山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ハイビスカス

2021-09-10 21:20:12 | 植物・花・木

今、ベランダに咲いている花は、黄色のハイビスカスです。
これは数日前に、たまたまたくさん咲いた日があり、撮影したものです。

近年の夏は、朝顔は育てず、毎年ハイビスカスを咲かせています。

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ハイビスカスは、草花ではなく木なので、毎年同じ木に花を咲かせるのです。

南国のものなので、冬は家の中に入れないと凍え死んでしまいます。

だから、南側の日当たりの良いところで、エアコンの暖房の下で冬越しをさせます。

これが狭い我が家では大変です。

ハイビスカスの鉢のスペースを作るために、私の居場所がなくなってしまいます。

でも、外で死なせるのはかわいそうなので、頑張って置き場所を作ります。

あとは、水を枯らさないかぎり元気にしていてくれます。

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いくつか前の記事に、実家の母がガス代がもったいないと言って料理を否定する記事を書きましたが、この母が、植物に関しても、枯らしたらもったいないという独特の主張を持っています。

それは、その季節限りで終わる花を買わないということです。

何年か前、ハイビスカスの鉢植えを買ってきたところ、一度寒さに合わせてしまって、一夜にして枯れてしまったとのことで、もう2度と買わないのだそうです。

それ以来「ハイビスカスなんてものは、買うべき花じゃない」と主張しています。

近所の家では、毎年ハイビスカスの鉢植えを買ってきて、ひと夏で終わり、秋になるたびに枯らしてしまうそうです。その人は、次から次に咲いている色々な鉢植えの花を買ってきては、枯らして捨てることを繰り返しているため、母はその人が大嫌いなのだそうです。

私が「ハイビスカスが咲いた」などというと、すぐに同じ話を初め、「ハイビスカスなんてものは・・・」と否定し始めます。

私は別によその人が買っては枯らして捨てようと、それはその人の勝手だと思うのです。
夏の花は夏だけ楽しんで、秋になって寒くて死んじゃったとして、また次の夏にきれいな花の咲いているハイビスカスを買ってきて楽しもうと、そういうやり方だっていいんじゃないでしょうか。

他人の花の楽しみ方を、別の人がとやかくいうこともないでしょう。

私はたまたま狭い家で暖房が効いているので、ハイビスカスが冬越しできる環境なのです。

しかし、母に言わせると「あんたの家は狭くて置き場所もないんだから、ハイビスカスだの幸福の木だの、そんなもの育てるのやめな」などというのです。

そして「どうしてそんなに大きくなる観葉植物やハイビスカスなんてものを買ってきたんだね」と文句を言います。

私としては、自分が大切にしている植物を、何で買ってきたんだとか、育てるのをやめろとか言われるのは気に入りません。

自分の方針を押し付けるのはやめてもらいたいのです。

このハイビスカスが、夏になってこのようにきれいな花を咲かせてくれるのを見ると、冬に部屋がせまくなることくらい全然かまいません。

私は半分は、母の考えと同じで、生き延びるはずの植物を毎年枯らしては捨て、次々に新しい花を買って楽しむようなことはできません。

母がハイビスカスを否定するのは、余計な苦労をするなと言いたいのでしょう。

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母は、昨年、立派な胡蝶蘭のプレゼントをもらい困っていました。

「そういうものは、花が咲いているときだけ楽しめばいいんだよ」と私は言いましたが、母はそれよりもこの胡蝶蘭の花が終わり、いつか枯らしてしまうことを思うと、心が痛んでしまうのです。

しかし、母はシンビジウムやデンドロビウムを育てるのが得意(実家が蘭に適した環境)なので、翌年も胡蝶蘭が花を咲かせました。

もらった胡蝶蘭の鉢植えを翌年も咲かせる人なんて聞いたこともありません。

母も花咲かババアです。

 


朝顔

2021-09-10 20:27:11 | 植物・花・木

この画像は、今から9年も前、2012年9月11日にベランダで撮影したものだ。

ピンクが「京の手毬」、紫が「肥後の手毬」という名前だったと思う。あのころは朝顔を育てていた。

この画像は、このブログの過去の画像から探してきたものである。今使っているパソコンは2017年からの画像しかないので、朝顔の画像は保存してない。

最近は、べランダで朝顔を育てていない。

なぜならば、朝顔には、必ず青虫がつくからである。ベランダで青虫が発生するのは気持ち悪いので、朝顔は育てなくなった。

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でも、なぜ急に朝顔のことを書こうと思ったのかというと、最近近所の小学生(たぶん1年生)が、観察のために、学校で1学期から朝顔を育てはじめ、その鉢植えを夏休みに持ち帰り、今も玄関先に置いている家が何件かあるのである。

これは、うちの子たちも小学生のときにやっていたことである。

ただ、驚くのが、最近の小学生の持ち帰っている鉢植え朝顔が、どうしてこんなにショボいのか?瀕死の状態なのか?ということなのだ。

私が普段見るのは、自分の住んでいる集合住宅の2軒だけだが、どちらも細い蔓がたったの1本伸びており、葉が数枚付いているが、花は何も咲いていない。

そして、見かけるときの多くは、水が切れており、葉がしおれて死にそうなのである。

数日留守のような時には、見るに見かねて、自宅からコップに水を汲んでいって鉢に注いでやったこともあった。

他人の鉢にそんなことを何度もするわけにもいかず、とりあえず留守にしているわけでもなさそうな時は、枯れたら枯れたで仕方がなかろうと思うが、本当に通るたびに気になる。

今の鉢植えは、脇にペットボトルを逆さまにして差し込むようになっており、これでいくらか自動的に水が補充できるしくみになっているようだが、そのペットボトルの水もいつも空っぽで、鉢の土はカラカラになっている。

これでは、花も咲けないし、かろうじて生きているに過ぎない。

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うちの子たちが学校で朝顔を育てていたのは、もう20年以上も前になるが、持ち帰ったときは既に蔓が生い茂り、赤っぽいピンクの花が咲き始めていた。

それが夏休みにはさらにどんどん茂り、花を咲かせ、種もできた。

長期に帰省するときには、ベランダ下の共同庭の地面に埋めていったので、さらに限りない土の養分を吸って成長しまくり、花を咲かせまくっていた。

その鉢を2学期にまた学校に持ち帰った。できた種を観察などをするためだと思う。

しかし、既に枯れてしまったのを持ち帰った子も多かったようである。

うちの子の話によれば、自分のが一番立派に育っていたとのことだ。

・・・

そういえば、それはうちの子が育てたというよりも、私が勝手に他の植物と一緒に世話をしていたということなのだろう。

たまたま、私が植物を育てることが自然にできてしまう人間なのであった。

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それで、今近所の家で瀕死の状態になっている朝顔の鉢植えは、なぜか玄関先に置いてある。

玄関のある方角は、北か西である。

ベランダは、南か東である。

どうしてベランダに置かないのかなあ、と不思議である。

わたしだったら、ベランダで見事に咲かして見せましょう。

花咲かババア。

 


雑巾と台布巾の区別がつかない男

2021-09-10 17:50:28 | 日記2021

今日、取り込んで山盛りになっている洗濯物を、畳んで自分のタンスの中に仕舞っていた。

洗濯物は、夫が取り込み、夫の物は夫の部屋の夫のタンスに片づけているが、それ以外の物を、夫が私の部屋の入り口に積み上げていくのである。

私はそれをなかなか片づけないので、しばらく山になっており、そこからそのまま取って着たりしているが、今日はまとめて片づけることにした。

すると、その山の中から、数日前に私が3枚だけ小さな洗濯物干しに干してあった雑巾の中の1枚が畳んだ状態で出てきた。

それは、車を拭くための濃いピンクのタオルで、ガソリンスタンドで洗車し、拭き上げをするためにそこで買ったものだったのだ。

この自動車用タオルは、普通の浴用タオルよりも長さが少し短く、こんな濃い色のタオルは他にはないものであった。以前、それを夫が普通のタオルと間違えそうになったので、これは自動車用の雑巾だと教えてあったから、夫も覚えていたようである。

そこで、夫はこれを私の所有物と判断し、私の洗濯物の場所に置いたようであった。

私は、数日前に干した3枚の雑巾のことはすっかり忘れていたが、これを見て思い出し、夫がそれらを取り込んだことがわかった。

だが、そうなると、あと2枚の雑巾はどこへ行ったのであろうか?

夫に聞くと記憶が無いと言う。

しかし、私が取り込んだわけではないし、もし私が取り込んだのであれば、一緒に干してあった残りの2枚の雑巾は、洗面所の雑巾置き場に置いたはずである。

ちなみに、あとの2枚は自動車用ではなく、床などを拭いたものであり、1枚は古い浴用タオルを半分に切ったもので、もう1枚は古い浴用タオルがそのままボロボロになったものであり、シミがついたり穴が空きそうになったりしているものである。

その2枚はいったいどこへやったの?

夫は、洗面所のタオル置き場へ片づけたのであろうか?

自動車用の雑巾といっしょに干してあったものを、わざわざ普通のタオル置き場に持っていくか?

しかし、夫ではやりそうなところ。

でもふと、嫌な予感がして、食卓テーブル用の台布巾が重ねて置いてるところを見てみた。

すると、なんと、予感が当たり台布巾といっしょに、床用の雑巾が畳んで重ねてあったのだ。

台布巾はタオル地ではなく、全然別の種類の布であり、模様も縞かチェックであるのに、なぜそこに無地の雑巾を一緒にするのか。

全く、信じられない。

夫は、浴用タオルが半分に切れているのでタオルよりもサイズが小さいから台布巾だと思ったらしい。

それといっしょに干してあったボロボロタオル雑巾もなぜか台布巾としてあるのである。

これらの雑巾は、私も自分がどこを拭いたか記憶がないのだが、トイレの床を拭いたかもしれないものである。

よりによって、なぜゆえ食卓用の台布巾といっしょくたにされるのか、全くわけがわからん。

油断禁物。