山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

路上教習車に遭遇

2014-04-13 23:20:29 | 車・運転・道路・駐車場2014
昨日、運転をしていたら、教習車が前を走っていた。その教習車は私の母校の教習車であり、確かにそこは私が走った教習コースでもあった。幹線道路を右矢印信号で右折した片側1車線の道路だった。そこは時速30キロの道路であり、教習車はそれを守っているため、やはりかなり遅く感じた。自分も以前はそうだったのだ。

すると、前方左端に駐車車両があった。道路は余裕があるので、それを越えるにしてもほとんどセンターラインを越えなくても済んだ。まあ、通常のクルマであれば、ウィンカーも出さずに普通に通り過ぎてしまう程度だ。対向車が来ていてもかまわない。多少センターラインを踏んだところで、対向車線にも余裕があるから、普通にすれ違うことができる。
しかし、教習車は右ウィンカーを出し、駐車車両の前で止まり、対向車が通過するのを待ち、そして、とても大きく右によけながら駐車車両を越え、そして左ウィンカーを出して戻った。
ふ~む。教習中はそういうものだったんだな~~。

駐車車両を越えるときは、余裕の距離を開けて脇を通り過ぎるってことだったか。
もし父親かなんかに教わったら、「そのまま行っちまえ~」と言われるに違いない。でも、指導員はそんなことは言わない。慎重に基本に則って運転させるのだ。
それで、免許を取ってから、段々に慣れるうちに、その丁寧で慎重すぎる運転法から、適宜現実的な運転に変化していくのであろう。

教習車は、さらにまた同じように路上駐車している、ほとんど道路にはでっぱっていないようなクルマを、同じようにして超えた。
私の後にクルマがいたら、イライラしてるかもな、と思ったが幸いいなかった。

私も同じだったか、もっと遅かったわけだから、協力しなくちゃね。
この教習生も、免許をとって運転を始めたら、どんどん走行距離を伸ばし、私なんかよりも運転が上手になってしまうかもな~。

先生は誰かな?知ってる先生かな?
教習車は、もう当時と違う車種になっているようだった。

教習生さん、頑張ってくれたまえ~。

そういえば、教習中は、自分が将来、教習車の後ろを自分の車で走ることなんか想像したこともなかったな~

夏炉冬扇

2014-04-13 15:22:54 | 日記
今週は、土日ともに晴天だという予報だったが、今日は薄曇りのようで青空ではない。
これは、霞だろうか、黄砂だろうか?それともPM2.5だろうか?単なる雲か~。
五十肩に悩まされ、家事も溜まっており、なんとなくドライブに行く気合いも出ず、家にくすぶっている。そうなるとパソコンでネットサーフィンなど始めるのだけど、どうも速度が遅すぎる。ワードまでがスイスイとは打てない遅さ。どういうことだ?
ためしにスキャンなどしてみたけど、異常はなかった。

パソコンが思うように使えないので、ふと傍らのガラクタの山を見ると、先週の新聞があった。そういえば、昨日は、朝から夕方まで用事があったので、すっかり新聞のクロスワードパズルをやるのを忘れていた。そこで、昨日の朝刊を探し出して今やったところだ、

このごろは比較的やさしいなあと思うのだけど、最後の方に来て難航した。

最後に残った不明な3つの言葉は、

・ドクトリン
 これは結局、動きの重すぎるパソコンで検索して判明したが、「政策上の原則などを示した教書」の事を言う。普段全然聞かないし、今後も使わないだろうから、この言葉はきっと忘れてしまうだろう。

・サイドカー
 「オートバイに取り付けると3輪になる」というヒントだ。
クロスワードの場合、文字通りの意味なのか、ダジャレなのか、冗談か、ことわざか、言葉遊びか、わけがわからないことが多いのだが、これは真面目に文字通りの意味だった。
よく道路を走ってると、バイクの横にカヌーみたいな形の乗り物が取りつけてあって人が乗っていたりするのを見たことがあった。あれは面白そうだ。
取り付けるといえばあれくらいか、あるいはリヤカーみたいなもんか?と思ったけど、名前がわからないし、第一あれは車輪が1つだったかな?2つあったら4輪になってしまうし・・・と思った。
最後に「サ○ド○―」となり、○の部分は縦の言葉がないのでヒントにならない。
サイドバー・サンドバーいやバーではダメだろうと思い、やっとのことで「サイドカー」に辿り着いた。これは素直にサイドにつける車「サイドカー」だね。
ちなみにサイドカーのついた二輪車は、サイドカーを取り外したときにバイクとして走れる構造のものは、自動二輪の運転免許があれば運転できるそうだけど、サイドカーを取り外すと走れない構造のものは普通自動車免許があれば運転できるそうだ。

・夏炉冬扇
 そして、最後の最後までわからなかったことばがこれだ。
「夏冬ともに季節外れでとんちんかん」とは、異常気象か、狂い咲きか?などと思う。
「カロ○ウセン」まで出ていても意味不明。ことわざとは思わなかったのだ。
「夏冬ともに季節外れ」などと入れて検索したら出てきて、な~んだと思った。

夏に熱い炉は不要だし、冬に扇は不要である。
とはいうものの、そうでもないなあ~などと思う。
更年期障害の女性にとっては、冬にもホットフラッシュが起きるものだから、団扇を出して扇ぐこともある。団扇は不可欠だ。また、実家の母は、更年期のころ、真夏にお尻だか腰が冷えて冷えて仕方がなく、ついには炬燵を出してきてお尻を入れて温めたことがあるそうである。
また、現代では、冬にサーキュレーターの変わりに扇風機の風で部屋の空気を循環させたりすることもあるし、夏は冷房で冷えすぎるので、若い女性は冬物のストールや膝掛けなどに包まっていたりするのだ。更年期障害でなくても夏炉冬扇のようなものが役に立ったりしている。

ま、本来はとんちんかんで季節外れの役にたたないもののことなんだね~。

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実を言えば、50円はがきがいっぱい余っているので、何かの懸賞に使っちゃおうと思って懸賞を探してたんだけど、
最近はハガキで送る懸賞がほとんどないのだ。
そこで、クロスワードパズルでも解いて応募しようかと思い、3月にちょっと応募してみた。
4月になってもハガキはまだ残っているのだけど、今度は2円切手を貼らなければいけない。
2円切手を買いにいくのが面倒くさいので4月になってからは応募はしていないんだ。
2円切手を買うのがめんどくさい人がいっぱいいれば、応募枚数も減るのかな?

この間なんか、別の郵便には、家にあった5円切手を貼ってしまった。2円切手を買いにいくのがめんどくさいし、新たに買うよりもあるもので済ませたほうが出費少ないからだ。5円切手なんか使う予定もないし・・・。
しかし、もったいないな~。

反原発歌(反戦歌の替え歌)

2014-04-13 10:37:08 | 日記
昨日、「フランシーヌの場合」をYou tubeで見ていたら、それの替え歌で「プルトニウムの場合」というのがありました。
現代では、反原発歌が生まれてもおかしくないと、ちょうど思ったところだったので、これがあったのは驚きであり、いかにも替え歌にするにふさわしいものだと思いました。

元歌の「フランシーヌの場合」は、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺をしたフランスの女性のことが歌われていますが、現地のフランスに原曲があるわけではなく、日本で作られたものだそうです。(作詞:いまいずみあきら、作曲:郷五郎 歌:新谷のり子 1969年6月15日発売)

プルトニウムとウラン238を混合したMOX燃料は、フランスのシェルブール港から日本に輸入されているそうで、フランスという点でもつながりがあります。

フランス、そしてアメリカ、欧米の圧力の中で、エネルギー資源のないアジアの小さな国日本はどうやって、安全に生きていったらいいんだろう。

替え歌「プルトニウムの場合」は、2011年6月6日にアップロードされていました。原発事故が起こったのが3月11日で約3カ月後のことです。
元歌は3月30日にフランシーヌが戦争に抗議自殺し、6月15日に発売されており、時期も一致していることに驚きました。

歌詞
「 プルトニウムの場合は あまりにもオバカさん
  メルトダウンのことなど わかりきっていたのよ
  だけど安全なのと だましてた
  今日までみんな信じてたでしょう プルトニウム

  ほんとのことを言ったら 原発なんて作れない
  ほんとのことを言ったら 私だってこわいの
  だからなるべく遠く離れてる 
  過疎の村に 行ってもらうわけよ 念のため

  チェルノブイリの場合は もう2度と住めない
  スリーマイルのあとでも 誰も止めようとしない
  すべては想定外の津波なの
  そうさ僕たち 何も悪くないよ プルトニウム 」

(歌を聴きながら、書き取らせていただきました。どなたの作詞かは記載されていませんでした。)
演奏は歌もギターもすばらしいです。


さらに、ユーチューブで「東電に入ろう」(倒電に廃炉)というのもみつけました。これは「自衛隊に入ろう」の替え歌です。

「自衛隊に入ろう」は、最初聴いたときは、単に浮かれふざけた変な歌だと思ったのですが、自衛隊を風刺する皮肉がこめられたものであり、これも1969年にできたものらしいです。当時は「要注意歌謡曲」に指定され「放送禁止歌」となってしまったそうですが、現在は指定制度自体の効力がないため、放送禁止ではないそうです。

今、自衛隊は災害時の救助・救援などでなくてはならない存在となり、当時とはずいぶん世間の受け止め方も変わってきましたので、今では皮肉や風刺ではなく、本当の宣伝歌とも受け取られかねない時代となりました。しかし、最近は国が自衛隊を国防軍にして活動範囲を広げようとしたり、憲法9条の解釈を変えようとしたりしているので、未だ安心はできず、反戦歌としての役割も消えたわけではないかもしれません。

替え歌の「東電に入ろう」は、必死に原発事故の後始末に対処している東電に対しては、かなり不謹慎ではないかなと思う部分も感じられました。実際、茶化したり皮肉ったりしている場合ではないので、他人ごとのように外から見てこんな歌を歌っているのはどうかとも思えます。
しかし、こんなことになってまで、原発を未だ推進しようと考えている偉い人たちがいることが信じられず、原発の恐ろしさや、安全処理がまるではかどらない現実を伝えるには、このような歌が必要であろうと思います。

このほかに、反戦歌の替え歌ではないものの、ユーチューブでは「原子炉のサンバ」やその他いくつかの反原発の替え歌が載っています。

日本人の生活、日本の未来を守るため、絶対に原子力発電は反対です。

久々の「どこかでラジオが」

2014-04-13 02:41:31 | 日記
FMさがみ、土曜日23~24時放送の「どこかでラジオが」は、パーソナリティのかぜ耕士さんが病気リハビリ中で、しばらく代理の黒瀬さんと清須さんが担当されていました。それも楽しかったのですが、いつのまにか放送を聴かなくなっていました。
webの「かぜ耕士のたむたむたいむ」はいつも目を通しています。つい最近、かぜさんがラジオに復帰されたという情報を知り、今日は久しぶりに聴いてみることにしました。

ところが、我が家はインターネットのプロバイダーがJcomなのですが、どうも土曜日の夜になると状態が悪く、インターネットがつながらなくなり、サイマルラジオもなかなか出てきません。

10何分も過ぎた頃、やっとFMさがみにつながりました。そこで、いつもと変わらないかぜさんの流暢なお話が流れてきたので、一安心しました。

しかし、接続状況は相変わらず悪くて、すぐに音がとぎれ「バッファー処理中4%」などという表示になって、放送が聴こえなくなってしまうのです。

そんなわけで、最初の30分はほとんど聴くことができませんでした。
後半も時々途切れましたが、なんとか聴くことができました。

今日の放送のテーマは「メッセージソング」というもので、「反戦歌」を取り上げていたようです。森山良子の「愛する人に歌わせないで」というのはいくらか聴けましたが、そのあとの「戦争は知らない」という曲のときは途切れてしまいました。どちらも、私の知らない曲でした。

11時半頃には、「フランシーヌの場合」というのが流れました。そのあたりだけ、途切れないで聴くことができました。

フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん
フランシーヌの場合は、あまりにも悲しい。
3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

この歌は、1969年6月に、新谷のりこという人が歌ったものだそうです。
その当時、私は小学校3年生で、確かにこの歌には記憶があります。歌詞も知っていますが、意味はまるでわかりませんでした。わからないまま、なんとも思わず45年、生きてきました。
何が「おバカさん」なのか、何が「かなしい」のか、わけがわかりませんでした。
当時の私が連想したのは、フランスィーヌ→フランス犬?という感じで、今思えば、女性という意識はなく、とにかく漠然と受け止めていました。(ネットで調べてみると、私と同じように犬だと思っていた人も結構いるようです。)
今日、改めて聴いてみると、何やらフランス語での音声が入っていて、「ベトナム」というような単語が聴き取れました。今になって、どうやらベトナム戦争が関係あるのかな?と思いましたが、アメリカがベトナム戦争をしたと思っていたので、フランスにどういう関係があるのか私にはよくわかりませんでした。

歌が流れたあとの、かぜさんのお話によってわかったことは、
フランシーヌというのはフランシーヌ・ルコントという名の当時30歳のフランス人女性で、ベトナム戦争やナイジェリアの内戦に抗議して、シンナーをかぶり3月30日に焼身自殺をしたのだそうです。精神科にもかかっていたとのことです。日本の新聞にはそれだけしか書かれていない小さな記事だったようですが、自分の命を落としてまで訴えるものがあったということに感銘を受けてこの歌が作られ、歌われることにより、日本全国の人が、知ることになったのはすごい現象です。

歌詞の「パリの朝に燃えた命」って、本当に「物理的に燃えた」と知りショックでした。
この当時は、日本も70年安保や学生運動があって、殺伐としていた時代だったようです。
新谷のり子は、その後「さよならの総括」という歌を歌ったそうですが、この「総括」という言葉は、連合赤軍の言葉ではリンチを意味するため、イメージが悪く売れなかったとのことです。

そういえば、今年も3月30日は、日曜日でしたね。

ベトナム戦争について、私はあまりも無知なのですが、ちょっと調べてみたら、
最初はベトナムを植民地のようにしようとするフランス対ソ連や中国など共産主義国の争いだったものが、アメリカ対共産国の戦争に移行したようでした。

you tube に3年前のものがありました。




こういう歌が昔、歌謡曲として歌われたのは、今では信じられないです。とても楽しめるものではないのに、子どものときは鼻歌のように口ずさんでいました。大人は意味がわかっていたのかな?
今は、反原発の歌を作って、真剣に歌ったほうがいいかもしれない。

さて、ラジオの話からそれてしまいました。

そのあとは、「自衛隊入ろう」というへんてこな歌が流れ、美空ひばりの「1本の鉛筆」という、これも初めて聴くような歌が流れました。こちらは、原爆に関する歌だそうです。

今日、放送を聞いて、これまで知らないできたことを知ることができよかったです。

かぜさんの放送は、次は再来週だそうで、また楽しみにしたいと思います。