今日、本当になにげなく自分の昔の記事を読み直してみた。
それがたまたま2007年5月25日のものだった。
その記事は「俺は、君のためにこそ死にに行く」という映画の感想を書いたものだったが、今になるとそのような映画は全く思い出せないのだった。戦争映画は色々見るので、内容がこんがらがってしまい、最近では「永遠のゼロ」等の記憶しか残っていないようだ。
それで、自分の感想を読んで、へえ~そうだったのか、と思うのだった。
ところで、その記事に、次のようなコメントがあることに気付いた。
Unknown (Unknown)
2007-05-25 15:50:04
戦争を考えるために、小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。
ここが考えるスタートだと思う。
そして、このコメントに対して、自分が何の返事も書いていないことに気付き、何で書かなかったのだろうか?と不思議になった。
私は、通常、コメントには返事を書くように心がけているつもりだが、ごく稀に気付かないまま時を経てしまっているものもあるようである。これも、コメントがあったことに気がつかなかったのかな?
しかし、コメントを読み返してみると、ちょっと引っかかるものがあることに気がついた。
つまり、この人はunknown という人だったのだ。これではどこの誰だか全く区別がつかないではないか。このほかに、「通りすがり」と言う人も私は嫌いで、これもどこのだれだか区別がつかない。このような人たちはたくさんいる不特定多数の誰かわからない人を示すと思う。
さらに、コメントの内容だが、
小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。ここが考えるスタートだと思う。
と書いてある。
これは、きっと有意義なアドバイスだとは思うが、この人の言いたいことはよくわからない。つまり、小林よしのり著『戦争論』を読んでいない人は、戦争を考えるスタートにさえ立っていないということなのか。
私が書いたことが的外れだったのか、どうなのか、それがまるでわからない。
この本を読んでから出直せということだろうか。
この人が、私が書いた内容に対して、是としているのか非としているのかまるでわからない。
私に何か足りないものがあったことは確かであり、だから読めというのだろうけど…、
そのような、よくわからない状況の中で、私はこの「戦争論」を結局読んでいないし、このようなコメントがあったことさえ忘れていた。
それどころか、自分が見た映画の題名も内容も忘れているし、自分が書いたことも忘れているので、もし読んだところでその内容も忘れていたであろう。
結局、コメントがあったことに気がつかなかったわけではなく、どこのどなたかまるで分らない人が、私の記事に対して何ら感想等を述べることもなく、ただ「本を読め」と宣っても、そうすんなりと従う気にはなれなかったのだろうと思うのだった。
コメントに対する返事がないことについては、コメントを書いてくれた人も、そのような書き方をした限りにおいて、返信を求めてはいなかったものと思える。
もう10年も経ってしまって、今頃こんなことを書くのも変だが、たまたま見つけたので書いておく。
追記:今検索してみて初めて知ったが、小林よしのりの「戦争論」というのは漫画だそうだ。もしかしたら10年前も調べたかも・・・。
それがたまたま2007年5月25日のものだった。
その記事は「俺は、君のためにこそ死にに行く」という映画の感想を書いたものだったが、今になるとそのような映画は全く思い出せないのだった。戦争映画は色々見るので、内容がこんがらがってしまい、最近では「永遠のゼロ」等の記憶しか残っていないようだ。
それで、自分の感想を読んで、へえ~そうだったのか、と思うのだった。
ところで、その記事に、次のようなコメントがあることに気付いた。
Unknown (Unknown)
2007-05-25 15:50:04
戦争を考えるために、小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。
ここが考えるスタートだと思う。
そして、このコメントに対して、自分が何の返事も書いていないことに気付き、何で書かなかったのだろうか?と不思議になった。
私は、通常、コメントには返事を書くように心がけているつもりだが、ごく稀に気付かないまま時を経てしまっているものもあるようである。これも、コメントがあったことに気がつかなかったのかな?
しかし、コメントを読み返してみると、ちょっと引っかかるものがあることに気がついた。
つまり、この人はunknown という人だったのだ。これではどこの誰だか全く区別がつかないではないか。このほかに、「通りすがり」と言う人も私は嫌いで、これもどこのだれだか区別がつかない。このような人たちはたくさんいる不特定多数の誰かわからない人を示すと思う。
さらに、コメントの内容だが、
小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。ここが考えるスタートだと思う。
と書いてある。
これは、きっと有意義なアドバイスだとは思うが、この人の言いたいことはよくわからない。つまり、小林よしのり著『戦争論』を読んでいない人は、戦争を考えるスタートにさえ立っていないということなのか。
私が書いたことが的外れだったのか、どうなのか、それがまるでわからない。
この本を読んでから出直せということだろうか。
この人が、私が書いた内容に対して、是としているのか非としているのかまるでわからない。
私に何か足りないものがあったことは確かであり、だから読めというのだろうけど…、
そのような、よくわからない状況の中で、私はこの「戦争論」を結局読んでいないし、このようなコメントがあったことさえ忘れていた。
それどころか、自分が見た映画の題名も内容も忘れているし、自分が書いたことも忘れているので、もし読んだところでその内容も忘れていたであろう。
結局、コメントがあったことに気がつかなかったわけではなく、どこのどなたかまるで分らない人が、私の記事に対して何ら感想等を述べることもなく、ただ「本を読め」と宣っても、そうすんなりと従う気にはなれなかったのだろうと思うのだった。
コメントに対する返事がないことについては、コメントを書いてくれた人も、そのような書き方をした限りにおいて、返信を求めてはいなかったものと思える。
もう10年も経ってしまって、今頃こんなことを書くのも変だが、たまたま見つけたので書いておく。
追記:今検索してみて初めて知ったが、小林よしのりの「戦争論」というのは漫画だそうだ。もしかしたら10年前も調べたかも・・・。
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