多面体F

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豊洲現地で見た市場移転の問題点

2017年01月29日 | 日記

小池都知事就任以降、大きく揺らぐ豊洲移転問題。「いったん立ち止まって考え」、とりあえず11月の移転は延期した。1月14日、待っていた9回目の地下水調査ではベンゼン、シアン、ヒ素の「想定外」の数値が公表され再調査することになった。また20日には住民訴訟で争われていた石原元都知事の責任について、都の姿勢を再検討することが決まった。

海大橋からみた豊洲の水産卸棟と水産仲卸棟。橋は未開通の環状2号線(右が築地・晴海方向)
1月25日、快晴だが寒いなか、問題の豊洲市場を見学する機会を得た(主催:新日本婦人の会東京都本部)。もちろん開場していない市場のなかに立ち入ることはできず、門の外からの見学だ。それでも、市場の巨大な建屋群を目の前に説明を聞くと、説得力が違った。
まず新交通ゆりかもめの市場前駅の屋上ホームから豊洲市場を見下ろす。駅の東には青果棟(5街区)、西には水産仲卸棟(6街区)、道路を隔てて南西に水産卸棟(7街区)の巨大な建物が3棟横たわっている。盛り土がなく地下空間に汚染水がたまっていたことが「発見」されたところだ。遠く北西の東京タワー近くに東京ガス本社ビルも見える。

青果棟
この日の講師は飯野雅行さん(東京ガス豊洲工場元職員)、かつて東京ガス豊洲工場のコークス炉で高熱の作業環境のなか、長年働いてこられた方だ。
東京ガス豊洲工場は、1954―55年に埋立工事を行い浚渫した土に杭を打って工場建屋を建て、56-88年まで30年間稼働した。東京ガス全体の60%のガスを生産する主力工場だった。
5街区にはヒ素を使用し脱硫などの精製をする装置、コークス炉やガスホルダーなどがあった。6街区には石炭置場や排水に使う沈殿池、7街区にはコークス置き場があった(その後、原料が石炭から天然ガスに転換し、これらの施設もなくなった)。 
コークス炉は1000度以上の高温で石炭を乾留し、ガスとコールタールやベンゾール、コークスとを分ける装置で、硫黄酸化物が発生するため作業員は頭と口に2枚タオルを巻いていたが、1回使えば黄色くなってしまう環境だった。作業は365日24時間、3交替で行われた。
製造過程で、シアン、ベンゼン、六価クロム、ヒ素、水銀などが発生し、重金属は比重が重いので下に下がり土壌や地下水が汚染された。
東京都は201本井戸を掘り地下水の水位管理をきちんとすると説明していた。しかしこんなに広い面積なのでうまく管理できるわけがない。また6街区には浄化装置のプラントがあり、工期に追われ建屋建設と同時の工事になったため汚染箇所もわからなくなってしまった。それで汚染が空間で発見される事態になった。
さらに東京都は土壌汚染状況のボーリング調査で採取したコアサンプルを廃棄してしまった。北区の団地ではコアサンプルをエコ館で保管しているというのにもかかわらずだ。
参加者から働く人への健康被害について質問があった。東京ガスではかつては在職死亡や本人死亡について原因を報告・公表していた。1982年ごろ在職死亡23人のうち7人が豊洲勤務者だった。これは比率が高い。豊洲勤務の平均余命は73歳だ。また原因不明で倒れて3年、5年たつ人もいる。豊洲工場では、重金属汚染のほか、石綿やPCBの問題もあった。
講師の飯野さんは、「築地は宝だ。食文化を殺すようなことをしてはいけない。山が動き出した!」と話を締めくくった。

豊洲の現地で、土壌や地下水汚染の過去の実態について、何十年もこの地で過酷な環境で働いてきた当事者からお聞きしたお話は説得力があった。「食文化を守れ」という主張は少し意外だったが、すべての市民の願いは、結局こういうところに行き着くのではないかと感じられた。

水産仲卸棟と青果棟は20mの幅広い道路で分断され、使い勝手が非常に悪い
汚染以外に、豊洲は使い勝手が悪いという問題もある。5街区・7街区と6街区の間には幅員20m、片側3車線の道路があり分断されている。6街区(水産仲卸棟)と7街区(水産卸棟)の間には地下通路が4本あり、ターレが走り回ることになっている。しかし6街区と5街区(青果棟)のあいだにはそんなものはなく地上を横断するしかない。築地では魚も野菜も買う業者の人は多い。利用者のことをまったく考えていない。目の前の広い道路を前にあきれた。
どうしてこんな市場になってしまったのかという質問に対し「都は何も発表せず、築地で働く人に図面も見せず、昨年秋になって初めて市場を見せた」という説明があった。

なお事務局から「『豊洲の汚染』といわれることが多いが、豊洲はかなり広い地域(南北3キロ、東西2キロくらい)であり汚染されているのは東京ガスの工場があった南端の一部に限定されている。マンションやショッピングビル、オフィスビルが立ち並ぶ北のほうはまったくそういうことはない。住民も多くいるのだから、思いやりをもってちゃんと区別し『風評被害』を広めないようにしていただきたい」とのアナウンスがあった。たしかにそのとおりである。

☆昨年の年末12月25日の朝、築地市場の海幸橋入り口近くで「守ろう!築地市場」の宣伝行動が開催され参加した(主催:守ろう!築地パレード実行委員会)。
ええじゃないか、ええじゃないか、築地がええじゃないか!
 
世界に誇る日本の文化! 伝統技が息づいてる!
 安全、安心の築地市場!豊洲市場に愛はあるかい? 築地市場は愛が満載!」
移転反対の署名活動も行った。年末の買い物客がいっぱいだったが、「築地の場内市場に行けないと、
正月の準備ができない。ここでなくては困る」と買い出しに来た世田谷や江東区の主婦が切実な要望を口にしていた。また海外からの観光客で「なぜ築地から移動するのですか?」と質問しながら署名してくれた人が何人もいた。

☆豊洲は広いという話があったが、その北東側には枝川の町がある。六本木の富士フイルムフォトサロン・スペース1で開催された名取洋之助写真賞受賞作品写真展川上真「枝川・十畳長屋の五郎さん」を見た。1941年東京市が簡易住宅事業で建設した家屋が2000年に部屋ごとに住人に払い下げられ、長屋に住む音楽好きの66歳の男性を撮ったドキュメンタリー作品である。
「かつては豊洲に渡る橋1本だけが枝川から出る手段だった」との説明があった。
わたくしも、このブログの「パッチギ! LOVE&PEACE
(2007年11月)と「60万回のトライ(2014年11月)を書くときに2回訪れたことがある。
なお写真展としては珍しく「撮影・公開OK」という表示があり「ブログやSNSで会場の様子を紹介してください」とあった。奨励賞の和田芽衣「娘(病)とともに生きていく」 も展示されている。会期は2月2日(木)まで。その後大阪で2月17日(金)から2月23日(木)まで開催される予定だ。


●1月31日、井戸の数を201本に修正
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