山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

13 モデルがみつからない不安

2007-07-15 02:49:16 | 読書
村上龍 ダメな女

“今の若い人は生きていく上での
モデルがみつからないという不安に
耐えなくてはならない”

ここでは、何がダメな女というふうには書いてない。
もともと、このエッセイ集は何かの雑誌に連載されたものなのだろう。
だから一貫して「ダメな女」を書き連ねているわけではない。
ただ、モデルがみつけられない女より見つけられている女のほうが目標があって、前進できるから、いい女になれるだろう。

概要
人は様々であるから一概には言えないが、今の若い女の子は自分がどんな女性になりたいかを考えたときに漠然としたイメージしか持っていないように思える。たとえば、ある女子高生にどんな人になりたいか聞いたところ、「村上里佳子みたいな感じ」になりたいという答えがあったそうだ。それはどういう意味なのか?、女優やタレントになりたいのか、主婦になりたいのか、結婚しても自由な感じになりたいのか、問い直してもよくわからない。単に楽しい感じが好きだと言っても、どういうことが楽しいのかも漠然としている。
そのようなことから、村上氏は
「今の子どもや若い人はモデルを持つのが不可能なのだなと思った。生きていく上でのモデルが未だみつからないという不安に耐えなくてはいけないということだ。
さらに言うと、その不安こそが自分が生きていることの証なのかも知れない。・・・略・・」と述べている。

私はもはや若い女ではないが、こんな年になってもまだ生きていく上でのモデルがみつけられないでいる。現実に存在する人間にはなかなか自分にぴったりとくる人はいない。

自分で目指す人をみつけられないのなら、この人をモデルにしなさいとか、これが女の理想像ですなどと言ってあてがわれ、それに従えば楽である。
誰が目指しても悪くはないモデルというのも確かにあるだろう。
しかし、やはり人それぞれ好ましいと思うものや好きなものは違うのだから、人から決められるのはいやだ。
多くの人からみて理想的な女性像ではあっても、ある人にとってはあまり魅力を感じることのできない理想像もある。自分にはほど遠く非現実的なものも目指すことはできない。

理想像がみつけられないこういう世の中にあって、「女性の品格」「男の品格」などという目指すべき人間像を示す教科書的な書物も出版されている。
そして、それに飛びつく人もいる。飛びついてみたけれどやはりどこか違うんじゃないかと思う人もいるだろう。
それならまだ漠然と雰囲気の好きな女優でも思い浮かべていたほうが自分らしいと感じるかもしれない。
そういうのはどうも心もとなくおぼつかないものだが、しかたがないということだ。

私は自分にとって目指す人、モデルがないことは、やはり物足りないと思っていた。
そして、自分に合う作家探しをしていた。
村上春樹も江國香織もぴんと来なかった。
今現在、村上龍氏がいちばん魅力的で、手ごたえのある人だと思っている。
同じ社会の中に生きていて、映像で生の姿を見ることもでき、作品のみならず意見などを聞くこともできるからだ。
自分の意見のみならず、対談などで人から情報や魅力を引き出すことも面白い。
そういう活動を積極的にしている作家と言うのは非常に興味深い。
私にとってひとつのモデルが見つかったということだろう。





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