山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

趣味と学問の違い

2007-10-08 01:29:19 | 美術・美術館
親しくしている友人で、絵の好きな人がいて、以前エッシャー展にいっしょに行ったことがあるのですが、今度また国立新美術館や上野の美術館の洋画の展覧会にいっしょに行こうということになっています。
しかし、どうもこの人と私は趣を異にしている。
この人は、好きな絵というのが決まっていて、自分の好きなものにしか興味をもたないようです。
また、勉強みたいなことは嫌いなので、講演などには興味を示しません。
私も好きなものの傾向はありますが、あまりこだわりません。むしろ、芸術的な評価が高いと世に認められているものについては、好き嫌いに関係なく鑑賞し、それについての周辺知識を得たいと思います。
でも、世の中にはそういうことをおかしいと思う人がいます。本当に好きでもないものを見に行くのは好きな振りをしているだけで、そのものの良さが自分でわかっているわけではないというのです。
絵は自分の感性のみで判断するものだということなんでしょう。そして、自分の純粋な感性のみで判断できない人間、つまり好き嫌いではなく、知識によって作品を見るものは、絵の愛好家としては失格だといいたいようです。
「あの人は絵なんか好きじゃないのよ、だって、何でもかまわず見に行くんだから」
「そういう人は、有名なものが好きで、絵そのものを愛しているわけではない」
そんなふうに言いたげな人がいます。

でも、そうなんでしょうか?
芸術というのは、本当に感性のみで理解できるものなんでしょうか?
名作といわれるものには、好き嫌いを超越したものがあるのではないでしょうか?

芸術というのは、感じるものでもあるけれど、学ぶものでもあると思います。

先日、実家の母から電話が来て、岡倉天心のシンポジウムを聞きに行ったのだという話をしたところ、誰といっしょに行ったのか?と聞くので、一人で行ったと答えると、いっしょに行く人もいないのかと驚いたようでした。
シンポジウムを聞きに行ったり、展示を見に行くのに人を誘わなければならない理由があるのでしょうか?私は一人のほうが行動しやすいのです。どこかにでかけるのに、同伴者がいるのがあたりまえ、いなければさびしいだろうと考えるような人との会話は疲れます。

絵の好きな人とどうしていっしょにいかないのか?と言われるなら、私は人といっしょに絵を見て楽しみたいわけではなく、絵についての知識を得たいのだということです。
そして、何が好きかと聞かれれば、絵が好きというよりも、学問が好きなのでしょう。

放送大学の「芸術の理論と歴史」で青木先生がおっしゃっていた芸術の理解の仕方が、このごろだんだんわかってきたような気がします。

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