山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

行先不定

2015-10-04 18:54:07 | 車・運転・道路・駐車場2015
今日は、いろいろと走ったことのない道路を走ってきたけど、行先定まらず、心落ち着かない運転だった。

今日は、夫が夜勤だったので、夫が出勤してから出発したため、出かけるのは3時半ころになってしまった。行くところもないので、小金井公園にでも行くかと思った。
青梅街道に出ると、かなり渋滞していた。4時近かったので、夕方だからかな?と思っていた。上りは空いているのに、下りが進まないので、青梅街道ってそういうもんだったかな?と思った。普段は4時過ぎには逆方向で戻ってくる時間だった。

ノロノロ進んでいくと、桃井4丁目の先の、BMWのあるカーブのあたりに、祭りの一行が停まっていて、第一車線が使えなくなっているのがわかった。大きな太鼓もあった。ここらへんの祭りって大きな太鼓が山車のように移動するらしい。

1車線が使えなくなっているだけで、こんなにも渋滞してしまうものなのか、と驚く。
祭りの列を通り過ぎるとすいすいと進んで行った。

五日市街道の小金井公園の前を走っていたら、そこで下りるのは面白くなさそうに思えてきた。どうしたって走り足りないと思う。
そこで、そのまま西に向かって走っていった。

そういえば、五日市街道って、どこかでまっすぐ進めなくなるよね、と思いだした。そこでは左に曲がって、またすぐに右に曲がらないといけないのだ。
それは「喜平橋」って交差点だったが、行ってみたら、左折してすぐに右折する車がいっぱいになっていたので、左折してそのまま直進してみた。

国分寺街道と書いてある。ちょっと行くと左側にオリンピックがあって、駐車場に入りやすそうだった。このあたりの地域はよく走るのだが、国分寺街道を走った記憶はない。

どこへ行く目的もないので、とりあえずナビを「自宅に帰る」にすると、その先を左折しろと言ってきた。曲がってみると連雀通りだった。

連雀通りをずっと進むのでは、そのうち、先日と同じになってしまうので、また左折したら新小金井街道だった。
その曲った交差点のところに、丸い建物があって目立っていた。そこは南北には走ったことがあるが、そのときは全く気がつかない建物だった。帰宅してから調べると貫井北センターと言って、その地域の公民館のようなものらしい。

その建物を右にして、新小金井街道を北に向かって進んでいった。

新青梅街道まではよく走る区間だが、今日はそれよりさらに北に行ってみることにした。
行先は清瀬と書いてある。清瀬市ってのは、東京都の一番北のほうで、埼玉に近いと聞いたことがある。

あたりはだんだん薄暗くなってきた。ナビは自宅に帰りたがるので、目的地を「清瀬駅」にしてみた。そのうち左折しろと言ってきたが、駅に行くわけではないので、解除し、また自宅に帰るに変えた。

さらにまっすぐ進むと、行先は志木とか新座とか書かれていて、埼玉に行ってしまうらしかった。
そのうち右折しろというので、曲がると、かなり狭い道路になってしまった。通学路のようだった。対向車とすれ違うのもちょっと気を使いながら、やっと狭い道を右折し脱出すると、小金井街道と書いてあった。

小金井街道も、新青梅街道以北は走ったことがなかった。いったいどっちの方向を向いているのかわからない。正面の空が明るいのがちょっと不思議だった。明るいのは西ではないんだろうか?小金井街道なら南方に向かって走っているはずだから、そのまま走れば新青梅街道に出るはずである。

そのうちナビが左というので、左折すると、また別の道を走り始めた。方向的には自宅は南西に当たる。

あるところに来たとき、「あっ、この道知ってる」と気付く。左にD2と書いてある。所沢街道だった。わかってたら手前で左折してイオンの東久留米店によれたのだが、そのときは気づかなかった。

所沢街道は自転車が多くて走りにくかった。道路が狭いので自転車は歩道があるところは歩道を走ってもらいたい。対向車も多いので、自転車の脇をすり抜けて追い越すことになるけど、すり抜けられないときには、低速で自転車の後ろを走るしかない。

北原で、やっと青梅街道に出てほっとした。

今日初めて走った道には、学校だの病院だの店だの、いろいろあったけど、周囲も薄暗くなってきていて、あまり記憶も残っていない。
また今度、明るい時間に走ってみよう。

本日の走行距離、43.7kmくらい。3時半から6時まで。
多くは片側1車線のこじんまりした道だったので、時間の割に距離が伸びなかった。

コメントを投稿