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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「表現の不自由展・その後」がテーマだった年末・人報連シンポジウム

2020年01月07日 | 集会報告
暮れも押し詰まった12月28日(土)午後、人権と報道・連絡会の第35回シンポジウムが水道橋のスペースたんぽぽで開催された。今回のテーマは、あいちトリエンナーレ2019表現の不自由展・その後」の展示中止・再開騒動を素材にした「表現の自由とマスメディア」だった。パネリストは小倉利丸さん(「表現の不自由展・その後」実行委員、富山大学名誉教授)、大浦信行さん(美術家・映画監督)、浅野健一さん(人権と報道・連絡会世話人、ジャーナリスト)、司会は山際永三さん(人権と報道・連絡会世話人)だった。
あいちトリエンナーレ2019は8月1日から10月14日まで愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、四間道・円頓寺、豊田市美術館・豊田市駅周辺の4つの地域で、国際現代美術展(66組のアーティスト・団体)、音楽プログラム6企画、パフォーミングアーツ14演目、映像プログラム15本などが展示・上演される大規模なイベントだった。騒ぎが起きたのは芸術文化センターの愛知県美術館での「表現の不自由展・その後」の展示だった。
一般への報道では、開催2日目の8月2日朝「ガソリンテロを予告する脅迫ファックス」が発見され、また電話による抗議やメールも殺到したため、8月3日で展示中止を決定した。直前の7月18日京都アニメーション放火殺人事件で40人近い人が死亡したこともあった。また河村たかし名古屋市長は「平和の少女像」や「遠近を抱えて」について、中止を含めた適切な対応を求めるという要請を文書で行った。しかし展示中止に抗議する声が日本ペンクラブ、change.org、愛知県内市民グループなどから上がり、またトリエンナーレに出展した外国人作家を中心に、作品引揚げ・変更も14組30作品に及んだ。その結果10月8日から閉幕までの1週間、一回30人に限定したガイドツアー方式で展示が再開された。一方、9月26日文化庁はトリエンナーレへの補助金7800万円を交付しないと発表した。
小倉さんは「表現の不自由展・その後」実行委員会の5人の実行委員の一人で10月半ば辞任した元メンバー、大浦さんは「遠近を抱えてPart2」(4点+映像)の出展作者本人、そして浅野さんはジャーナリストの観点からそれぞれ発言された。外部の人にはわからない大規模イベント運営の内情、作家自身による表現誕生への思いを聞くことができた。わたくしには浅野さんがおっしゃる憲法の「表現の自由」の意義や民主社会でのジャーナリストの役割や使命がいちばん印象に残るシンポジウムだった。

小倉利丸さん(「表現の不自由展・その後」実行委員、富山大学名誉教授)
まず小倉さんが、トリエンナーレ全体の実行委員会と「不自由展」実行委員会は異なること、全体の実行委員会事務局および津田大介芸術総監督と「不自由展」実行委員のあいだで考え方の不一致があったこと、中止の経緯にも不明点があること、大村秀章愛知県知事・実行委員会会長の「少女像」への立ち位置、実行委員会会長代行である河村たかし名古屋市長が「不自由展」を見学したあと連れてきた記者たちにぶら下がり記者会見をしたときの状況、キュレーターが「不自由展」に一貫して非協力的だったのに再開が決まったとたん「手のひら返し」のように協力的な姿勢に変わったことなど、当事者にしかわからない内情を、内部資料も参照しつつ説明した(参考 季刊ピープルズ・プラン86号(現代企画室 2019.11)の小倉さんの記事)。巨大なイベントで、プレーヤーも多くマスコミ報道でいわれているような単純な状況ではなかったことが垣間見えた。
●検討委員会報告書について
12月18日付けであいちトリエンナーレのあり方検討委員会(山梨俊夫座長=国立国際美術館長)が「『表現の不自由展・その後』に関する 調査報告書」を発表した。展示中止になった経緯と問題点が網羅的に書かれているが、「将来、客観的分析としてみられることは残念だ」と、以下のように小倉さんの見解が語られた。この報告書で委員会が言いたかった結論は下記3点だ。
 1 中止にしたことは正しかった。
  2 「表現の不自由展その後」の実行委員会はダメだ。
 3 芸術監督になぜ津田大介を選んだのか
この3点を踏まえ、小倉さんの検討委員会報告の解釈は下記のようなものだった。
芸術文化のイベントなのに、あいちトリエンナーレ2019実行委員会の最高責任者が知事なのはよくない。知事は政治家で公権力なので、憲法21条「表現の自由及び検閲禁止」の規定に縛られる。これが問題だ。県や自治体の主催ではなくアーツカウンシルなど民間主催にすれば問題がなくなる。他のジャンルでいえば映画の「映倫」がそうだ。民間なら「不自由展」のようなものを排除できる枠組みがつくれる。民間主導という文脈で考えるとIRも同様だ。カジノだけでなく、国際会議場やアート・文化イベント施設も付属してつくることができるし、民間のアート・イベント関連会社、たとえば電通・博報堂などのビジネスチャンスもつくれる。しかし民間でやるようになれば、集客力のあるイベントしかやらなくなる。たとえば指定管理者が運営する図書館でベストセラー本ばかり購入するのと同様だ。この報告書の「再開に向けての努力」で委員会が無視したことが3つある。
 1 報告書にはReFreedom_Aichiへの言及しかない。しかし一番早く行動したのはChange.orgの署名で、あっという間に2万筆集まった。
 2 地元の市民たちが組織した「表現の不自由展・その後の再開をもとめる愛知県民の会」を無視している。連日会場前で、スタンディングを続けた。
 3 「表現の不自由展・その後」実行委員会が9月13日に提訴した展示再開を求める仮処分訴訟にも触れていない。これらさまざまな人たちの動きが力学のなかで相乗効果を及ぼし、県は展示を再開せざるをえなくなった。
●キュレーターと「表現の不自由展・その後」
あいちトリエンナーレ2019は大きなイベントだったので、美術、パフォーマンス、映像など多方面かつ国内外のキュレーターが大勢関与していたが「表現の不自由展・その後」にはいっさい関わらず非協力的だった。おそらく現代美術として評価できる作品はないと判断していたのだろう。ところが再開が決まると、手のひら返しのように協力するようになった。なぜ豹変したのか。その理由ははっきりしている。
再開に当たり、山梨座長が「不自由展の実行委員は全員退いてほしい。展示に関してはすべてトリエンナーレのキュレーターが仕切る」と宣言したからだ。もちろん不自由展実行委員はこの提案を蹴った。さらに座長は「見に来る人への教育が必要なので、エデュケーションプログラムをつくる」といった。しかし作品にはそれぞれバックグラウンドがあり、わずか7―10日程度でキュレーターが理解し「解説」などつくれるわけがない。そんなことはできなかった。そこで検討委員会は、はじめて実行委員会が「検閲反対」の運動だけしているわけではないことを理解したのだと思う。再開に当たり重要な部分は不自由展実行委員に任せざるをえなかった。彼らの結論は、主催者が理解しえない、あるいは仕切れないような展示はそもそもやるべきではないということだっただろう。
美術館も含め表現の全体状況が変わっていかないとうまくいかないと思う。
●「不自由展」をめぐるマスメディアの問題
マスメディアの報道をみていて、一番腑に落ちないのは大浦さんの出展作品4点がごく最近になるまで新聞に掲載されなかったことだ。もっぱら少女像だけだった。なぜ掲載されないのか聞くと、ある大手新聞社の記者の返事は「上から言われている」とのことだった。86年にはこんなことはなかった。富山県議会で問題になったときも「問題の作品はこれ」と読売が紙面に掲載していた。あきらかにとんでもない時代になった。
もうひとつ、メディアへのトリエンナーレ事務局の報道規制が厳しかった。SNSだけでなく、メディアが取材のため会場に入場できても写真は撮らせない。記者クラブとして抗議すべきと言ったが、抗議した形跡はない。再開後も、はじめは取材も受け付けなかった。その後取材は一般客と同じように抽選で入れるようになったが写真は撮らせない。それに対しても抗議はしない。その結果、市民メディアも発信しなくなった。
 
大浦信行さん(美術家・映画監督)
かつて10年ニューヨークに住んだが、版画連作「遠近を抱えて」は5年目の1982-83年に制作した。当時、次第に自己のアイデンティティの不安に襲われた。自分とは何なのかと考え、自分自身の内面を見つめ直したとき意識の奥底に内なる天皇がいると感じた。この作品は、かつて自分の中を通り過ぎていったものなどのさまざまなイメージを組み合わせたまま「遠近を抱えて」、つまり自分自身の自画像である。それは日本とニューヨークの位相のズレが作り出す時間と空間のなかに宙吊りにされた自画像をつくるということでもある。もし日本にいたなら相対化できなかっただろうと思う。意識の奥底にある内なる天皇とは、竹内好がいう「一木一草にまでしみ込んだ天皇」と同じだ。
映画では、インパール作戦に従軍する看護婦の女の子が出発の前夜、母親に手紙を書く。手紙の中で「わたしは死んだら靖国に祀られるのです。そのときはウチの子は偉かったと誉めてくださいね」と書く。ここには右も左もない、と僕は思う。その女の子は現代に蘇り天皇の写真を燃やす。それは自分の内なる天皇を昇華させることであり、祈りの行為でもある。燃やす行為は神社で神輿を燃やすような、神聖で宗教的な側面もある。天皇を冒涜するというような行為ではない。また燃え尽きたものを足で踏む行為は、たんに消火しているにすぎない。実際、なんの演出もなしに女優が自然に行った。そもそも天皇批判のために燃やすのであれば、そんな幼稚な表現はしない
三十数年前のときは、ウヨクがやってきて騒いだこともあったが、今回はそもそも作品も見ず「そうだ、そうだ」と尻馬に乗って批判しているだけだ。今回の新しい現象だ。どの程度のレベルで覚悟をもって批判しているのか、はなはだ疑問だ。だから作家はへこたれることもなく、自分の主題を変える気もしない。さらに表現が強固なものになるひとつのきっかけとなった。
本来、表現は、現実のものごとや事象を作家の想像力を発揮し咀嚼し、現実の外へと遠く飛翔させ、そこで解体され組み直されて、新たな衣装をまとい再びこの現実に戻ってくる、それが表現というものだ。だから表現は現実の再現ではけしてありえない。しかし公権力は、表現をこの現実の事象としてしか捉えない。そこで検閲が生まれてくる。その現実との齟齬を今一度作家の内面と動機に寄り添って話し合っていく開かれた場が必要だと改めて強く思う。
今回三十数年前の作品に新たな衣装をまとい、パート2として映像というかたちで立ち現われてくる、作家にとってひとつの主題はそのように長い時間と空間をともない表現されてくるが、今回「ああこれで『遠近を抱えて』は完成した」と思った、その瞬間は作家にとってなにものにも代えがたい喜びであった。この一瞬の喜びを得るため自分はものをつくってきたのだと思えた。いってみれば死者の歴史をつくりだすこと、血の色をした死者の歴史の地平から立ち上ってくる新たな自己、自分にとっての内なる天皇とはそのような要素を孕みもった新たな自画像を作り出すことではなかったのか、と思う。
作品をつくる瞬間は直観力だ。無意識で、その人の水面下にあったものがある瞬間にスパークするわけで、宇宙と交信しているともいえる。

浅野健一さん(人権と報道・連絡会世話人、ジャーナリスト)1986年富山県立近代美術館は、大浦さんの版画連作6点のうち3点を購入したが展示せず非公開とし、その後、匿名の個人に売却した。今回は「平和の少女像」と大浦作品に政府とウヨクが文句をつけた。京都アニメ事件と連動し、ファックスや電話が殺到した。全国各地で自治体が講演会を開催するときに、自分たちの意見に合わない講師の場合、講演を中止しろという市民運動が起こる。言論の自由との関係でなかなか悩ましい問題だ。
憲法21条・表現の自由は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と権力の規制に対し、人民の権利を保障するものだ。最初に「集会」が入っていることは重要だ。まず集まり、そこでいろいろ議論するとき表現の自由が保障される。それも「一切の表現の自由」と絶対的な権利と規定している。
これに加え2項で「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とある。検閲する主体は、行政、警察や検察・裁判所、首相官邸など人々に影響力を与える権力をもつ組織であり、民間ではない。報道倫理綱領、新聞人の良心宣言BPOなど市民的コントロールはこれとは無関係だ。おそらく世界の1/4の国が表現の完全な自由が認められている。日本は法的にはもっとも自由が保障されている国だ。これは1945年8月まで権力が表現の自由をいかに蹂躙してきたか、もう二度とやらしてはいけないと憲法制定時に考えられたからだ。
ジャーナリストは人民の「知る権利」を代行し、民主主義社会における権力の監視をする。報道の自由は政治的権利であり次の選挙でだれに投票すべきか必要な情報をできるだけ多面的に伝えることが仕事だ。アジェンダを設定し、解決法を示す。しかもできるだけ声なき声、少数者、社会的弱者の声を代弁する。
しかしあいちトリエンナーレを顧みると、記者クラブメディアはまったくできなかった。とくに文化庁の助成金不交付を長官がほとんど知らなかったことや不交付に反対する訴訟についてほとんど報道されない。ジャーナリズムは「絶対に屈してはならない」と論陣を張るべきだったのに、官邸や河村市長の発言をそのまま客観報道するだけだった。
議論を呼び起こす作品に対し、なぜ記者クラブは尊敬の念を抱かないのか、断固糾弾すべきだ。自分たちが人民の知る権利を代行しているという自覚がまったくない

山際永三さん(人権と報道・連絡会世話人)
映画の世界では、文化庁の外郭団体・日本芸術文化振興会が映画助成をしている。ほとんどの映画プロダクションが助成金の申請をする。最近「宮本から君へ」(真利子哲也監督)という映画で、ピエール瀧が出演していたがために作品が完成し、撮り直しもできなかったので助成金を打ち切った。映画は完成し配給が決まらないと助成金を出さない。さらに芸文振は規定を変更し「スタッフおよび俳優に刑事事件に関係したものがいる場合に助成金を出さない」というふうにした。プロデューサーや監督が制作前に、この人は逮捕されそうかどうか判断しないといけなくなる。この映画のプロデューサーは訴訟を起こした。
1970年代末の「愛のコリーダ」のわいせつ問題で大島渚監督が被告人になった。しかし無罪となった。その前に日活ロマンポルノや武智鉄二監督の「黒い雪」も無罪になった。
しかしいまでは猥褻で逮捕される監督はいなくなった。いま映画にカネを出すのはほとんどテレビ局なので、テレビ放映できないものはスポンサーがつかなくなった。いま映倫で問題になるのはナイフなど殺人の手段、暴力問題だ。安全な作品しか生まれない「市場からのパージ」状況になっている。冒険的な作品は生まれない。この20-30年間の変化だ。美術の世界もいずれそうなるだろう。

☆わたくしは練馬に住んでいたこともあり、2015年1月に「表現の不自由展」を見に行った。安世鴻氏の写真作品は、12年のニコンサロンの展覧会もみに行ったので記憶があるが、キム・ウンソン&キム・ソギョン氏の「平和の少女像」があったかどうかは覚えていない。貝原浩氏の作品はそういえば見たように思うが、残念ながら大浦さんや中垣克久氏 山下菊二氏の作品の記憶はない。このチラシでは出典作家は7人で、トークイベントには13人の名前が出ている。ろくでなし子さんの話は聞いてみたかった。
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大浦信行「遠近を抱えてPart2」の映像の一シーン
今回、大浦さんの20分の映像作品を拝見した。わたくしにとって最もインパクトが強かったのは、海岸の砂浜に横一列に並べられたカラフルなドラム缶が爆発して(?)次々に跳ね上がるシーンだった。いったいどうやって撮影したのか。また主役がインパール作戦に従軍した若い女性という設定になっていること、「海ゆかば」、「トラジ」、戦時歌謡のような曲など多くの歌が出てきたこと、写真はただ燃えているのでなく主役がバーナーで燃やしていること、つまり主体的に自分の自画像を「昇華」させていたこと、などが印象に残った。


●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
・1月7日 小倉さんの「検討委員会報告書について」の一部を修正しました。

★2019年の目次を「過去記事タイトル一覧」の「総目次を作成」に追加しました。 ご参照ください(2020.1.7)
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