山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

腑抜けの1日

2013-02-11 21:37:49 | 日記
連休3日目になると、本来夜行性の私の生活リズムはおそろしくずれてくる。
朝型の人間は、体内時計が24時間より短いそうだが、夜型の人間は長いそうだ。それで、私も、放っておくと1時間ずつくらいずれて行く。普段は1時頃に寝るが、土曜日の夜は2時、日曜日は3時過ぎとなった。今朝(月曜)は8時前におきたものの、やはり睡眠時間が足りない。出勤する夫を送り出したあと、どうもアタマがすっきりしないので、もう1度寝ることにした。次に目が覚めたのは昼近くだったが、なんか気分がすぐれない感じで、アタマもガンガンしていたので、また寝てしまった。いいかげん1時をすぎて目を覚ました。
そうだ、なんか気もちが悪いのは、朝から何も食べておらず胃が空っぽだからであり、頭がガンガンするのは、血液に栄養が足りていないからだ、ということを思い出した。この頭痛は、年に1度の健康診断の日の、健診が終わって空腹のまま帰宅するころに決まっておきる頭痛と同じなのだ。血糖値が下がっているのだろう。

何か食べなくてはいけない。しかし、食べるものがない・・・。冷凍庫を開けて冷凍餃子を取り出し、作り方を見ながらその通りに作った。冷凍餃子はどうもふにゃふにゃになってしまうことが多かったのだが、先日テレビを見ていたところ、もともと誰にでも上手に焼けるように商品が開発されているものの、消費者が作り方通りに作らない場合が多いので、まずいのだそうである。その中でも、水の量を守らない消費者が多いが、実は水の量がおいしく焼くための重要な要素なのだそうだ。
そういえば、私も水の量など量ったこともなく、いつも適当に入れていた。どうやら多すぎたようだ。それで、今日は計量カップで100CCをしっかり量り、中火で4分という時間もしっかり守って焼いてみたところ、今までになく上手に焼けた。やはり、マニュアルというものは、守らなくてはならない。餃子を食べると体調はよくなった。

その後、また何をするでもなくいつのまにか夕方になってしまった。
足腰が弱るので、歩いて出かけることにした。だいだい若者というのは、どんなに動かないでいても、足腰が弱ることはないのだが、中年を過ぎると運動が必要になってくる。なぜならば、女性は年々、年とともに筋肉量が減少していくようになっているからだそうだ。筋肉は使わないとますます無くなっていくので、それを食い止めるには運動が不可欠なのだ。年寄りくさいなどと言っているどころではない。年相応にウォーキングなどをしなくては、将来寝たきり老人になってしまうのだ。

それにしても、そのまま駅のほうに買い物にいくつもりだったので、スッピンで行くのはどうなのだろうか?とはたと留まった。ついでに、ウィンドーショッピングでもしたいところだが、この顔ではまずいだろう。しかし、化粧をするのは面倒臭いのだ。化粧をするとはいっても、普段から大して素顔と区別がつかないくらいのことしかしていないのだが、やっぱり多少でもファンデーションなどを塗ると違うものであろう。
だが、本当に面倒臭い。皿洗いをしていないのでドライブに行けないのと同じように、化粧をしていなので街に出られないと言う状況になってしまうのだ。
しかし、本当に面倒臭い。もう素顔でいいわ。

寝起きのままの顔にGパンでは、まともな店には入れないので、いつもの庶民的なスーパーに行く。安物の服を眺めて回る。
近頃、チュニックというものが多く売っているが、どうも私にとってはよくわからない。ワンピースかジャンパースカートかと思うと、丈が短くてミニスカートになってしまい、とてもそのまま着れたものではない。下には、レギンスとかいうものを履くらしい。短太足の私には最もふさわしくないものである。
でも、ちょっと着てみるか、と思って試着してみた。そこには、レギパンというのが売っていて、伸び縮みするので、太ったオバサンでも履くことができた。
太ももや尻は見るに堪えないが、そのあたりはチュニックが覆い隠してくれるわけだ。すかし網になった毛糸のチュニックを着てみたら、なかなかかわいいので買うことにした。

それにしても、このチュニックというものは、とうてい通勤などに着て行けるものではない。やはり休日そのへんを散歩したり、自宅で着る普段着なのだろう。自宅にいるときは、すでにあるものを着ていればいいようなもんだけど、まあ、少しは楽しみもないとなあ。

それから、最近自宅で品薄になっている「箸」を2膳買った。箸は好きなデザインのものを選んで買っているが、片方の箸の先がはげたり折れたりして使いものにならなくなる。2本のうちの両方が同時に悪くなるわけではなく、かならずどちらか1本からダメになるわけだから、残った箸が1本残る。すると、それはもう使えないので、それも捨ててしまえばいいのだが、貧乏症なので捨てられない。何かをかき混ぜるときなどには1本でも使えそうだと思ってとってある。
たとえば、同じデザインの箸をもう一度買ってきて使っていると、その片方がまたダメになったときに、残った物同士を合わせて使えば良い。しかし、実際には同じデザインのものはもう一度買わない。また、最初から同じ箸ばかりをいくつも買っておけば、どれかがだめになっても自由に組み合わせることができる。
夫の靴下なども、同じものの5足組セットなどを買っておけば、どれかに穴が開いたりして使えなくなっても残った物を組み合わせて履けばよいので無駄がない。靴下はそのようにしているのだが、箸はやっぱり好きなデザインを1膳ずつ選んでしまうのだ。まあ、今日買ったのも、400円もしないものなので、片方がダメになったのは捨てちゃった方がよさそうだ。

それから、ご飯茶わんも2個買ってきた。小さくて丸っこい形のやつだ。夫も娘もあんまりご飯が好きではないので、小さいものが良いし、私はどうせ毎日使うなら、そのたびにステキだな、と思えるデザインのを使ったほうが気分がよさそうだからである。

そんなわけで、どうでもいいようなものをいろいろ買ってしまった。ストレスの解消と気分転換だ。

今夜は夫もいないので、自分用のお弁当を買った。ふと、昨日、今日の朝用にパンが買ってあったことを思い出し、夕方食べた。すっかり忘れていた。よほどボケている。
それで、夕飯のお弁当はまだ食べていない。

それにしても、3日も休むと腑抜けになっちゃうよね。いい休養になったかな~


ベビーカーでバスに乗る人の影響

2013-02-11 15:21:17 | 車・運転・道路2013
昔では考えられなかったが、今はバスの中にベビーカーを安定させるための設置スペースがある。車いすも同様である。
車いすは身体の不自由な人にとっては必要不可欠なものであるが、ベビーカーはいったいどうなのだろうか?

先日、わたしは片側1車線の道路で、バスのすぐ後ろを車で走っていた。バスは大きいので前方があまりよく見えない。バスが停留所で止まってしまうと、追い越すかどうするか迷うところだが、2~3人くらいの乗客ならばすぐに動き出す事が多いので、よほど前方の見通しがよくない限り追い越すことはしないでいた。

ある停留所で、バスの真後ろに止まると、乗る人が5~6人の列になっているのに気付き、これはちょっと時間がかかるかな?と思った。もう少し右によって車間距離を空けていれば前のほうが見通せたのだが、すぐに走ると思ったので追い越す気が無く、真後ろにぴったりつけてしまっていた。

バスに乗る人を見ているとなんとその中にベビーカーを押す人もいることに気がついた。
そして、ベビーカーを開いたまま(たぶん赤ん坊が乗ったまま)持ち上げて乗り込んでいった。乗るまでは時間がかかるものではなかった。ところが・・・、その後バスは延々と発車しないのだ。

あれっ?もしかして、バスの中でベビーカーの置き場所とかをいろいろやってるのかな?バスの中は結構混でいるのだろう。ベビーカー位置の安全確認ができるまで運転手さんが発車させないのか?
それとも前方に信号があって赤になっているとか、道路状況が理由なのか?

真後ろにつけているので、今さらバスを追い越す態勢に変更できない。
私の後ろの車もじっと待っている。
そのうち、もっと後ろの車が追い越していった。ときどき対向車がくるので、その間は追い越せないが、私とその後の車よりもっと後ろの車は前方が見えるらしく、みなころ合いをみて追い越していくようだった。

やっと、バスが発車したが、あれはベビーカーが原因だったのか?はっきりとはわからないのだけれど、道路状況が原因で止まっていたのでないことは確かであり、バス自体の都合で止まっていたわけだった。そして、普通に乗り降りする時間では考えられないような長い停車時間(3分くらいかな?)だった。あるバス会社の決まりでは、開いたまま載せる場合は規定の場所に固定し、他のベビーカーで既に使用中の場合や、混雑時は、ベビーカーをたたまなくてはならないらしい。いずれにしてもそれらの準備が整うまではバスは発車できないようだ。

ベビーカーのことで時間を取っていると、バスの運行時間も遅れるだろうし、さらに今回のように、バスの後の2台の車が停まったままという、他の車の進行までも止めてしまうことがある。

このようなことを書くと、子育てに対して優しくないという批判を受けることが多いが、こういう状況も起きる(バスの中だけの問題ではない)という事実である。
だから、ベビーカーをバスに載せるなと言っているわけではないが、なるべく周囲に迷惑をかけない方法を選んでもらいたいと思う。
私も子育て中に、家から駅まで大人の足で歩いて25分かかる場所だったので、バスを使用することがあったが、バスにベビーカーを載せたことはなく、そのことで不便を感じたこともなかった。



ハザードランプでお礼するのって

2013-02-11 03:01:24 | 車・運転・道路2013
たとえば、前方に駐車車両があって、車線変更しなくちゃならないときに、右ウィンカーを出していたら、第二車線の車が車間距離を空けて入れてくれて、感謝することがあります。
前記事の場合もそうだったのですが、このようなときに、ハザードランプを一瞬つけてお礼をするのが普通なようです。私もなるべくそうするようにはしているのですが、ハザードランプのスイッチって、手元から遠くないですか?
他の車はどうかわかりませんが、わたしの車は車幅の中央にあるので、左手をかなり左にのばさないと届きません。(教習車もその位置でした。) 
それで、すぐにハザードでお礼しなくてはと左手に気を取られ、右ウィンカーを戻し忘れたり、その直後に車が渋滞していたりすると、ブレーキを踏むのが遅れて、車間距離が狭まってからあわてて強いブレーキを踏んだりと、結構、他の行動ができないというマイナス面を感じる事が多いです。身体を斜めにしないと届かないので、運転中の視線も一瞬おかしくなります。右ウィンカーを出したままでは、さらに第3車線に移動したがっていると誤解されてしまうでしょうし、それでは本末転倒です。ハザードを押すために、運転するための注意力がおろそかになってしまうという難点を感じます。

でも、ハザードでピカッとお礼をしないと、後ろの車は、せっかく入れてあげたのに・・・と思う人もあると思いますし、実際、わたしも、自分が入れてあげたときにお礼のハザードを見ると嬉しいので、自分もやらなくてはいけないなあと思うのですが、それでも、その代わりにやるべきことをおろそかにしてしまうのは、どうなのかな、他の人はそういう支障は感じないのかなと思うこともあります。両方をしっかりやるのがあたりまえと言われてしまえばそれまでですが・・・。

ハザードランプの位置については、助手席からも押せるように中央についているようです。
実際、夫が助手席に乗っているときは、運転している私の代わりに、お礼のハザードランプを押してくれるので助かります。
しかし、助手席の人に頼っていては、自分1人のときにますます慣れない状況ということになってしまうので、やはり運転者がするべきだと思い、自分からは頼みません。助手席の夫も、後ろが譲ってくれたのかどうかをいつも知っているわけではないので、お礼のハザードランプでお礼をしないままになってしまうことがあります。

交差点前後の駐車車両

2013-02-11 01:37:54 | 車・運転・道路2013
今日は駒込まで行ってきたけど、途中結構第一車線に駐車車両があって迷惑した。
ある交差点では、交差点に近付くと黄色いラインになっていて車線変更ができないわけなのだが、その部分の直前の第一車線に駐車しているクルマがあるものだから、それを追い越すために第二車線に変更した(ここでは白いライン)のち、第一車線に戻る位置では、すでに黄色いラインになっていて、戻ることができなくなる。となると、その駐車車両のせいですべての車がその交差点では左折ができず、直進せざるを得なくなるわけ???
そんなことはいくらなんでもなかろうと、黄色いラインを無視して第二車線から第一車線に戻った。
黄色いラインは「はみ出しての追い越し禁止」とすれば、駐車車両は動いていないから追い越しにはならず、それをよけるために隣の車線に出てもよいということになる。
しかし、交差点付近の黄色ラインは、追い越し禁止というよりも、進行方向別になっている車線変更が禁止とされている場所である。
今まで、こういうところに駐車車両があったという経験はなかった。う~ン、迷惑だ。

別の交差点では、第一車線を直進しようとしていたところ、前の左折車がつかえていて曲がっていかないため、待機していた。どうやら左折先になにか原因があって詰まっているらしく、前の前の左折した車が進めない状況も目に入った。うちの車にとっては、直前の左折車のおケツが出っ張っているので、直進できないから、右によけたいが、第二車線にもいっぱい車が走っていて右に出ることはできない。そこで、待機しているうち、やっと左折車が進んだと思ったら、前方交差点を越えたところの横断歩道のすぐ前に駐車車両。

えっ?進んでも横断歩道上でハマっちゃうじゃん。あの車はどうなってるんだ?動かないつもりか?と見る瞬間、第二車線の車が私の前を通って左折。あれっ?なんだこれ?私がトロトロしているから、後ろの左折車がそんな行動にでたようだ。たしかに、この時点では左折はできるわけだ。こちらとしてはその時も次々に第二車線に車がくるから、前方の駐車車両を右によけられない状況が続いていて進めなかった。そして、信号が黄色になってしまった。
交差点の先の駐車車両は、青になるまでにどいてくれるかなと願うが、クルマから運転手が降りたりしている。やはり動く気はないらしい。青になる。右ウィンカーを出しつつタイミングを待つが第二車線には相変わらず車が並んでいて切れ目がない。車が流れ出し、やっと間を開けてくれる車があって進むことができた。

全く、迷惑な駐車車両だ。

でも、こういうときは、とりあえず交差点内に進んでしまったほうがいいものなのだろうか?信号が黄色になれば第二車線の後続車が止まるから、そのときに駐車車両を超えればいいのかな?

ああ、交差点至近距離の駐車車両  嫌だ~~~~

水の味

2013-02-11 00:07:26 | 日記
近頃、初めて水を飲むようになり、水のおいしさというものを知った。

これまで、私には、水を飲む習慣というのはなかった。必ず真水ではなく、お茶にして飲んでいたのだ。水を飲むのはレストランなどで出された時に限った。薬を飲む時もお茶で飲んでいた。

ところが、筋トレのジムに通うようになってから、「水」を飲むことを薦められるので、それを機会に水を飲むようになった。
ペットボトルで売っている水は、味がまろやかである。水って意外においしいものだなと初めて知った。これまでは、水をわざわざ買って飲んでいる人をみると、もったいないなあと思っていた。どうせ飲料を買うなら、味のついているお茶やジュースやコーヒーでないとつまらないと思っていた。でも、水を飲み始めると、その混じりけのない純粋さ、余計なものが入っていないことの安心感、よりいっそう自然で健康的である、という感覚がなんともいえず良いもので、よけいな味や成分の混じっている飲料より水が望ましく感じられるようになった。

難点はやっぱり水ごときにかなり費用がかかるということだ。小さいペットボトルは割高だし、大きなペットボトルから小出ししていっても、どっちにしても飲み残してしまうことが多い。口をつけて飲んでいるので、日をまたがって飲み続けるのはどうかと思うから、捨てることも多い。買った水を捨てるのはもったいない。

そこで、会社の水道からペットボトルに水を汲んで持っていくこともある。すると、この水がまずい。やはりカルキのにおいがするし、まろやかさがなく、身体にわるそうである。飲むたびに身体に悪そうだと思うのは、精神的にもよくないし、飲むことに抵抗感がでてくる。

そこに行くと、自宅の水道の蛇口についている浄水器から出てくる清水は、ペットボトルで売っているものほどではないが、まるみがあってカルキ臭もしないということがわかった。身体に悪いものが入っていない感じがする。水道水なので余ったら捨ててももったいないということはない。

同じ水でもずいぶんと、味に違いがあることがわかった。
色々飲めば、その産地や製法などによる違いも判別できるようになるだろう。

おいしい水であれば、コーヒーやジュースなどと同じくらいの金額を出しても、その価値はあると思えるようになったし、わざわざ「水」を選ぶ人の気持ちや、飲み物は「水」でなくてはならないと思う気持ちも理解できるようになった。