今夜はすごい風です。ビュービュー言って、おそろしいくらいです。
でも、明日、どこにも出かけなくていいという気持ちが、
安心でくつろいだ気持ちをもたらしています。
今週も週末がきました。
やっと来たという感じもするし、一週間は早いなあとも思います。
放送大学の試験が終わって一週間。
別の勉強をしなければいけないのに、ちょっと一息ついて、毎日小説など読んでいました。
といっても、短編ばかりなのでそれほど時間がとられるわけではありません。
しかし、読書は身を滅ぼすので、程々にしなければいけません。
最近、小説を読み始めたのは、少なからず放送大学の影響があります。
「近世の日本文学」を読んでいて、昔の感覚を呼び戻されたからでしょう。
やはり、小説の世界は面白いです。
「近世の日本文学」の教科書の中で最も記憶に残っていることは、
「東海道中膝栗毛」で十辺舎一九が、当時の読者の意見を聞きながら、それに答えて執筆したとの内容でした。
例えば、弥次さんと喜多さんは、道中にどうして月代(さかやき)を剃らないのかという読者の意見に、さっそくその場面を書いたとのことで、面白いなあと思ったのです。
作者と読者の相互のやりとりというのは、活力が出ていいですね。
テレビドラマなど、視聴者の反応を見て、内容を変更したりすることもあるようですが、現代は、情報が行き交うのが早いので、相互の意思の伝達というのはすぐにできるものとなっています。
そうしたら、良いものは良い、悪いものは悪い、面白いものは面白いと、瞬時に反応を知らせることができるではありませんか。
ブログなんかも面白いです。無料でいくらでも情報が発信できます。
また、受信もできます。私はいくつか愛読しているブログがありますが、毎日様々なひとの生活ぶりや考えていることがわかるので、とても楽しく人生の参考になります。その内容といったら、有名小説の内容にも劣らないようなことばかりですね。
一度も会ったことも無い人たちなのに、とても親しい人のように感じてしまいます。
いつか、日本文学史の中に、江戸時代に印刷術が発達したことによる文学のあり方の変化があったのと同じように、平成時代にインターネットによるブログ文学が発達したなどという表記が加わることもあるのではないでしょうか。
実際、ネットによって誕生した「電車男」などという名作もできていますね。
しかし、何も後世に残る作品のみが重要な文学作品であると言うわけではないのではないかと思うのです。むしろ、その時その日に、人と人が影響し合うことのできる文章が発生していること自体がすでに効力のある価値ではないでしょうか。
文学の新しい形の発生のしかたってすごく面白いなあと思います。
情報量もすごいですから、作品としたら質はどうなのかということはありますが、ひとつのすごい文化だと思います。
それで、私は現代文学の中で、
「評価されて本になって印刷されている作品」と「毎日生まれるナマのブログ」の両方を読んで、それ影響された自分の意思を発信して行きたいと思っています。
でも、明日、どこにも出かけなくていいという気持ちが、
安心でくつろいだ気持ちをもたらしています。
今週も週末がきました。
やっと来たという感じもするし、一週間は早いなあとも思います。
放送大学の試験が終わって一週間。
別の勉強をしなければいけないのに、ちょっと一息ついて、毎日小説など読んでいました。
といっても、短編ばかりなのでそれほど時間がとられるわけではありません。
しかし、読書は身を滅ぼすので、程々にしなければいけません。
最近、小説を読み始めたのは、少なからず放送大学の影響があります。
「近世の日本文学」を読んでいて、昔の感覚を呼び戻されたからでしょう。
やはり、小説の世界は面白いです。
「近世の日本文学」の教科書の中で最も記憶に残っていることは、
「東海道中膝栗毛」で十辺舎一九が、当時の読者の意見を聞きながら、それに答えて執筆したとの内容でした。
例えば、弥次さんと喜多さんは、道中にどうして月代(さかやき)を剃らないのかという読者の意見に、さっそくその場面を書いたとのことで、面白いなあと思ったのです。
作者と読者の相互のやりとりというのは、活力が出ていいですね。
テレビドラマなど、視聴者の反応を見て、内容を変更したりすることもあるようですが、現代は、情報が行き交うのが早いので、相互の意思の伝達というのはすぐにできるものとなっています。
そうしたら、良いものは良い、悪いものは悪い、面白いものは面白いと、瞬時に反応を知らせることができるではありませんか。
ブログなんかも面白いです。無料でいくらでも情報が発信できます。
また、受信もできます。私はいくつか愛読しているブログがありますが、毎日様々なひとの生活ぶりや考えていることがわかるので、とても楽しく人生の参考になります。その内容といったら、有名小説の内容にも劣らないようなことばかりですね。
一度も会ったことも無い人たちなのに、とても親しい人のように感じてしまいます。
いつか、日本文学史の中に、江戸時代に印刷術が発達したことによる文学のあり方の変化があったのと同じように、平成時代にインターネットによるブログ文学が発達したなどという表記が加わることもあるのではないでしょうか。
実際、ネットによって誕生した「電車男」などという名作もできていますね。
しかし、何も後世に残る作品のみが重要な文学作品であると言うわけではないのではないかと思うのです。むしろ、その時その日に、人と人が影響し合うことのできる文章が発生していること自体がすでに効力のある価値ではないでしょうか。
文学の新しい形の発生のしかたってすごく面白いなあと思います。
情報量もすごいですから、作品としたら質はどうなのかということはありますが、ひとつのすごい文化だと思います。
それで、私は現代文学の中で、
「評価されて本になって印刷されている作品」と「毎日生まれるナマのブログ」の両方を読んで、それ影響された自分の意思を発信して行きたいと思っています。
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