生を同じ時間だけ茹でるには、ガス代が割に合わないという。
大量だろうと少量だろうと、同じ時間だけ火を使わなくてはならないなら、少量では燃料費が不経済だということを咎め始めたのであった。
この場合、母だったらこんな少量を煮るのはガスがもったいないから買うのは止そうと思うのであろう。
そうして、なんでそんな不経済な料理をしているんだと非難し始めるわけである。
でも、落花生を食べるのは私一人だ(夫は食べない)し、2袋も買うと800円になってしまうので、やはり400円くらいで自分が食べる分だけ買うのが、私には適当であった。
そして、それを30分くらい茹でるのに使うガスの燃料費なんてたかが知れているではないか。
もしそれが、10円くらいかかったところで、別にどうということはないだろう。
あるいは、母は、少量の落花生を茹でるのに、長時間のガスが使われ、二酸化炭素を排出し、地球の温暖化に悪いというのか?まあ、そんなことは考えてはおらず、とにかく「ガスがもったいない」ということで、私の茹で落花生の楽しみが興ざめしてしまったのであった。
本当に、面白くない人だなあ。
料理では、豚の角煮やビーフシチューなどでも長い時間ガスを使う。
そういう時は、圧力鍋を使って時間を短縮することも多い。
今回は、落花生を茹でるのと同時にカレーを作っており、それに圧力鍋を使っていたのだった。
だから、母には、そういうわけで、普通の鍋で長時間茹でたのだ、と弁解したのだが、まったくもうガスだなんてどうでもよかろう。
実は、昨日、近所の無農薬野菜のお店でまた落花生を発見しそれを買ってきた。量はさらに少なく380円+税であった。
これをまた同様にして小さな鍋で茹でて食べている。(圧力鍋を使うほどの量がない。)
落花生を見るたびに「ガス代がもったいないじゃ」という母の言葉が思い出され、なんかつまらない記憶が呼び起されてしまうのだ。
そのように倹約しなければ生活できない人ならば使用量をなんとしてでも減らさないといけないのでしょうが、特に生活に困っているわけでもないのに、節約する必要はないんじゃないかと思うんですよね。
だけどたった1円か2円のことでそんな事を言ってたのかと気がついた。
それが大きな金額でも全体のごく一部なら気にする必要ないですよね。