山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

親から受け継いだもの

2007-10-08 14:29:02 | 未分類過去
人のルーツを見て、感動したりしている私ですが、私自身はなんのへんてつもない家庭に育ち、平凡な父母を目の当たりにして育ちました。
政治家の子どもは政治家に、俳優の子供は俳優に、医者のこどもは医者に、などと遺伝子と環境の影響を受けて、親からのルーツを感じさせる人が多いです。
自分は何なの?と思うと、大して能力もない親から生まれた子どもであるゆえ、なんら才能を開花させることもできないのが当然です。
姉はクラシック音楽をやっていますが、先祖が特に音楽好きだったわけでもありません。とくに何もない親から、特に何も受け継いでいない存在というところです。

しかし、思い出したことがあります。
私の父は、絵が好きだったのです。子どもの頃、家に画集みたいな本があったのを覚えています。
そして、父は自己流で絵を描いていました。それは絵の具でなのですが、自分で切った画用紙大のベニヤ板に書いていて、その描き方は印象派のような点描を取り入れたものでした。
だから、私が小さいころ、父は私にその描き方を教えました。樹木などを書く時に、一面に緑色で塗ろうとすると、木の葉っていうのは全部同じ色ではないだろう、と言って、いろいろな色を点々とつけていく塗り方を教えてくれたのです。明るさや濃さの違う緑や黄緑、時には全然違う色などを混ぜて点を重ねると、ずいぶんいい感じになりました。だから、写生大会で私がそんなやり方で海や山に色を着けていると、同級生がそれをものめずらしげに見にきたりしていました。中にはやり方を教えてという子もいたりしましたが、やはり他の人は海は青、山は緑だ、というのを曲げず、その手法を取り入れた友人はいませんでした。私はそういう父の色つけのやり方を取り入れたおかげか、たまに写生で賞を取ったこともありましたが、物体の形や人間を描くのが下手でした。クラスにはものすごく絵のうまい男の子もいて、足元にもおよびませんでした。

父の仕事は木工でした。建具を作ったり修繕したり、そのほかに内装などをするのが仕事です。父は子どもの頃建具屋をしている叔父の弟子になり、そこで修行を積んだとのことです。父の叔父の家は家具の店をやっていましたが、箪笥やテーブルなど普通の家具のほかに、自然木の形をそのまま利用して作った変な動物の置物など、奇妙なものがたくさん展示してありました。
父はそういう叔父の弟子ですから、木の額縁なども自分で作り、そこに彫刻の装飾なども施していました。それには自分の絵は入れず、私たちが子どもの頃は、姉のそろばんの表彰状などを入れて飾っていたものです。オルゴールや宝箱なども父が木に彫刻をして作ってくれました。勉強机や箪笥も父の手作りでした。

こうしてみると、父は木工職人でしたが、芸術家の要素を持っていたようです。

60歳になる前に死んでしまいましたが、老後生きていたらきっと絵を描いていたでしょう。
母は父が生きているときには父の絵には関心を示しませんでしたが、死んだとたんに家の中に飾ったりしています。
絵の勉強なんかしたこともない父なので、上手な絵ではないですが、今では父の形見となっています。

私が、絵を好きなのはそんな父のルーツかもしれません。
そういえば、母は母で父の死後に水墨画を何年か習って描いていました。
私自身も、絵を描くのは嫌いではありません。
私の中学までの成績は、美術と音楽が一番よかったです。(単に他ができなかったってことですが・・・。)高校ではどちらかを選択しなければならなかったので、音楽をとることとなり、美術ができないのが残念でした。

老後に時間がとれるようになったら、自分でも絵を描いてみたいと思っています。


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