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スタートした即位大嘗祭違憲訴訟の会

2018年11月23日 | 集会報告
いまからほぼ30年前の1989年は、昭和天皇が1月7日早朝87歳で亡くなり、テレビは全局とも追悼番組のみで、民放の生命線であるはずのCMが消える異常な日々から始まった。国民「総謹慎」のような日常は前年9月の「下血」から始まり、死後しばらく歌舞音曲の「自粛」が続き、2月24日の大喪の礼を迎えた。
皇位そのものは1月7日に継承されたが、即位の礼は翌90年11月12日、大嘗祭は11月22,23日に行われた。使った国費も巨額で、89年12月の予算原案の段階で81億円、最終的には政府全体で123億円ともいわれる。日本はいまも「天皇制」が根強く残存し、「国民」に浸透していることを改めて思い知らされた日々だった。

それから30年、11月9日(金)夜、文京シビックセンターで「即位・大嘗祭違憲訴訟の会 立ち上げ集会」が開催された。呼びかけ人のあいさつに続き、30年前の天皇代替わりのときに大阪の訴訟で中心となり活躍した加島宏弁護士の講演があった。

2019年代替わり儀式の法的諸問題――先の即位礼・大嘗祭違憲訴訟の経験を踏まえて

               1990年即位・大嘗祭訴訟弁護団 加島宏弁護士
1 先の即位礼・大嘗祭違憲訴訟提訴
1989年天皇の死、そして90年になりあわただしく発表された即位礼・大嘗祭。あのときは大嘗祭は政教分離に反するので国の行事にはできないが、しかし国費は出すことに決定した。
わたくしは当時すでに政教分離の裁判に携わっていたので、即位礼・大嘗祭が日本の伝統文化といっても、もし伝統文化が憲法より上で日本を支配しているとすると、どう考えても理屈が通らない。そこでみんなで止めようという訴えかけをすることにした。90年7月、松山で行われた政教分離訴訟全国交流集会の終了間際に「訴状の案も委任状もできている」と呼びかけると、みんな「やろうやろう」と言ってくれた。しかも納税者であることを証明する書類を付けてもらったにもかかわらず、2か月で900人もの委任状が全国から集まった。

2 先の即位礼・大嘗祭に対する違憲訴訟提訴
この裁判は、思想信条、信教の自由、政教分離を打ち出しても一筋縄ではいかない。何かひとつ裁判所がひっかかるものをということで「納税者基本権」という権利を使うことにした。どんな原告でも、どんな宗教の信仰者でも無宗教者でも共通してもつ権利だからだ。
当時は朝日新聞阪神支局の銃撃(87年5月)や長崎市長銃撃事件(90年1月)、フェリス女学院大学学長宅への銃撃(90年4月)のあとの時期だったので、注目する人も多く9月の大阪地裁提訴の原告は987人、10月の第二次提訴で526人、11月の第三次提訴で147人、合計1700人弱の大原告団となった。
1人1万円の損害賠償を求めたが、92年11月の一審判決は本当に素っ気ないものだった。
原告はなんの被害も被っていない、心が痛んだというが、それは自分勝手な政治的信条や怒りの感情、憤激の情などにすぎず、裁判所はそういうものは認めない。したがってその他のことは何も判断しない。政教分離かどうかなど理屈に遡って判断するまでもなく、棄却する、というものだった。
徒労感に襲われたが、原告団と相談し、ふたたび委任状を集めて控訴した。
高裁の裁判官はこちらの話はちゃんと聞いてくれ、95年3月の判決は、結論こそ請求棄却だったが、注目すべきものだった。「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり」「少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」。さらに即位礼が国事行為であることを認めつつ「現実に実施された本件即位礼正殿の儀は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲しており、剣、璽とともに御璽、国璽がおかれたこと(略)神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、崇教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」(略)国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在する」とあった。
即位礼についてまでここまで、きっちり判断してくれるとは予想していなかった。
かつてない裁判所の判断だし、しかも高裁判決として温存したほうがよいと考え、全国の控訴人とも相談のうえ最高裁への上告は行わなかった。
ただ今後の裁判でも、国が原告の思想・良心の自由、信教の自由を侵害しどんな損害を与えたのか、原告がなぜ裁判を起こしたのか説得し、原告がどのように権利を侵害されたのか証明しないといけない。                           

3 2019年代替わり儀式で考えうる訴訟形態
わたしなりに、考えうる訴訟形態を考えてみた。2種類考えられる。
1)通常訴訟 
国を被告として国費支出差し止めや損害賠償請求する訴訟である。国費の支出や儀式の実行は、事実行為なので処分又は裁決を争う行政訴訟ではなく、通常訴訟になる。
2)住民訴訟
首長が即位礼や大嘗祭に招待され出席したときに、その費用の賠償を地方公共団体に対し住民が起こす訴訟である。前回は自然発生的に鹿児島、大分、東京など全国各地で住民訴訟が起きた。
住民訴訟がすばらしいのは、利益侵害の立証や、納税の証明書がなくても住民ならだれでも裁判ができることだ。なぜなら住民なら地方自治体の費用を負担していることが当然だとされているからだ。これは戦後、連合軍が地方自治を強化するため地方自治法242条の2の住民訴訟の条文に入れたからだ。

4 納税者基本権
納税者基本権とは「憲法に適合するように租税を徴収し、使用することを国に要求する権利」であり「憲法条項に従うのでなければ、租税を徴収され、あるいは自己の支払った租税を使用されない権利」である。
これについて当時日本大学教授だった北野弘久先生に教えを乞い、アメリカにも「taxpayer's suit」(納税者訴訟)というものがあることを知り渡米して何人かの学者から学んだ。
しかし納税者基本権を好意的に評価してくれる学者は税法学の三木義一教授(現・青山学院大学学長)と憲法学の後藤光男・早大教授くらいしかいない。
ただ、この基本権を認めた判例はなく、学説も消極的だ。その理由は4つ挙げられる。
1)これを認める憲法・法律の規定がない
2)国民による租税の支払いと、政府による国費の支出とは法的になんら関連がないから、たとえ違憲の国費支出があったとしても、それによる納税者の具体的権利侵害など存在しない。これを分断論と呼ぶ。政府にとってまことに都合がよい理屈だ。
3)納税者訴訟は客観訴訟(客観的な法秩序の適正維持を目的とする行政訴訟)であり、特別の法律規定がない限り、我が国の裁判制度上許容されない。これは戦後の大御所、成田教授が論文で述べたもので、なかなか乗り越えられない。
4)権利として不明確。平和的存在権に対するものと同様の評価である。
分断論についてひとつ思い出がある。名古屋で、母親からの遺産相続の際、国家予算の6%が軍事費なので相続税の6%は納税しないという訴訟を起こした名古屋の弁護士や、自営業者で確定申告の6%分をわざと納税せず理由書を提出したが差押えられたとき「差押え処分無効確認」の訴訟を起こした人たちがいた。これに対し、裁判所の判断は、税金の使い方は議会が議決したものなので、国民は意見を言えないというものだった

次に今回の訴訟の弁護団からS弁護士のスピーチがあった。

憲法の「政教分離」の歴史的意義を再考察する

加島弁護士の整理のとおり、この訴訟は即位・大嘗祭差止めの形式を取り、内容としては政教分離が拠り所となる。今後数百人に上るとみられる原告団の権利がいかに侵害されたか、納税者としての権利、個人の信教の自由、思想・良心の自由など個別の権利が侵害された、あるいは侵害される虞れがあるから即位・大嘗祭を差し止める必要があるし、また強行されたなら国家賠償を求めることになる。憲法判断がされれば有利な闘いを進められるだろう。
加島弁護士の整理にあった大阪高裁の判決で、即位・大嘗祭が神道儀式と無関係とはいえないという判断は、今後も変わらないと考えられる。問題は、そこまで判断が至るかどうかだ。
信教の自由や政教分離は、特定の信仰を持つ人のみの権利なのかどうか、特定の信仰をもたない人にとって政教分離が自分の問題になるのかならないのか、この点を考えたい。
政教分離は信教の自由を保障する政治的なひとつの制度である。憲法の政教分離の歴史的経緯を考えると、GHQから神道指令が出て国家神道をやめ、新憲法をつくる際、神道と政治を切り離そうと設けられたことは間違いない。そこには個々の人の信仰の自由との関係というより、戦前の国家神道と政治のあり方、政府のあり方ではまずいという問題意識があった。そうなる前の戦前・戦中の社会はどんな社会で、人びとはどんな目にあわされていたのか、同じ過ちを犯さない制度というところに立ち至って、政教分離をもう一度裁判所で議論し判断しなければならないということを裁判官に述べたい
裁判は、もちろん原告の権利を保護し回復するためのものだが、もう一方で市民が公のものごとに関わるひとつの方法ではないか、一人ひとりが公の場で議論するための場、フォーラムなのではないか、と考える。国に対し裁判を起こし、そのなかで「わたしは一市民としてこう考える。ここがおかしいのではないか」と主張し、反論があり、それに対し、「法律や憲法に照らし、こう考えるのがよいのではないか」と議論の結果として判断を下すのが裁判のあるべき姿ではないだろうか。それが裁判所に求められることではないか、ということをぜひこの裁判で訴えたい。
具体的な段取りとしては、弁護団の皆さまと議論を進め、12月に訴訟を提起したい

現行憲法20条、89条の政教分離は戦前の国家神道に対する反省から生まれた。したがって特定の信仰をもたない人にとっても重要な権利である。この説明はじつにすっきりしていて、なぜ特定の信仰のない自分がこの訴訟に参加しようとしたか、腑に落ちた。
訴訟委任状はこのサイトで入手できる。

このあと、30年前の訴訟の事務局長、北海道の方、先日高裁敗訴判決が出た安倍靖国参拝違憲訴訟の弁護団などから、短いスピーチがあった。

元号表示のないスッキリした2019年カレンダー
☆代替わりまであと5か月に迫っているが、なぜかこの問題、天皇制の問題に関し異論があまり聞こえてこない。この種のものでは「新元号制定反対署名運動」がある。11月初めの時点で6000筆集まったそうだ。わたくしもいろんな場所で署名を募り60筆ほど集まった。署名はこのサイトからダウンロードできる(ウェブ署名はこちらのサイトから)。
いま市販している2019年のカレンダーの8-9割は西暦のみだそうでスッキリしている。いまでも西暦から1988を引いてはじめて平成の年がわかる仕組みになっているが、来年からはこの計算がもうひとつ増え2018を引く計算が必要になる。もうこんなことは今年限りにしてもらいたい。


議員会館前でスピーチする上西充子さん
☆天皇制以外にもうひとつ世間の関心が薄すぎるのではないかと懸念する問題がある。アベ自公政権がこの臨時国会で12月10日の会期中にムリに通そうとしている入管法改悪・在留資格新設の問題だ。宿泊業の食事の配膳やベッドメイキングといった単純労働で「熟練した技能」とはいったい何なのか、技能実習制度で失踪した外国人の調査データもデタラメだったが、聞けば聞くほど「現代の奴隷制度」に思えてくる。
ちょうど11月19日の総がかり行動で、翌日緊急行動があるということで20日(火)昼に議員会館前の「拙速な入管難民法改正案の撤回を求める緊急国会行動」に参加した。土建、介護労働、外国人移住者など関係労組も参加する充実した集会だった。政府の計画は、建設、介護、外食業など14業種で
2019年度だけで47000人もの外国人労働者を受け入れるという規模の大きさだ。
この「奴隷制度」は、少子高齢化社会へのアベ政権の解決策でもあるが、日本の少子高齢化移行と同じくらいのインパクトの大きい問題だ。もっと積極的に深くとりくむべき問題だと強く感じる。
また、「ご飯論法」で話題の上西充子さんの「国会パブリックビューイング」という新しい試みも大きな可能性を感じさせるものである。
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1 コメント

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Unknown (村崎 陽)
2018-12-02 11:55:24
応援してます。がんばって下さい。
私は天皇の戦争犯罪も、戦中、後の洗脳も
絶対に永遠に許しません

暴言や暴力に気を付けてください
昔から今に至るまで、暴力で人をねじ伏せていた
最低のクズが天皇崇拝者であり
それを見てみぬふりする天皇こそが
真の邪悪、腐敗、汚染の教祖だというのを
自らが証明してしまってる

陰ながら応援しています
正しい光は我々に注いでいる

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