山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

“竹橋”というところ

2007-10-13 01:31:12 | 未分類過去
昨日行った国立近代美術館のある「竹橋」というところは、私にとっては特別な想いのある場所だ。
この近くにある「共立女子大」。実は、私が受験に失敗した大学なのである。
私が初めて1人で東京に来たとき、私はこの地に立ったのだ。
最初に来たときは、場所を知るためであり、次に来たときは受験当日。4年制の文芸学部と短大の国文科を受けたがダメだった。短大を受けたのは4年制に編入できる可能性があったからだ。しかし、いずれも「英語」の点数が取れず、ダメだった。

今、東京に住んでいると、オープンキャンパスなんかがあって学校の様子もわかる。30年前にはそんなものがあったのかどうかも知らないが、学風なども知るよしもなかった。
ただただ、学校案内のパンフレットを見て学校を選択した。
そして、そこに載っている地図を見て、そのとおりに行った。

私は今、中央線沿線に住んでいるので東西線一本で竹橋に行くことができる。
しかし、当時は、静岡県から国鉄東海道線鈍行に乗り、東京まで来た。そこから丸の内線で大手町まで行き、そこで東西線に乗り換えて竹橋で降りるという田舎者にはわけのわからないような経路だった。
受験の日は、始発5時の電車に乗ってきて、ちょうど9時ころには試験場に着くことができた。神奈川県の鴨の宮あたりでやっと朝日が昇ってくるというパターンだった。
大学受験の日、東京駅で階段を踏み外し、5~6段転落した。
大学の試験会場に近づくと、同じ会場に向う同年齢の女子は、真っ赤なコートなどを着ていた。私はなんと高校の制服だった。そんな人は同じ教室の会場には1人もいなかった。
合格発表はできうる限り大学まで見に来るようにとのことだったが、郵送を頼んだ。
後日、薄っぺらな封筒が届き、不合格であることはそれだけで判然としていた。

その「竹橋」である。
美術館の帰りに、約30年ぶりにすぐそばにある大学まで足を延ばしてみた。
こんなところだったか?まるで当時の記憶がない。全く敷地がないというか土地いっぱいに校舎が建っている。校舎の入り口の雰囲気がわずかに思い出された。校舎は一部建て替えられたようである。
近くにはお堀があるが、大学に向う道路近辺の頭上には首都高速が走っていて、落ち着かない場所だ。当時は周囲の様子なんかに目を向ける心のゆとりもなかったのだろう。だから良いも悪いもそういうことには何の印象も持たなかったようだ。しかし、今改めて眺めると、環境的にはあまり通いたいとは思えない雰囲気である。
というのも、もっと広くてきれいなキャンパスの大学はたくさんあるからだ。
近くには北の丸公園などもありよいところではあるのだが、学校近辺はどうも落ち着かない。共立女子大の一部は八王子に移っているようである。八王子のほうが環境はいいだろう。

今、女子大は人気が下がって、それとともに偏差値も下がっているようである。
文芸というのもある意味あまり時代にそぐわなくなってきているようだ。今、どんな勉強をしているのかまるで知らない。学校からは現代都会風の女子学生がいっぱい出てきた。
もし私が今18歳で東京に住んでいても、この大学には縁がなかったかもしれないと思う。
もし今高校生だったら、いったいどこの大学行きたいと思うだろうか?全く見当がつかない。

当時は、共立女子大の文芸学部の劇芸コースに入りたくて仕方がなかったわけだ。
私は、結局別の大学の短大の文芸科に入ったが、その中では文芸コースの人気が高く、入学後の振り分けで、想定外に国文コースに入れられてしまった。短大では、演劇ゼミをとりたいと思っていたのだが、国文コースから演劇ゼミは取れず、近代文学のゼミに入ることになった。これでは他の学校の国文科でも大して変わらず、わざわざこの学校を選んだ意味がなかったかもしれない。
人間とは思う通りには進めないものである。たとえ文芸コースに入れたとしても、演劇ゼミに入れる人数は限られていた。
外語大に入った人なども、いざ入ると勉強したい言語ではない別の言語を専攻させられたりするそうだ。
短大では演劇部も挫折してやめてしまった。国文コースには教職課程をとる人が多かったが、私はそこからも外れていた。
文学はそれなりに楽しんだが、本来の目的と外れた短大生活を終え、出版社に就職した。

最近は、自分の過去を探している。
共立女子大をぐるりと回り、神保町についたが、路線が違うのでまた竹橋に戻ることにした。女子中高等部の校舎入り口にはステンドグラスのようなきれいな装飾がされていて歴史と風格があった。守衛さんがいるので写真は撮らなかった。
女子大はこの付属校から上がってくるお嬢さんも多いわけだ。

こんなところをうろうろ歩いているおばさんは怪しいと思いつつ、東西線の竹橋にもどる。毎日新聞社の横の大きなビルはNTTコミュニケーションだった。
地下鉄を待ちつつ、古くて汚いホームだなと思った。30年前はどうだったのか、それも記憶にないが、今より30年分だけ新しかったことは確かだろう。

(写真は女子大近くのお堀付近。大学とは方向が少し違います。水辺はきれいですが、ビル群がすぐそばまで迫っていますね。)


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