山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

新聞を読み始めて

2010-04-29 23:37:50 | 日記
恥ずかしながら、ここ何年か新聞をろくに読んだことがなかったのです。今でも、全部に目を通してはいません。ほぼ自動車関連記事を探しているだけです。
でも、新聞の文章を抜粋したりするうち、気がついたことがあります。
まず、要約しようとしてもほとんど要約できない。つまり、既に要約されている、ほとんど無駄なものがない、ということです。たしかに、決められたスペースの中に、重要な情報を過不足なく載せなければいけないのですから、最初から無駄なものはそぎ落とされているわけですね。
次に、書き写していて気がついたのは情報源をはっきりさせていること。誰が言ったのか、どういう機関が発表したのかを、いちいちちゃんと記載しています。そして、それはいつのことかということです。数字や統計になると必ず何年何月、何処で取った統計、調査範囲などが文章の中にしっかり付記されているのですね。
そういうところがうやむやではなく、気を使っている、というか、それが新聞記事の常識なのでしょう。
つまり、基本の5W1Hをしっかり守っているっていうことなんですね。
自分が何かを書くときも、うやむやな書き方をしないで、しっかり書かないといけないなと思うようになりました。
なかなか実行できませんけど・・・。

銭湯(お風呂屋さん)

2010-04-29 23:18:37 | 日記
4月28日、讀賣新聞の夕刊記事に「銭湯 浮世のあか落とし」という記事がありました。
庶民文化研究家の町田忍さんからの情報を取材した、写真入りの銭湯の記事です。
東京都内には銭湯が約820軒ありますが、その中でも町田さんが気に入っているのは大田区の「明神湯」だそうです。

その記事と写真を見ていたら、4月17日に小金井公園に行った時の、江戸東京たてもの園の「銭湯」を他の建物とは別に掲載しようと思いながら、していなかったことを思い出しました。
そこで、今日は新聞記事の内容と掛け合わせて、江戸東京たてもの園の銭湯写真をご紹介します。

ここにあるのは、「子宝湯」(1929年・昭和4年建造)です。足立区千住元町から移設されたものらしいです。この建物は、宮崎駿の「千とちひろの神隠し」の絵のモデルになったともいわれていますね。
外観は神社仏閣を思わせる大型の唐破風。唐破風とはなんでしょうか?
切り妻屋根(上の三角に広がる屋根本体)の下にある、入口のところの独特の曲線をもった屋根のことのようです。こうやってみると、お風呂屋さんって庶民のものでありながら、立派なものですね。

そして、中は銭湯になくてはならぬ富士山のペンキ絵。東京都公衆浴場生活衛生同業組合によると、今、ペンキ絵を専門とする絵氏は、関東で2人しか残っていないそうです。
新聞記事の町田さんの話では「湖や海の向こうに山が見え、お湯とペンキ絵がつながっているように見える構図が多い」とのこと。
確かに、このたてもの園の「子宝湯」の絵もそうですね。
もし銭湯に富士山がなかったら、倉庫でお風呂に入っているような気分になるらしいですよ。

その他には、銭湯特有の番台や脱衣所などがありますが、それは撮影してきませんでした。
ここで、珍しいのは、洗い場の鏡の上のタイルの絵です。これは猿蟹合戦でしょうか。いろいろな昔話が絵になって何枚かありました。これも楽しいですね。


この日、4月になって珍しく雪が降り、小金井では昼を過ぎても解けていません。
これは、お風呂屋さんの中庭です。石灯篭があって和風の庭。
これなども、庶民の生活から離れたちょっと非日常的な雰囲気を醸し出していますね。


「銭湯」とは昔から、建物を立派にしたり、絵を描いたりして、人が豊かな気分でリラックスできるように工夫されてきたのですね。

私も学生時代とそれに続くOL時代は、同じ風呂なしのアパートに住んでいたので、銭湯に通ってました。やっぱり富士山があったかな?もう覚えていませんが、近隣のアパートに住む同級生とも一緒に行ったりしましたね。
今になると懐かしいです。庭まではなかったのですが、建物はやはり和風でお寺のような形の屋根だったと思います。体重計で体重を量るのが日課であり、夏は扇風機の風で涼むのが気持ちよかったように記憶してます。
今はすぐ近くにないということもありますが、洗面道具などを持って行くのは、ちょっと面倒臭いですね。



またもや迷走

2010-04-29 12:48:53 | 運転・車・道路の事
運転の練習記録
今日は、先週の環八世田谷方面をもう少し延ばして、世田谷美術館に行こうと計画をたてた。世田谷美術館のHPには、丁寧に美術館無料駐車場への行き方が、地図と写真と文章で載っていて、とても親切。これなら大丈夫だろうと思ったのだ。
その行き方というのは、環八を南下し、東名高速の用賀入口のところで環八から右に折れ、高速には入らず、そのわきの側道に入って1つ目の信号前を右に入ると、高速の下に駐車場があるとのことだった。
そこで、ナビを一応「世田谷美術館」にセットして出発した。高速が渋滞しているとテレビで放送していたので、入口までの道も混んでいるかと思ったら、すいすいだった。
しかし、走っているうちに、環八から右折する方法ってどうだったかな?と不安になってきた。もともと知らなかったってことなのだが、左側側道に出るならあらかじめ左第1車線を走ってなきゃいけないし、路上を右折するなら右第3車線を走ってなきゃいけない。どっちなんだろう?
すると、ナビが「300メートル先右折です」などと言いだしたので、100メートルくらい前であわてて右車線に変更。そして、ナビのいうとおりに曲がっていった。交差点名を確認する余裕もなし。
あれっ、この先に高速に沿った側道なんかあるのかな?どうもおかしい。左側は既に砧公園。どうやら予定の道とは違うところを曲がってしまったらしかった。そして、美術館らしきものが左にあり、ナビが「到着しました」と言って案内終了。しまった、そういえばナビの目的地は美術館で無料駐車場ではなかったのだ。その辺で止まるわけにもいかないし、もしかして公園の有料駐車場があるのかな?と気にしつつ進んだが、見当たらなかったので、そのまま道のあるままに進んで行くしかなかった。
道は公園を左回りにぐるりと回る感じで、珍しくカーブや坂道があった。美術館のHPの説明では、世田谷通りから入る方法ものっていたため、「世田谷通り」というものに出ればわかるかもしれなかった。しかし、道はどんどんわけが分からなくなり、狭くなり、ほとんど直角に交差する交差点というものはなくなってしまった。とにかく一方通行の逆走だけはしないようにしようと気をつけながら、素直な広い道を求めて進むが、道はますます怪しくなるばかり。後ろから車が来ないだけまだ焦らずに済んだが、それでも焦った。
このような場合は、ナビを「自宅に戻る」とするに限る。きっと環八に戻してくれるだろう。
ナビが「その先左へ」というので、左に曲がろうとすると、なんとその先は見たこともない絶壁のような上りの坂道だった。ええ~っ、ここを登るの?こんな坂登れるのかな?しかも上った先がどうなってるんだかわからないし・・・。直進しようとするが、そっちはものすごい狭い道、無理。仕方なく右折。直進道路に入りかけた車は路上でやっと右に回転。他の車がいないのが幸い。
しかし、その先もあやしい。ふと別の方向から来た車が、左に進んで行ったので、そっちに行けば少なくとも行き止まりではないだろうとついていく。
ナビも別の案内をし始め、道路もようやくセンターラインのある普通の道路になった。
ホッと胸をなでおろす。
そこは、“二子玉川” ・・・?
だいぶ南に来たらしい。信号の前はかなり渋滞している。あとで地図を見ると「多摩堤通り」という道のようだ。そして、ナビに従って二子玉川駅の手前を左に曲がると、高島屋などがあり、「玉川通り」というのに出た。かなりの渋滞。
このへんで、お天気雨がけっこう降って来たので、時々ワイパーを作動させた。渋滞の原因は、その先環八で南から東名高速に入る道でもあるためかと思ったのだが、環八との交差が単に渋滞の原因だったようだ。左折して環八にでると、すいすいと走った。
環八に出れば迷うことはない。本当にほっとした。
北上していくと、最初の計画で曲がるはずだった環八東名入口の交差点を通過した。
ここを左側道に入れば美術館駐車場に行けるはずだったが、直進車線に入っていたので曲がれない。それにあまりにもそこまでがハラハラだったので、再挑戦する気もおきず、まっすぐに帰宅することにした。

ああ、またもやだよ。
今日の運転も、「年寄りの冷や水」でした。

帰宅して地図をみると、最初に環八を降りて公園脇に出たら、すぐ左に有料駐車場があったのでした。べつに有料でもかまわなかったんだけどな・・・。
相変わらず、高速脇の側道ってのも、実際行ってみてわかるかどうかわからないし、今度は、今日と同じ道を行って、有料駐車場に入れようかな。砧公園も見てみたいし・・・。

まあ、今日は、予期せずして「二子玉川」まで運転範囲を広げたし、先日「荒玉水道道路」を戻って来た経路を、今日は「環八」を戻って来たので、広くて走りやすかったから、それもまた初体験でよかったかもしれない。

未知の道路を走る練習効果としては100点だよね。
本日の走行距離24.8km。先日娘が乗ってくれたので、総計1532.8km。
1カ月250km以上をなんとかクリア。

美術館が見れなかったのは残念だけどね。
今日の午後は、のんびりしよう。